国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

海外での日本人の偉業

【両陛下車両王宮入場】天皇皇后両陛下!タイ・バンコクの御訪問!故プミポン国王への弔問!平成29年(2017年)3月5日!

【両陛下車両王宮入場】天皇皇后両陛下!親日国ベトナムから親日国タイへのご訪問⑤バンコクの王宮!故プミポン国王への弔問!平成29年(2017年)3月5日!

The Japanese emperor and empress are coming to Bangkok in Thailand from vietnam tomorrow. Ex-Thai king Bhumibol Adulyadej(ภูมิพลอดุลยเดช) passed away last October and They will see him and will pray for the his soul. Also,They will meet the New Thai king.

天皇皇后両陛下のベトナム&タイへの行幸啓。ベトナムは初めてのご訪問とのことですが、ベトナムで手厚いもてなしをうけたようで1人の日本人として、ベトナムに赴任経験がある身として非常に嬉しく思います。

そしてその帰路でタイ王国を訪問されました。
昨年10月のプミポン国王の崩御に際し、半世紀以上にわたり交流のあったプミポン国王を偲び、同国王への最後のお別れ、新国王ワチラロンコン陛下に弔意を表しました。

陛下は皇太子時代から数えて何度をタイを行幸されていますが久しぶりのタイ御訪問。

昔から日本の皇室とタイの王室の繋がりが深く、双方が両国を往来していました。
特に秋篠宮文仁親王殿下は調査研究のために何度もタイへ行啓されています。
https://www.youtube.com/watch?v=-pp8Y6j6LVk

ブータン・パロ!農業の父、ダショーとして尊敬されている日本人・西岡京治氏のお墓

【ブータンの農業の父・ダショーと呼ばれる日本人・西岡京治氏】
ブータンが親日国というのは事実ですが、その最大の要因はブータンの農業の父・ダショーと呼ばれる日本人・西岡京治氏の功績だと現地踏査の結果わかりました。

西岡氏は日本統治時代の昭和8年(1933年)に朝鮮の京城(現在のソウル)で解剖学者の西岡辰蔵・利恵夫妻の長男として生まれました。

大阪府立大学、大学院卒業後、高校の教師として勤めた後に、昭和39年(1964年)に海外技術協力事業団(現・国際協力機構)のコロンボ・プランの農業指導者として夫人とともに赴任。

ブータンに赴任当初は、インド人が大半を占める農業局から冷遇を受け、試験農場すらまともに用意されませんでした。

切磋琢磨しながらも、日本から導入した野菜の栽培および品種改良、荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力しました。
西岡氏の誠実な人柄と常にブータン人の立場でものを考えは、ブータン人の支持者を増やし、3代国王にも認められ、ボンデにデモンストレーション農場を造ることができました。

西岡氏の振興策は援助側の一方的な施策の押し付けではなく現地の実状に即した漸進的なものでした。

当初2年の赴任の予定がブータン側の要望で平成4年(1992年)に59歳で氏が敗血症で亡くなるまで28年間に引き延ばされてました。(人生の半分近くはブータンに居住)

昭和55年(1980年)に西岡氏は4代国王より最高の爵位である「ダショー」を授かり、同国において唯一にして史上初の外国人受爵者となりました。

西岡氏が亡くなられた平成4年(1992年)3月26日にブータン王室およびブータン政府によって西岡京治の国葬が執り行われ、遺体は夫人の意向に従ってパロ盆地が見渡せる丘に埋葬されました。

平成22年(2010年)に在留邦人有志により、再整備がおこなわれました。

仏塔にて合掌させていただきました。

一個人ででここまで国を動かすのはすごいことです。

西岡氏に関しては、若い世代や僻地に住み、教育を受けてない人々以外には絶対的な知名度ど人気を誇っており、ブータンの人々から「ダショー・ニシオカ、ニシオカさん」と呼ばれています。

28年間にわたって日本から導入した野菜や米の栽培および品種改良、荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力しました。

日本から持ち込んだものとして
ビニールハウス、有刺鉄線などもあります。
ブータンの農業発展に多大な貢献をした西岡氏は今もなお、ブータンの人々の中で語られています。

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台湾で神様になった日本人!森川清治郎巡査が祀られる嘉義県の富安宮

