国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

11月

ヨーロッパの小国・リヒテンシュタイン・ファドゥーツの街

昨年、日本で殺害された霜見夫妻。スイスのチューリッヒ在住で投資顧問会社経営していたが、その会社の本社はこのリヒテンシュタインにありました。

平成24年(2012)年7月にスイスのチューリッヒを訪問の際に、そこから隣の小国リヒテンシュタインを訪問しました。

今回のテーマは

アキーラさん訪問!リヒテンシュタイン・ファドゥーツの街

 

リヒテンシュタインまで行くルートはいくつかあるのだが、一番良いのはスイスのチューリッヒから行くルートです。

まずは、こちらの電車でチューリッヒから1時間程の国境の町であるザルガンツへ。そこからバスで30分程でリヒテンシュタイン中心部まで到着。

こちらの電車でリヒテンシュタインへ

 

電車は乗り心地がよく、景色も素晴らしかった。景勝ルート

である。

バスも綺麗で、これまた素晴らしい車窓が楽しめる。

ファドーツ行きバス

この国は公国で貴族の侯爵がおり、リヒテンシュタイン城に今も住んでおります。

山の上にあり、景色抜群の立派なお城です。

住民はドイツ系が大半で、ゲルマン系のドイツ・アレマン人が86%、その他イタリア人、トルコ人などが14%です。

ファドゥーツ市街
世界で6番目に小さい国。ドイツのシュヴェービッシュ・アルプスの延長線上に連なり、国土は山がち(最高地点2599m)だが南風が卓越し比較的温暖である。西はライン川に沿ってスイス(ザンクト・ガレン州・グラウビュンデン州)、東はオーストリア(フォアアールベルク州)と接している

住宅街散策
インフォーメンションセンター付近
タックス・ヘイブンとしても知られ、税金免除を目的とした外国企業のペーパーカンパニーも集中(人口より法人企業数が多いと言われる)。これら法人税が税収の40%に及び、この結果、一般の国民には直接税(所得税、相続税、贈与税)がないとの事です。

よって、国民は裕福なのです。




国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

慰霊訪問!親日国パラオ・ペリリュー島(日米激戦地)・米軍初上陸地(オレンジビーチ)

今年(平成25年)6月にかつての日本の委任統治領であるパラオを訪問しました。

パラオ訪問時に、日米の激戦地になったペリリュー島を訪問しました。マラカル島からボートで約1時間程で到着しました。
船外機ボートはヤマハ(発動機)のものがほとんででたまにスズキ製品があります。これらに浜松に関連した会社の製品が世界のシェアを独占しております。基本的にどこにいってもヤマハ製を多く見かけます。
小型ボートをチャーターしました

 

日章旗と旭日旗を掲げた。
英霊の方々が歓迎してくれたのか清々しい天気でありました。昭和19年9月15日米軍によるペリリュー初上陸が行われた。(海岸からの戦艦等によるに艦砲射撃後に)。(オレンジビーチ)米軍の計算では数日で陥落させる予定が、一斉の日本軍の射撃、砲撃にあり反撃をくらい小さな島であるが陥落までに2か月以上を要した。日本軍の死者約11000人、米軍の死者約8000人。祖国を守るために戦われて命を落とした英霊の方々に感謝の意を表するとともに慰霊をさせていただきました。
ペリリュー島・米軍初上陸地

 

上記地点より南の地点。非常に綺麗な海でした
アメリカが攻めて来るのを事前に察知し、戦闘にペリリュー島民を巻きこまないように、島民を本島のほうへ移しました。しかし、そんな中、一部のペリリュー島民はペリリュー島決死隊を結成し、日本軍と一緒にアメリカと戦ったのでした。
日本は武士道精神を重んじた行動をしておりました。素晴らしい国・我らが日本

国際&旅行ジャーナリスト 大川原 明

島根県・松江城(現存天守12城の一つ)

  2013年(平成25年)10月11日~14日に山陰地方(島根・鳥取県)を旅行しました。

60年に1回おこなわれるという遷宮年である出雲大社への参拝が最大の目的であるが、他にも多くの場所を訪問しました。

鳥取県、島根県共に訪れ、鳥取では米子市、出雲市の出雲大社、境港、中海等を訪問。島根県では、宍道湖、松江市を訪問しました。

そのうちの一つが松江城です!

