国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

国際紛争

北朝鮮の金正男問題!マレーシアでは大使館への抗議活動が?北朝鮮の対外事情に関して言及!

北朝鮮の金正男静粛問題に関して言及!
北朝鮮・金正男静粛!マレーシアのクアラルンプールの北朝鮮大使館前で抗議デモ!北朝鮮と他国の関係に関して言及!

世界を渡り歩き、現地踏査していると、北の人間を見かけます。顔立ちは南と同じなのですが、話している言葉に北訛りがあるのでわかります。
意外にも多くの国々と国交のある北朝鮮。
マレーシアには北朝鮮の人間でも査証なしで入ることが出来ます。

北朝鮮と国交のある国は世界で166か国。国交断絶は4か国。他は国交を結んでいない。
国交のある国々では北の機関があり、北朝鮮政府直営レストランも各地に展開(しかし、拉致や核開発で国際非難が強まる中、閉店に追い込んでいる国は多い)

10月に訪問したモンゴルは北がかなり入りこんでおり、日本からの資金が・・マネー・・・・・・され、北に流れ・・・

タイ・チャーン島のビヤホイ!パレスチナ人男性との交流

I made a friends with a Palestinian in the bar area in Chang island.

パレスチナ人。チャーン島のヒヤホイで酒を飲み、ビリヤードをしていたら参戦してきたパレスチナ人男性。英語で会話していると、出身はどこ?Which country are you from? と聞くと「パレスチン」といったのでどこだ?スペインのどこかか?と思ってしまいましたが、エルサレムと言ったので、あーパレスチナとしばらくした後に分かりました。

最近、ユダヤのイスラエル人と出会うことが多いのですが、戦後、アメリカに意向を伺うように行動している日本(一部の他国民からはアメリカの犬と揶揄されている。)はアメリカと同じくパレスチナを国として認めず(パレスチナを国として認めているのは136か国)、パレスチナ自治政府と呼んでいますが、彼らパレスチナ(アラブ)人からすれば独立国としての認識があります。

やはり、ユダヤに関してはよく思っていないようです。
日本はパレスチナを国として認めていないものの(セルビアとコソボの関係にも似ている)、パレスチナの地位格上げは承認しています。(アメリカやカナダ、先の大戦でユダヤ人に負い目を感じているドイツは、格上げも反対)

パレスチナ問題に関しては、パレスチナ、アラブ人達も可哀想ですね。いくらユダヤ人が2000年以上前に住んでいた土地とは言っても、その後、長年すんでいたのはアラブの人々。
それを無理やり、シオニズム運動を展開し、ユダヤ人が押し寄せ、アメリカで力があるユダヤ系がアメリカを動かし援助をし、中東戦争を優位に進め、イスラエル建国。
多くのパレスチナ人が被害にあい、難民も多く出しました。

日本はパレスチナにもODAの援助をしています。パレスチナ人は、戦後の日本はアメリカ追従体勢であることを知っていても、日本に対しては感情が良い人々は多いです。
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親日国フィンランドとは?東郷ビールとは?現地訪問にて直接体験した事?

親日国フィンランドを訪問し、10日程滞在しました。
行った場所は首都の­ヘルシンキ、古都のトゥルク、タンペレ、サンタクロース村で有名なロヴァニエミ。

しばらく滞在して気がついた事は、笑顔で接してくれてかなり親切であるという事です。
フ­ィンランドの前はスウェーデンにいたが、人々は親切であった。しかし、そこと比べても­何かが違う。

道が分からなければ目的地まで連れて行ってくれたり、写真を撮影を手伝っ­てくれたり。何かを感じていた。ここにくるまで、フィンランドが親日国であると知らな­かったのですが。

首都のヘルシンキ市内にあるとあるバーに行った時の事、突然、60代と思われるフィンランド人男性に話しかけられ、「TOHGO?」と言われました。トウゴウ??­なんで日本人の苗字をいっているのか不思議であったが、話しをしていくうちに真実を知­りました。

そしてなぜ親日なのか??それはフィンランドの歴史的な背景が裏にあります。
かつて­、このフィンランドは、大国ロシアに支配をされていた時代がある。日露戦争で、我々日­本人は、有色人種で初めて白色人種を負かした戦いであった。この日露での勝利が、アジ­ア、アフリカだけでなく当時、帝政ロシアの支配下にあったフィンランド、バルト3国、­ロシアの強い影響下に置かれていた東欧各国に勇気と希望を与えました。