旅のWEBメディア「たびねす」に記事寄稿!今回のお題は、台湾で神様になった日本人!森川清治郎巡査が祀られる嘉義県の富安宮

親日家が多い台湾。そんな台湾で尊敬される日本人の1人が森川清治郎巡査です。日本統治時代1897年に渡台し、嘉義県副瀬村の派出所勤務となった巡査は、治安改善や教育改善等、村の発展に貢献。村の中心にある富安宮は、森川巡査が亡くなった後に巡査を慕う地元の人々により建てられ、巡査は土地神として祀られています。

今回は、台湾の人々に尊敬されている森川清治郎巡査が祀られる富安宮をご紹介いたします。

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たびねす記事

タイ・バンコク・日本からのODA援助に対しての感謝の碑(地下鉄)

タイは他のアジア諸国と同じように日本が最大のODA援助国です。
タイのバンコクはBTS高架電車は1999年、地下鉄は2004年に開業。

地下鉄に関して、日本国政府が資金と技術援助をしたのですが、日本のODA援助に対しての感謝の碑。
地下鉄駅全てにあります。

撮影場所は地下鉄スクンビット駅。

日本は今までアジア各国、東欧、バルト三国、旧ユーゴ諸国、中東、アフリカ、中南米、太平洋等諸国に多大なODA援助をしてそれら国々の発展に寄与してきました。
極一部(某2国)をのぞいてほぼ全ての国で日本のODA援助に対しての感謝の碑を設置して、日本からの援助で出来た旨を国民に伝えています。

日本の血税から出たODAの援助金。(無償援助も多いですが、有償援助も結構ある)
これによりそれら国々の対日感情が向上、外交で有利に働く、日系企業の経済活動も優先される等の利点もあります。

資金は日本からの拠出金、建設は日本のゼネコンが建設するなど。日本のゼネコンに金が落ちてもいる。

世界各地でこういった日本のODA援助に対しての感謝の碑を見て画像と映像におさめてきました。

タイ・バンコク・地下鉄駅構内にある日本のODA援助に対しての感謝の碑

タイを訪問時に毎回アップしているものですが、タイは他のアジア諸国と同じように日本が最大のODA援助国です。
タイのバンコクはBTS高架電車は1999年、地下鉄は2004年に開業。

地下鉄に関して、日本国政府が資金と技術援助をしたのですが、日本のODA援助に対しての感謝の碑。
地下鉄駅全てにあります。

撮影場所は地下鉄スクンビット駅。

日本は今までアジア各国、東欧、バルト三国、旧ユーゴ諸国、中東、アフリカ、中南米、太平洋等諸国に多大なODA援助をしてそれら国々の発展に寄与してきました。
極一部(某2国)をのぞいてほぼ全ての国で日本のODA援助に対しての感謝の碑を設置して、日本からの援助で出来た旨を国民に伝えています。

日本の血税から出たODAの援助金。(無償援助も多いですが、有償援助も結構ある)
これによりそれら国々の対日感情が向上、外交で有利に働く、日系企業の経済活動も優先される等の利点もあります。

資金は日本からの拠出金、建設は日本のゼネコンが建設するなど。日本のゼネコンに金が落ちてもいる。

世界各地でこういった日本のODA援助に対しての感謝の碑を見て画像と映像におさめてきました。
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世界の多くの国々に好かれる日本?世界には数多くの親日国があるのか?

世界で好かれる日本!東南アジア諸国の人々は日本をどう思っているのか?

タイ、ベトナム、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、ラオス、カンボジア、シンガポール、ミャンマー、スリランカ、バングラデシュ、インド、フィリピン現地聞き取り取材

台湾で尊敬される日本人!台湾・福瀬村!森川清治郎巡査が祀られる台湾・嘉義県福瀬村の富安宮

台湾には数多くの日本人が尊敬されていますが、そのうちの1人が森川清治郎巡査です。

場所はどこにあるのかというと嘉義県の東石郷福瀬村です。
交通の便は悪いので、嘉義からタクシーを利用し、高速も使い30分程で到着。(距離でいうと40キロくらいはあると思います。)
タクシー代だけでも往復5000円くらいかかりました。でも行って本当によかったです。