今回のテーマは

アキーラさんお薦め!島根県・松江城(現存天守12城の一つ)

松江城は、堀尾氏が建て、後に京極、譜代の松平となり松平の時代には10代以上続きました。

江戸時代はじめに建てられ、明治維新後に取り壊される予定であったが、松江藩士や地元豪農の嘆願てわ天守閣は存続しました。

 

天守閣をのぞむ

天守閣最上部からの松江市景色
日本国内に12ある現存天守の一つ。国の重要文化財。戦前までは、国宝だったのだが、現在、国宝に戻るように活動がおこなわれている。

内部に入ると江戸時代の面影が脳裏をかすりました。

内部

小泉八雲もこの地に住み、小泉八雲が住んだ家を訪問する事が出来ますし、武家屋敷跡もあり、風情が漂っています。

400年前に建てられ、現存しているというのは非常に重要です。再建されたものと比べて感動感が違います。

 

お茶と和菓子を楽しむ
石垣も立派









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ラオス・世界遺産ルアンパバーンの朝市

2011年5月にラオスを訪問した。
首都のビエンチャンバンビエン、そして世界遺産のルアンパパンを訪問した。
今回はその中でルアンパパンの朝市を紹介します。
今回のテーマは
アキーラさんお薦め!ラオス・世界遺産ルアンパバーンの朝市

ラオスの世界遺産ルアンパパーンに滞在した。
その際にホテルの近くの朝市がやっていたので眠い目をこすりながら、早起きしていってみた。
スッポン、昆虫、生きた鶏、トカゲ、野菜、魚等が売られていた。
こういった散策も面白い。

あまり日本人にとって馴染みがない国であるラオス!
ラオスはタイとカンボジア、ベトナム、ミャンマー、中国に囲まれている内陸国である。

近隣諸国の侵略、19世紀終わりにはフランスの保護国となる。

第二次世界大戦中に仏印に進出した日本は、ベトナム、カンボジア、ラオスとも、日本軍の影響が強くなり一時、日本の占領下におかれる

当時の日本軍もラオスに駐留した。

戦後、日本に見習い、再保護国化を図ったフランスからの脱却を図り、内戦、東西冷戦に巻き込まれ、1975年に社会主義国の国として独立する。隣国との争いは全世界共通でおこっている。
タイとは歴史的な背景があり、言語が似ており、タイ語が通じたりもする。

世界遺産のルアンパパーンは最近、注目されている都市である。1995年の世界遺産登録後、多くの観光客が訪れるようになる。街の規模は大きくなく、一日あれば大体の主要どころはいけそうな感じだ。フランスの植民地時にフランスの影響を受けて、建物もフランスの影響を受受けている。街は綺麗で落ち着いた感じでお洒落である。近くのメコン川の景色も素晴らしい。

国際&旅行ジャーナリスト 大川原 明
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アメリカ・ロサンゼルスの地下鉄!!

今回のテーマは
アキーラさん乗車!アメリカ・ロサンゼルスの地下鉄!!

アメリカのロサンゼルスに宿泊時に、ハリウッドにあるユニバーサルスタジオを訪れる際に地下鉄を利用しました。目
夜はギャングや浮浪者がたまり危ないみたいなので注意が必要であ­ります。
地下鉄では​ホームレスの人が脱尿(糞??)しており、匂いが車両に​充満しており、びっくりした。駅には駅員がおらず、夜はなるべく地下鉄を利​用しないほうが無難。叫び

2012年2月23日にアメリカ本土初上陸した。6年前にハワイには行った事があるが、アメリカ本土は初めてである。
6年前のイギリス以来となる、英語母国語国で久しぶり­に本場の英語漬けになった。(仕事や知り合いのネイティブ達には使っていたが)
今回、訪れたのはアメリカの西海岸最大の都市であるロサンゼルスとその周辺の都市である。こ­の辺りは気候が暖かく、ビーチもあり雰囲気がよかった。日系人も多く、ヒスパニックも多くエキゾチックな場所だった。べーっだ!