日露ののちにフィン­ランドは独立戦争を起こし、ロシアからの独立に成功する。第二次世界大戦中は、日独伊­と同じ枢軸国として日本の同じ陣営で戦う。(主に対ソ連)この国ではかつて、東郷平八­郎元帥のラベルが現地のビール瓶に張られ、英雄視されていたほどであります。
日本人からの­通称は東郷ビール!フィンランドではアミラーリと呼ばれるビールであります。
アミラーリのビールにはフィンランド­や他国の著名軍人をラベルに貼っていました。そのうちの一つが東郷元帥。

東郷元帥は日露の英雄。当時、日露で極東の小さな国である日本が大国ロシア(フィンラ­ンド、東欧、バルト3国、トルコ等がその力に悩まされていた。)に勝利をし、それに感­銘を受けたフィンランド人。

東郷平八郎元帥を敬い、ラベルにした。現在では東郷ビール­は生産していない。しかし、日本で生産しておりインターネットで買う事が出来ます。
日本­の文化、製品も多く入り、親日、知日派が多い。実際、この国に10日程滞在して、多く­のフィンランド人と出会い、交流しましたが、それを感じました。
最近の若者は東郷元帥に関して­知らない人も多くなったが、50代以上の多くの人々は知っているようです。

【海外日本関連物】タイ・バンコク・東京条約締結後に建てられた戦勝記念塔

戦勝記念塔とは、タイ王国のバンコク、ラーチャテーウィー区にある記念塔である。

1940年に起こったタイ・フランス領インドシナ紛争でフランス軍と戦って戦没したタイ王国軍兵士を慰霊するために、1941年にタイ王国の首都、バンコクに建てられた。
東京条約が2国間で結ばれ、日本がかんせんした。東京条約(とうきょうじょうやく)はタイ王国とフランス(ヴィシー政権)の間で勃発したタイ・フランス領インドシナ紛争の結果、日本の仲介により東京において1941年5月9日に締結された条約。
第二次世界大戦下において勃発した、友好国同士の紛争による両国の国力の疲弊を憂慮した日本による仲介が行われた結果、停戦と領土問題の解決を含む条約が結ばれ、これをもって紛争は終結した。

条約の結果、タイ王国は当初の要求通りフランス領インドシナのラオスメコン川右岸及びカンボジアのバッタンバン・シエムリアプ両州を獲得し、事実上の戦勝国となった。
しかし、その後第二次世界大戦に枢軸国として参戦したタイは1945年8月の終戦により敗戦国となったため、フランスに返還した。しかしフランスも第一次インドシナ戦争に敗北したため、これらの地を独立したカンボジアとラオスに引き渡した。

バングラデシュ・ダッカ中心街のデモ(ホッタール)の様子!

バングラデシュの首都のダッカでは毎日のようにホッタールと呼ばれるデモがおこっています。現地実録映像!最近ではIS系の活動も盛んになってきています。

ベトナム・クチトンネルにてM16などの自動小銃やマシンガンが試射できる

ベトナム・クチトンネルにてM16自動小銃試射

ベトナムのクチはベトナムの南都のホーチミンから車で1時間30分程の距離にあります。
ベトナム戦争では、ベトコンが大きな米兵相手にトンネルを掘りゲリラ戦を展開したところとしても知られます。
ベトナム戦争での痕跡を知ることが出来るクチトンネルですが、M16やAK47等の自動小銃(ライフル)M1 Garandなども。)、他にもM60などのマシンガンもおかれており、試射出来ます。

タイ・パーイ・中国国民党残党勢力(KMT)の村!

タイ北部の山あいの小さな町・パーイにある中国国民党の残党(KMT)勢力の村に潜入!場所はパーイの中心街から4キロ程の距離にあります。中には商店や飲食店があります。

戦後、中国共産党と国民党は争い、中共が勝利し実権を握りました。
その結果、蒋介石率いる部隊は台湾に逃れ、南西部にいた部隊はビルマに逃れました。

しかし、中国共産党とつながりを深めたビルマ政府軍に追いやられ、中国国民党の残党勢力はタイ北部に逃れました。
彼らは、武装したまま、居座り集落を形成。麻薬売買(ゴールデントライアングルは有名)等で生計をたてておりました。

中国共産党の残党勢力(KMT)は、武装訓練もおこない武装したまま数十年がたちました。いつ大陸に攻めこんでもよいように機会を伺っていたようですが、1987年にタイ政府との交渉で、武装解除、タイ国籍取得。
いまではほのぼのと暮らしております。
隣には山岳少数民族リス族の村が隣にあります。

【タイ全土に治安注意喚起】爆弾テロが頻発!