それでは、台湾人にいまでも尊敬される森川清治郎巡査とはどんな方なのでしょうか。

1861年(文久6年)に横浜に生まれた森川巡査(農家の生まれ)
日本統治後の1897年(明治30年)に台湾へ渡りました。そしてここ福瀬村の派出所勤務となりました。

当時は、劣悪な治安であったようですが、治安改善に尽力。そして私費を投じて、教科書を日本より取り寄せて、寺子屋を開き当時、村民のほとんどが文盲であったなか、住民に読み書きを教えました。衛生教育にも熱心でした。

村人が海で溺れているとの通報で、真っ先に海に飛び込み、助けに入ったこともありました。これにより、村人達から非常に尊敬されるようになりました。

明治34年(1901年)に台湾総督府は漁業税を設けました。福瀬村は海岸からも近く漁民が中心の村です。人々の生活は貧しく、漁業税をもうければ、村人の生活がたちいかなくなる可能性が高かったのです。(村人達の訴えもあった)

村の窮状をしっている森川巡査は、嘉義庁東石港支庁へ赴き、減税を求めたが、当時の支庁長は、住民を扇動し、謀反を起こそうとしているとして要請を跳ね除けた上、森川巡査を訓戒処分に処し徴税を重ねて命じました。

これに村人達に責任を感じた森川巡査は、翌年、自決を遂げました。村の人々の要望に応える事が出来なかった責任を感じ、自らの命を絶って責任をとったのです。これを知った村人達は非常に悲しみました。

その21年後、大正12年(1923年)に福瀬村でコレラ脳炎等の伝染病がはやりました。この時に村人の夢枕に森川が警察官の服装で現れ、「環境衛生に心がけ、飲食に注意し、生水、生ものを口にせぬこと」というお告げの内容を村民に告げたのです。村民がこれを守ったところ、伝染病の流行をまぬがれる事ができました。

義愛公として富安宮という立派な廟を村に建立し、森川巡査が祀られています。日本人は場所柄あまり訪れませんが、台湾の方々(内省人)が多く観光バスなどで訪れています。台湾で非常に尊敬される日本人の1人です。

【日本政府がブルガリアに50本の桜を贈呈した事に対する記念碑】世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第5話!

【日本政府がブルガリアに50本の桜を贈呈した事に対する記念碑】

場所はソフィア市内にあります。(現地にて撮影)春になれば桜が咲きます。
親日的な国であるブルガリア!様々な理由があります。ブルガリアと日本の関係は、19世紀までさかのぼります。19世紀末より公式関係にありました。
第一次世界大戦では日本は連合国側にて参戦、ブルガリアは枢軸国側で敵対関係にありましたが、直接的な交戦はありませんでした。第二次世界大戦下では、日本とブルガリアは同じ枢軸国で味方同士でした。
しかし、1944年9月のブルガリアクーデター(英語版)により、ブルガリア王国政府が枢軸国から離脱したため、国交は断絶されました。戦後、旧ソの影響を受けて共産社会主義国家として歩んだのですが、1959年9月に15年ぶりに国交が回復されました。
共産社会主義体制当時からブルガリアは親日的であり、冷戦中も両国は敵対関係になることなく良好な関係を維持してきました。これは、周辺のハンガリー、チェコ、スロバキア、ルーマニア、ポーランド等の国々も同じです。
ソフィアで宿泊したマリネラホテルが1979年当初、日本政府のブルガリア政府観光庁への支援もあり、日本の御三家ホテルであるニューオータニホテルが建てたとお伝えしました。(設計は黒川紀章)ホテル内部には立派な日本庭園もあり、人々を魅了しています。
現在、在ブルガリア日本人は140人程、在日ブルガリア人は400名程です。年間にブルガリアを訪れる邦人の数は11000人程。そのうち9000千人は観光で訪れています。
ブルガリアでは日本の文化に関心が持つ人々が多いです。これは、欧州全土、特に東欧、バルト三国、南欧です。(実際に現地視察調査して分かった結果です。)
ブルガリアでは、琴欧州でも有名な相撲・欧州で人気を博している剣道・茶道・漫画とアニメ・俳句などをおこなう団体が数多くあいります。現地訪問した何人かのブルガリア人女性に話しかけられましたが、日本の文化やア二メに興味があるブルガリア人でした。

