国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

親日(国)

スリランカ・ヒッカドゥワ(サーフィンメッカ)でビーチボーイ達と交流!

スリランカ西海岸南部にあるビーチリゾートである
ヒッカドゥワ。
ここはサーフィンのメッカとも知られ、時期になると数多くのサーファー達が世界各地から訪れます。
他にも様々なマリンスポーツを堪能出来ます。
オフの時期であれば観光客は多くはないですが、のんびりと過ごす事が出来るビーチです。
ただ、行商人やビーチボーイ達は多いので商売熱心な彼らの
勧誘はよくあります。

宿はホテルからゲストハウスまでそろっており、宿泊施設には困らないでしょう。

バングラデシュの首都のダッカ!日本由来のリキシャ

人口密度の高い事で知られる首都のダッカ。宿泊した中級ホテルの部屋が10分に1回の割合いで停電になったのがびっくりしました。インフラが整っておらず、日本のJICAなどの団体がバングラのために尽力。

数年前にダッカの高級住宅街&外国人居住区(東京でいう青山)のイタリア料理のレストランをISに感化されたイスラムの過激派集団が入り込み、日本人を惨殺。
治安的には決して良好ではなく(夜間に銃器を使用した強盗被害が多発するなど)素人の単独渡航はおすすめしませんが。

ダッカ市街地では
毎日のようにホッタールと呼ばれる政治デモがおこっています。
政治情勢に関しても決して安定した国ではないのですが
日本人に対しての感情は頗る良く、親日国であると私は断言できます。

ダッカ滞在時にリキシャと呼ばれる日本の人力車が起源の乗り物の運転手と直接交渉し、5日間色々な場所に案内してもらいました。

明治以降、日本の人力車は世界に輸出されました。
その中で日本の人力車は自転車を前につけたサイクルリキシャ、モーターをつけたオートリキシャ(タイでいうトゥクトゥク)が東南アジアや南アジアで広まっており、現地でリキシャやオートリキシャと呼ばれています。

日本人が襲撃されたグルシャン地区のイタリア料理のレストランのすぐ近くに北朝鮮政府直営の「平壌アリランレストラン」があり、夜訪問しましたが、懐かしいものです。

ダッカまでは
タイのバンコクのスワナプーム国際空港よりTG(タイ航空)を利用して往復。

台湾・台中・台湾の日本車人気!警察車両も日本車!

かつて日の丸家電と呼ばれた日本の家電メーカー。最近では今まで日本が資金や技術援助してきたような新興国のメーカーが性能をあげてきて、安い価格帯で販売しているために日本の家電メーカーは追いやられているのが実情です。

家電メーカーとは違い、日本の自動車メーカーは好調で世界で販路、販売台数を拡大しています。
親日と呼ばれる台湾で走っているのは8割方が日本車。
現地の警察車両も日本車が選ばれる程です。

台湾・特急列車・自強号(嘉義⇒高雄)

台湾には日本から導入されたN700系の新幹線が運行していますが、昔からある特急列車の自強号も利用してみるとよいでしょう。

今回の区間は高雄から映画KANOで知られる嘉義までの区間。
自強号は、台湾版新幹線が11年前に開通する前に、一番速い特急列車でした。
イギリス製のEMU100型電車で1978年から運行開始。少し古さを感じますが、シートピッチがあり広々としています。1時間15分で到着。

【世界最古の共和国】サンマリノ・ティターノ山頂の城塞からの絶景!

世界で5番目に小さな国&世界最古の共和国であるサンマリノを訪問。2泊3日しました。
サンマリノの観光名所である世界遺産のティターノ山の城塞を訪問しました。塔が3つあります^_^それぞれ中世に建てられたものです。750m付近からの景色は最高です。

【海外で尊敬される日本人】ブータン・パロ!西岡京治氏のお墓!農業の父、ダショーとして尊敬される日本人!

【ブータンの農業の父・ダショーと呼ばれる日本人・西岡京治氏】
ブータンが親日国というのは事実ですが、その最大の要因はブータンの農業の父・ダショーと呼ばれる日本人・西岡京治氏の功績が非常に大きいです。

西岡氏は昭和8年(1933年)に朝鮮半島の京城(現在のソウル)で解剖学者の西岡辰蔵・利恵夫妻の長男として生まれました。

大阪府立大学、大学院卒業後、高校の教師として勤めた後に、昭和39年(1964年)に海外技術協力事業団(現・国際協力機構)のコロンボ・プランの農業指導者として夫人とともに赴任。

