国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

海外の歓楽街

旧ユーゴ・クロアチアの首都のザグレブ市街地!綺麗な都市!?

旧ユーゴスラビア・クロアチアの首都のザグレブ。
市街地の人口は70万程、市域を合わせると80万程、都市圏では110万人程の東欧、旧ユーゴの中では大きな都市です。

日本の京都と姉妹都市を結んでおり、日本の大使館も市街地にあります。
観光客が訪れるような観光都市ではありませんが、1979年に世界遺産に認定されたプリトヴィッセ国立公園に行く際の拠点になります。
個人で行く場合、ザグレブの旅行会社でプリトヴィッセのツアー(英語)に申し込むとよいでしょう。

【普通の日本人が行かない国】欧州の小国アンドラ公国!スペインとフランスに挟まれた国!

普通の日本人が訪れる事のない欧州のスペインとフランスに挟まれた小国アンドラ公国。

アンドラに行くには、スペインのバルセロナの北駅からバスかフランスのトゥールーズからバス行く方法がありますが。バルセロナからのほうが便はよいです。

バルセロナからだとバルセロナ北バスターミナルから毎日バスが出ていますが、所要時間は3時間~4時間程。(交通状況により)

アンドラは山々の景色が美しいのですが、ハイキングなども楽しむ事が出来ます。

欧州に未だに複数残る公国ですが、
フランス大統領とスペインのウルヘル司教を国家元首とする国家で1993年6月にフランスとスペインにより国家承認され独立。同年7月に国連委加盟。
首都はアンドラ・ラ・ベリャ。

日本は1993年12月にアンドラを国家承認し、1995年10月に両国間の外交関係が築かれました。アンドラにおける日本の代表部は、在フランス日本国大使館が兼轄しています。

日本との関係は、日本人のアンドラへの渡航は、在スペイン及び在フランス日本人によるものを中心に年間数千人程度とみられています。

欧州には一般に小国がいくつか点在しています。
そのうち3つは立憲君主制の公国です。
欧州の小国は下記

1.モナコ公国
2.アンドラ公国
3.リヒテンシュタイン公国
4.バチカン市国
5.サンマリノ共和国

上記欧州の小国は全て訪問しましたが
皆さんも機会があれば訪れてみてください。

インドネシア・バリ島・クタ地区(ビーチ~夜の繁華街総集編動画)

インドネシアのビーチリゾートであるバリ島。
クタ、ジンバラン、ウブド、ヌサドゥア、ブノア、ウルワツなど様々なお薦めの場所がありますが、日本人だけでなく欧米人にも人気のバリ島。新婚旅行先としても人気の高い場所です。

宗教は他のインドネシアとは異なりヒンズー教。
他のインドネシアとは少し違った雰囲気が味わえます。

そんなバリ島で一番賑やかなのがクタ地区。
多くの宿泊施設、飲食店、お土産屋、マッサージ屋などがあり
多くの観光客で賑わう地区です。

ビーチ自体はバリ島の他のビーチと比べると綺麗度は落ちますが
賑やかな雰囲気やお手頃価格の宿を求めるのであればクタ地区です。
せっかくなので、クタ地区からバリ島の様々な名所も訪れてみましょう。

【コソボ紛争の国】旧ユーゴスラビア・コソボ・北西部最大都市ペヤ市・市街地!

コソボ北西部最大都市のペヤ。UNESCOの世界遺産に登録されているペーチ総主教修道院がある事でも知られる都市です。
基礎自治体を合わせた人口は10万人弱。

歴史的には農業活動の拠点であり、銅細工職人、金細工職人、靴職人、皮なめし工、馬具工などの伝統職人による工芸品が多く生産されました。

ステファン・ウロシュ4世の統治時代に中世セルビア王国の宗教的中心地となり、セルビア正教会の総主教座が1346年に置かれました。
これは1766年にペーチ教区が廃止されるまで続きました。

その後、オスマン朝による5世紀に渡る支配を経て
第一次バルカン戦争においてオスマン朝時代の終焉を迎え、モンテネグロによる支配⇒オーストリア・ハンガリー帝国⇒第一次世界大戦後、町はセルブ=クロアート=スロヴェーン王国の一部となりました。

1931年から1941年までの間、ペヤはユーゴスラビアのゼタ州の一部となり、第二次世界大戦の間、ペヤはイタリア支配下のアルバニアに占領されました。
大戦後にペヤはユーゴスラビア連邦のセルビア人民共和国の一部となりました。

多数派を占めるアルバニア人とセルビア人との間では、20世紀を通してしばしば緊張関係となっていましたが、その緊張関係は1999年のコソボ紛争でピークを迎え、町はこの間に膨大な被害を受け、多くの死者が発生しました。

2004年のコソボ暴動でも重大な被害を受けました。

現在は情勢は落ち着いており、復興も進んでいますが、至るところで紛争の傷跡を見る事が出来ます。

コソボ紛争の地!旧ユーゴスラビア・コソボ・南西部最大都市プリズレン市の見所が分かる総集編映像!