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【文章&写真】

〚略歴〛タイ⑬

国際ジャーナリスト
大川原 明(おおかわら あきら)
昭和五十四年(一九七九年)九月
静岡県生まれ
専修大学経営学部経営学科卒
大学卒業後、新卒で大手旅行会社入社、退職後、世界各地を調査渡航。
世界六〇か国訪問。今年中に百か国突破予定。
海外在住歴は留学、仕事で長期4か国計6年
世界一周後、日本一周(現在、四一都道府県訪問済み)国内外において、写真と動画双方にて撮影。証拠撮り。
※写真は全て、私自身が、現地調査によって撮影してきたものです。

 

上記記事に関しての質問や問い合わせ、取材、記事寄稿依頼、講演依頼等ありましたら

下記までご連絡ください。

大川原 明(オオカワラ アキラ)

E-mail:last-samurai-akira@hotmail.co.jp

携帯電話:090-6078-6677





 

フィリピン・マニラ・セブ!日本のODA援助で建設された橋(マルセロ・フェルナン橋)!

フィリピンのセブ。中心のセブシティーがあるのがセブ島。空港とリゾートが立ち並ぶのがマクタン島です。この両島を結んでいる橋がマルセロ・フェルナン橋(第二マンダウエ・マクタン大橋です。)
この橋は、日本のODAによる資金と日本の技術援助により建設された橋です。橋の長さと高低差があり、橋脚もしっかりしています。

フィリピンにある長大なプレストレスト・コンクリート橋(エクストラドーズド橋)。マクタン・セブ国際空港やビーチリゾートのあるマクタン島のラプ=ラプ市と、セブ島のマンダウエ市とを結ぶ。セブ市を中心とするフィリピン第二の大都市圏メトロ・セブの交通網の一部をなす。
マクタン島とセブ島の間には1973年にマクタン=マンダウエ橋が架かっているが渋滞が激しいため、二本目の橋として1999年8月に開通した。橋の長さは1,237mで、中央径間は185m。4車線の車道と歩道がある。フィリピンではもっとも幅が広く長い橋の一つであり、日本の円借款と日本企業の施工により完成した。橋の名は、セブ市の有力な政治家で上院議員でもあるマルセロ・フェルナンの名にちなむ。

そんな中、日本にたいする感謝の気持ちをこめてこのような碑があります。フィリピンにはこのような日本への感謝の碑をいたるところで見ることが出来ます。
今まで世界各地を訪問し、タイ、ラオス、ベトナム、スリランカ、バングラデシュ、パラオ、コソボ、セルビア等でこれらの碑をみて撮影をしてきました。

【実録】日本の援助が入るインド・デリーの地下鉄

デリーの地下鉄乗車。インドの首都のデリーは地下鉄が走っています。インド国内だと他にカルカッタやムンバイでも。デリーでは、2002年にレッドラインが開業し、それ以降路線を増やしてきました。現在、路線は6本あり、総延長約193km、駅は148ある。地下鉄とはいうものの、高架橋や地平区間が多く、純粋な地下駅は38駅あります。

建設費用は日本のODA援助(円借款)による割合が大きく(ムンバイでは建設費用の5割が円借款)日本の費用が使われています。日本の国際協力機構を通じた東京メトロの情報提供を通じて、デリー・メトロ側が採用。

広軌に関しては、三菱電機、三菱商事による外資系コンソーシアムが落札し、三菱電機が電装品を納入。
乗車方式は日本の地下鉄などと同じであり、駅の券売機もしくは窓口で乗車券を購入後、自動改札機に通してホームへと向かうものとなっています。運賃は距離に比例して高くなる方式です。

日本の援助が入っているのですが、タイのバンコクやアジアの他国のように日の丸とインドの国旗をプレートにつけて説明書きをいれてほしいと思いました。(これも親日家をつくるのに必要なことです。円借款であっても日本の国税が使われてますからね。)

日本と同じく朝夕は通勤ラッシュで混みますが、日本人のように遅くまで働く日とは少ないです。(東京などでは残業で帰りが22時~24時になることは当たり前ですが。夜遅くでも混んでいますが、デリーはその時間はそうでもない。)

使い心地はよかったです。ただ、運転はインドらしかったですWブレーキのかけかたとか。あと、平気で横入りしてくるなW日本ではしっかりと整列するんですがW席の取り合いがすごい。