ブータンに赴任当初は、インド人が大半を占める農業局から冷遇を受け、試験農場すらまともに用意されませんでした。

切磋琢磨しながらも、日本から導入した野菜の栽培および品種改良、荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力しました。
西岡氏の誠実な人柄と常にブータン人の立場でものを考えは、ブータン人の支持者を増やし、3代国王にも認められ、ボンデにデモンストレーション農場を造ることができました。

西岡氏の振興策は援助側の一方的な施策の押し付けではなく現地の実状に即した漸進的なものでした。

当初2年の赴任の予定がブータン側の要望で平成4年(1992年)に59歳で氏が敗血症で亡くなるまで28年間に引き延ばされてました。(人生の半分近くはブータンに居住)

昭和55年(1980年)に西岡氏は4代国王より最高の爵位である「ダショー」を授かり、同国において唯一にして史上初の外国人受爵者となりました。

西岡氏が亡くなられた平成4年(1992年)3月26日にブータン王室およびブータン政府によって西岡京治の国葬が執り行われ、遺体は夫人の意向に従ってパロ盆地が見渡せる丘に埋葬されました。

平成22年(2010年)に在留邦人有志により、再整備がおこなわれました。

仏塔にて合掌させていただきました。

一個人ででここまで国を動かすのはすごいことです。

西岡氏に関しては、若い世代や僻地に住み、教育を受けてない人々以外には絶対的な知名度ど人気を誇っており、ブータンの人々から「ダショー・ニシオカ、ニシオカさん」と呼ばれています。

東京・渋谷のハチ公像が外国人に大人気!何故?柴犬ブーム?

【外国人にも人気の渋谷のハチ公像】
The statue of the loyal dog ”Hachi” in front of Shibuya station in Tokyo. This statue is very popular not only Japanese,but also the tourist from other coutries because of the movie”Hachi” filmed in 2009.
久しぶりに渋谷。ハチ公前。外国人観光客にも人気の忠犬ハチ公。
学生の時に遊びで都心に出る場所で一番多かったのは渋谷や六本木。

忠犬ハチ公が外国人に周知されているのは、
2009年のリチャード・ギアが主演の「ハチ公物語」HACHI 約束の犬 が上映されたのが最大の要因です。
スイスやアメリカ渡航時に柴犬を散歩している女性がいましたが柴犬人気には映画の影響が非常に強いです。

台湾・嘉義市・嘉義神社!(日本統治時代建立・映画KANOの地)

日本統治時代、明治44年(1911年)に開園した公園です。公園内にはかつての嘉義神社(現在は忠烈祠)の名残が残っており、社務所はそのままの残っています。社務所内部は資料館になっており、貴重な資料が展示されています。

公園内は広く、見どころも多いですが日本的な香りのするものが多く残されているので
日本統治時代の匂いをかんじとってみるとよいでしょう。

善化駅(ぜんかえき)は、台湾台南市善化区にある台湾鉄路管理局縦貫線の駅。かつては台湾糖業鉄道玉善線、善化線が接続していました。
台南市のほぼ中央に位置するので、バス連絡で佳里、麻豆、玉井、烏山頭ダムなどへの要路を占めて居ます。

台湾・高雄・台湾糖業博物館【日本統治時代に創業の台湾製糖跡地】

【日本統治時代の痕跡】本日は高雄市内にある台湾糖業博物館を訪問。日本統治時代の明治34年(1901年)に三井財閥(主に三井物産)を中心にして設立された台湾製糖。台湾最初の新式機械製糖工場を建設し、明治35年(1902年)に操業開始。戦後、台湾企業が引き継ぎました。

工場は平成11年(1999年)2月に閉鎖となりましたが、そのままの状態で残してあります。日本統治時代から使われていた機械も多数あり、社員の住居として使われていた日本家屋が今も残っています。

【日本統治時代開場】台湾・台北・士林夜市・地下食堂街!台湾料理&露店!

台湾といえば夜市。(アジア各国ではこういった夜市があります。タイの夜市も好きです。)台北で最大の市場である士林市場での夜市。

数多くの観光客が訪れる市場です。
歴史は古く日本統治時代の1909年に開かれた市場です。

士林市場は、1909年開場の施設の老朽化による衛生上・安全上の問題があったため、台北市政府は大規模改修をするため、2002年10月14日に同市場を閉鎖し、代替施設として剣潭駅前に「士林臨時市場」が設置されました。

臨時市場は2002年11月25日に営業開始し、士林市場にあった飲食店の多くが臨時市場に移転しました。

市場の中には、日本の縁日にあるような射的などのゲームがありますし、服飾やカバン、雑貨などの土産物店。南国特有の果物が売られている果物店、台湾や大陸の料理が食べれる店が多く軒を連ねています。