国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

国際政治

平成29年(2017年)6月10日・東京都杉並区阿佐ヶ谷・プロボディーガード栗林寿行氏によるPodcastプロ・ボディーガード公開収録にゲスト出演(共同開催)

【詳細】
プロボディーガード栗林寿行氏によるPodcastプロ・ボディーガード公開収録

日時:平成29年(2017年)6月10日(土曜日)19時~
場所:東京都杉並区阿佐ヶ谷地域区民センター
JR中央線阿佐ヶ谷駅近く

お題:激動の時代を迎える世界
海外の治安と危険回避方法
国際事情に関して


講演会参加者は27名(会場が24名の小さい会場だったので定員超過でした)
講演会後に阿佐ヶ谷駅近くの居酒屋で懇親会を開催しました。
21時~開始しましたが深夜2時30分頃まで談笑しました。

講演会参加者の方々との交流(私のYouTubeチャンネル登録者中心)

6月10日(土)19時~!東京都杉並区阿佐ヶ谷地域区民センター!激動の時代を迎える世界!海外の治安と危険回避方法!

前に告知させていただいた
東京都心での講演開催決定しました。
詳細は下記です。

【詳細】
日時:平成29年(2017年)6月10日(土曜日)19時~
場所:東京都杉並区阿佐ヶ谷地域区民センター
JR中央線阿佐ヶ谷駅近く

お題:激動の時代を迎える世界
海外の治安と危険回避方法
国際事情に関して     2時間ですが、講演会後に近くの居酒屋等で懇親会を開催。

小さい会場の関係上、先着20名とさせていただきますが
参加希望の方は氏名と連絡先を明記の上、下記Eメールアドレスまでご連絡ください。

E-mail:last-samurai-akira@hotmail.co.jp

それでは参加をお待ちしています。

親日国パラオ・日米激戦地ペリリュー島で旧日本軍の戦車 !

第一次世界大戦に連合国として参加した日本は、第一次世界大戦では戦勝国となり、敗戦国となったドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオはドイツの植民地支配を脱し日本の委任統治領になりました。

30年近く日本の統治下であったパラオですが、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路などのインフラ整備を進めるとともに貨幣経済浸透と日本語教育がおこなわれました。

ペリリュー島は、旧首都がおかれていたコロール島の南西に位置している面積はおおよそ13km2の小さな島です。

昭和19年9月15日米軍によるペリリュー初上陸が行われました。
(海岸からの戦­艦等によるに艦砲射撃後がおこなわれたあとに上陸作戦が開始)。

米軍の計算では数日で陥落させる予定­が、一斉の日本軍の射撃、砲撃にあり反撃をくらい小さな島であるが陥落までに2か月以­上を要しました。

日本軍の死者約11000人、米軍の死傷者約8000人。
アメリカが攻めて来るのを事前に察知し、戦闘にペリリュー島民を巻きこまないように、­島民を本島のほうへ移しました。しかし、そんな中、一部のペリリュー島民はペリリュー­島決死隊を結成し、日本軍と一緒にアメリカと戦いました。

21世紀最初の独立国「東ティモール」の首都ディリで訪れるべき場所

WEBの旅メディア「たびねす」に記事寄稿!
今回のお題は、21世紀最初の独立国「東ティモール」の首都ディリで訪れるべき場所
21世紀最初の独立国である東ティモール。インドネシアの東にある小さな共和国です。1999年の東ティモール紛争、2006年~2008年の国内政治混乱で治安が悪化していた国ですが、2010年以降は政情が安定しています。国内には綺麗なビーチや山が多くあり、これからの観光開発に期待がもてる国です。
今回は皆様に、地球の歩き方でも扱っていない「東ティモール」の首都のディリで訪れるべき場所をお伝えします。

記事は下記をクリックして

ご確認ください。

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たびねす記事

【陸路越境】コソボ・プリズレン市→アルバニア・ドゥラス(デゥラス)行き国際バス!

セルビアから2008­年に独立したコソボに入国し、首都のプリシュティーナ、南西部中心都市であるプリズレ­ン、北西部中心都市のペヤの三都市を訪問。

コソボから欧州の秘境、欧州の北朝鮮と呼ばれていたアルバニアを訪問。
コソボのプリズレンにある旅行会社にて、バス予約をし、国際バスで陸路越境。

コソボのプリズレンからバスを使い5時間ほどで、アルバニア第2の都市でアルバニア最大の港湾都市&ビーチリゾートあるドゥラス(デュラス)へ。

アルバニアといえば1990年代にねずみ講蔓延(配当金をもとにアルバニア・マフィアが暗躍し、ボツニアヘルツェゴビナ紛争への武器購入、輸出等がおこなわれておりました。)し、その後1997年に経済破綻した国です。
国民の3分の1が全財産を失うという惨事にいたしました。
これによって政権が転覆し、無秩序状態となるという暴動が発生しました(アルバニア暴動)。

また、コソボ紛争時には同じアルバニア系のコソボを支援するために多くの人々がコソボへ赴きましたし、コソボから多くの難民が流入してきました。

ちなみに、コソボはアルバニア人主体の国です。
よって、アルバニアとコソボ両国間の仲はよく、越境する際の審査はゆるいものでした。
しかし、現在でも、コソボ紛争、アルバニア暴動時に使用された武器が国内で出回っており、時折、長期移動バスが、武装集団に襲われるという被害が出ております。

マケドニア、コソボ、モンテネグロ国境地帯には、ディナラ・アルプス山系の2000m級の山々が列を成しており、一番高い山はディバル地区にあるコラビ山で、2,753メートルに達します。

動画は、コソボとアルバニア国境地帯付近ですが、険しい山々が多いです。それとともに、コソボ紛争時に設置されたトーチカが今でも残っています。

パラオ・日米激戦地ペリリュー島の飛行場 !

パラオ・日米激戦地ペリリュー島の飛行場 !国際ジャーナリスト大川原 明!現地ルポ!

パラオ・ペリリュー島にある旧日本軍敷設の飛行場

第一次世界大戦に連合国として参加した日本は、第一次世界大戦では戦勝国となり、敗戦国となったドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオはドイツの植民地支配を脱し日本の委任統治領になりました。

30年近く日本の統治下であったパラオですが、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路などのインフラ整備を進めるとともに貨幣経済浸透と日本語教育がおこなわれました。

ペリリュー島は、旧首都がおかれていたコロール島の南西に位置している面積はおおよそ13km2の小さな島です。

昭和19年9月15日米軍によるペリリュー初上陸が行われました。
(海岸からの戦­艦等によるに艦砲射撃後がおこなわれたあとに上陸作戦が開始)。

米軍の計算では数日で陥落させる予定­が、一斉の日本軍の射撃、砲撃にあり反撃をくらい小さな島であるが陥落までに2か月以­上を要しました。

日本軍の死者約11000人、米軍の死傷者約8000人。
アメリカが攻めて来るのを事前に察知し、戦闘にペリリュー島民を巻きこまないように、­島民を本島のほうへ移しました。しかし、そんな中、一部のペリリュー島民はペリリュー­島決死隊を結成し、日本軍と一緒にアメリカと戦いました。

白人は東洋(アジア)人を見下しているのか?日本人は世界でどう思われてるのか?

白人は東洋人を見下しているのか?日本人は世界でどう思われてるのか?親日?反日?
視聴者の方から質問がありましたので回答させていただきます。