コソボ南西部中心都市であるプリズ­レ­ン。
住民の大半がアルバニア系コソボ人。
人口は17万人程。基礎自治体を合わせた人口は22万人程でアルバニアやマケドニアとの国境からも近い都市。

市内にはオスマン朝時代に建てられた石橋やモスクがあり
早朝や夕方にアッラーの掛け声が聞こえてきます。
お薦めの場所はプリズレン市街地を見渡す事が出来る城塞。
徒歩でいくには体力がいりますが、城塞からの景色は最高です。

コソボ紛争では甚大な被害を受けたプリズレンですが復興しています。
紛争時にNATOがコソボの味方をして
セルビアの首都のベオグラードを空爆しましたが、コソボ独立後(セルビアはコソボの独立を認めていない=その背後にいるのはロシアなど)もNATO傘下の軍隊KFORが駐留。
ドイツ兵などが守っています。

クロアチアのドブロブニクの旧市街(世界遺産)!スルジ山山頂からの夜景!

旧ユーゴスラビア構成国の一国であるクロアチアのドブロブニク。
旧市街西側にあるスルジ山にゴンドラを使いのぼり、そこから旧市街と夕日&夜景を堪能。
ドブロブニクの旧市街が世界遺産に認定されており、欧州内だけでなく、最近では日本やアメリカ人にも人気の場所になっています。
新婚旅行でドブロブニクを選ぶ人々も増えています。

欧州はアイスランド、ロシア、旧ソ構成国をのぞき全て訪問しましたが、その中でもお薦めの都市がクロアチアのドブロブニクです。

2回目のドブロブニクは
同じく旧ユーゴのモンテネグロのコトルからバスを使い移動。
ドブロブニクに2泊した後に
夜行発翌朝着のフェリーを使いイタリアのバーリへ。
バーリからイタリアの首都のローマまではイタリアの高速列車フレッチャロッサなどを使用。

 

【日本の?】ラオス・首都のビエンチャン市街地!

日本人には馴染みが薄い国ラオス。
ラオスは、かつてフランスの植民地だった時代がありますが、
先の大戦ではフランスのヴィシー政権と協定を結んだ日本が占領。(仏印進駐)

ビエンチャンの市域を合わせた人口は70万人程。
タイのバンコクと比べると静かではあるものの
他のアジア諸国と同じように発展をし続けている都市です。

【世界で2番目に小さい国家】モナコ公国!F1モナコグランプリコース、カジノ!

モナコ公国.
モナコは、西ヨーロッパの立憲君主制国家。都市国家であり、首都モナコ市がそのまま全領土となる、世界で2番目に小さな国家である。
国連加盟国の中では世界最小。

フランスの地中海沿岸地方コート・ダジュールのイタリアとの国境近くに位置すし、カジノやF1モナコグランプリ、WRC・ラリー・モンテカルロが開催されることで知られている。

人口は36000人程。
日本人ではサッカーの中田英寿氏が市民権を得て邸宅を構えて居住、他にテニスの伊達公子氏や著名な日本人が複数居住。

タックスへブンの国としても知られ、個人居住者に対して所得税を課していない。所得税がないため、モナコ国外からほとんどの収入を得ている富裕者の多くがこの国にやってくる。F1ドライバーなどの有名人も多いが、その多くは実業家である。

日本庭園が市街地にあるが是非とも訪れていただきたい場所の1つである。ビーチもあり、海水浴を楽しむのもよいだろう。
お金に余裕のある方はカジノに。国内外の著名人に出会える可能性があります。

【カナディアンロッキー山脈観光中心地】カナダ・バンフの中心街!

カナダのバンフのダウンタウン。人口8000人程の小さな町ですが観光客が国内外から押し寄せるので活気に満ちています。
日本人観光客の姿を多く見かけました。
この時期に家族4~5人でくれば総額が軽く100万は超しますね。普通のサラリーマンでは厳しいと思います。
現地在住30年の日本人とお話ししましたが
バブル時代は数多くの日本人がバンフを訪れたようです。
しかし、近年では日本人観光客が減少。
ここ10年で中国や韓国の観光客が増えたようです。

【ベトナム屋台飯】ベトナム・ホーチミン・ベトナム名物バインミー&ベトナムコーヒー!

ベトナムの名物となっているバインミー!
ベトナムはかつてフランスの植民地でしたが、その時に、フランスパンがベトナムに伝わりました。
バインミーはフランスパンにバター、パテを塗り、野菜をいれ魚醤で味付けするフランスパンを使用したベトナム風サンドイッチです。路上屋台で売られています。

もう1つ名物となっているのが
ベトナムコーヒー。
普通のコーヒーに比べて濃いコーヒーで
練乳を入れて甘くします。