【タイ全土に治安注意喚起が】最近、タイでの爆弾テロが多発しているようです。これは一昔前からあった事ではありますが、先月は多くの場所で起こったようです。

今までに、いわゆるタクシン派VS反タクシン派による政治的争いが原因となっている爆弾テロはバンコク市内でたまにおこっていました。昨年8月のバンコク市内の20名以上が亡くなったエラワン屛爆破に関しては、中国から亡命してきたウイグル人があちらに強制送還された事がもとで、ウイグル人が犯行に及んだようです。

タイの南部ではタイからの独立を叫ぶイスラムの過激派が活動しており、頻繁に爆弾テロをおこしております。南部のパッタニー、ヤラー、ナラティワート県は日本の外務省が上から二番目の渡航中止(渡航をやめてください)となっており、一般人は近づかないのが無難です。

注視すべき点としては、日本人観光客もいくホアヒンやプーケット(パトンビーチが集中的に狙われてる)においても複数回爆弾テロがあり、死傷者が出ている点です。

私は、かつてバンコクに駐在していましたし、タイの北から南までかなりの場所を訪問しました。近々では、昨年10月にバンコク、チェンマイ、パーイ、クンユアム、メーホンソーン、プーケット、ピピ島、今年4月にバンコク、プーケット、ピピ島、ランタ島です。

今までに訪れたのは、バンコク、プーケット、パタヤ、サメット,ホアヒン,チェンマイ、スコタイ、カンチャナブリ,ランタ島、ハジャイ 、サトゥーン、クラビ、ランタ島、サトゥーン、ハジャイ、パーイ、クンユアム、メ―ホンソーン、ピピ島

渡航中止勧告の出ている南部三県も訪問しました。爆弾テロの被害に遭うのも運命ですが、命を大切にされる方は、爆弾テロが頻発している地域には近づかないのが無難でしょう。

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タイ・カンチャナブリー・日本軍敷設・泰麺鉄道!クウェー川鉄橋橋!

今も使われている鉄道!5年半年ぶりにタイとビルマ(ミャンマー)の国境地帯に近いカンチャナブリーを訪問しました。ここは、多くの方々がご存知だとは思いますが、先の大戦下において、ビルマへ軍需物資を運ぶために、日本軍により敷かれた泰麺鉄道の場所です。

連合国の戦勝国史観で語られている映画「戦場にかける橋」の舞台となった場所であります。
実際に連合国軍の捕虜を使い鉄道を敷設したのは事実です。そのほかに、賃金を払い現地タイや他の東南アジアの人々が鉄道敷設に関わりました。
バンコク郊外からビルマのタンビュッザヤまで結ぶ415キロの鉄道路線。
現在もカンチャナブリーから80キロ先のナムトックまで列車が分こうしており、人々の足となっております。

ちなみに一番最初に出来たのは、昭和18年2月にまず木造橋が出来ました。(3か月で出来た事で有名な橋)その2か月後には100メートル先に鉄橋が出来ました。
しかし、昭和19年2月~6月に連合国軍の爆撃により使用不能に。戦後、昭和25年に日本が再建したものが現在の鉄橋です。

多くの方がご存知だとは思いますが、靖国の遊就館に飾られている蒸気機関車はこの泰麺鉄道で実際につかわれていたものです。

いくつかの戦争博物館があるのですが、アメリカがかなり入り込んでいるのが分かりました。アメリカ、イギリスを始めとした連合国GHQが戦勝国史観で大袈裟にかかれているのは目にみえてわかりました。日本軍を何がなんでも悪者にしようと。
勝てば官軍、負ければ賊軍とはまさにこのことです。これは幕末の倒幕派VS佐幕派の戦いをみてもわかります。
日清、日露での日本の勝利は日本は悪くいわれません。それは勝者であるから。

しかし、事実な事は、日本軍が執拗に拷問したというのは嘘で極一部いう事を聞かない捕虜に対してだとは思いますが、コレラ等の疫病、伝染病で多くの人々が亡くなったのは事実です。

伝染病ですから広まりますからね。カンチャナブリーは本当に暑いです。自分も脱水症状を起こしそうになるくらい汗をかいたものです。猛暑の中の作業は確かに過酷であったとは思います。
かつての光景が脳裏をかすりました。