国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明





親日国パラオ・世界遺産ロックアイランド+大シャコ貝ツアー!

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親日国パラオにてロックアイランドと大シャコ貝ツアーに参加。ボートからの景色は最高であった。

今回のテーマは

アキーラさんお薦め!親日国パラオ・世界遺産ロックアイランド+大シャコ貝ツアー!

 

パラオといえば世界遺産ロックアイランドが有名です。

パラオを訪問した人々のほとんどがこの世界遺産のロックアイランドを訪問します。

平成25年(2013年)6月に9日間、太平洋に浮かぶかつての日本の委任統治領であるパラオを訪問しました。

ボート

ボートからの景色堪能

パラオはかつて、ドイツの委任統治領でしたが、第一次世界大戦でドイツが敗戦をした結果、日本がパラオの統治をゆだねられ、30年程日本の委任統治領で会った場所です。通称パラオは、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国である。首都はマルキョク。2006年10月7日に旧首都コロールから遷都した。

 

多くの島々があり、そこをボートですりぬけていきました。

途中、無人島によりそこで食事をとりました。

海はすごく綺麗でした。

 

無人島上陸
BBQの昼食

島でのんびりと過ごす

泳いでみました
シュノーケリングのポイントも連れていってもらえたのですが、

綺麗なサンゴ礁と熱帯魚を見る事が出来ました。

 

シューノ―ケリングを楽しみました。水中カメラで撮影
   

国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明 

 

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かつて、旅行会社で勤務経験のある自分がお薦め致します。クリックすると各会社の予約ページにいけ、そこから予約できます。
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アイルランド・ダブリンのパブ!

アイルランドダブリンへ2012年5月に訪問したアップダウン
宿は市内中心、リフィー川近くに宿泊した。得意げべーっだ!

宿の近くにあったアイリッシュパブを訪問した。バーと言ってしまっているが、このアイルランドはバーとは呼ばずパブというというそうだ。(このパブで現地在住日本人に出会い、それを聞いた。)目耳耳

今回のテーマは
アキーラさんお薦め!アイルランド・ダブリンのパブ

アイルランドの特産ビールである、ギネスビールを堪能した。ラブラブ!ドキドキラブラブべーっだ!
日本でもギネスビールを飲む事が出来るとこがあるので、知っている人も多いと思うし、飲んだ事がある人も多いと思う。日本には東京に多いが、HUBというパブがあるが、ここでギネスビールを飲む事が出来るのは有名。グッド!

訪れたパブは、テンプルバーと呼ばれる繁華街からも近いが、そこから徒歩3分程の場所にある。べーっだ!グッド!
ギネスビール堪能

ギネスは癖があるが、好きな人はすごく好きなビールである。
自分もギネスは好きで滞在中は、ギネスビールを多くのパブやレストランで飲んだ。得意げべーっだ!得意げ

パブで酒を飲んでいたら、多くの日本人が入店。何かと思って、日本人に話しかけた。留学やワーホリ等で来ている日本人の交流パーティーがおこなわれていた。おんぷQooooo
それに現地アイルランド人や他の国の人々も混じっていた。クラッカークラッカー

パブ内

ダブリンにはギネスビールの工場があり、そこを有料で見学できる。べーっだ!得意げ
見学ではギネスビールを飲む事が出来、ギネスビール好きの人で、ダブリンを訪れた際には、
ギネスビールの工場を訪れる事をお薦めする。ラブラブ!ドキドキラブラブパーグッド!

国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

 

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長野県建設業厚生年金基金事務局長タイへの逃亡・逮捕に関して!!国外逃亡先に人気のタイと風俗事情

タイはかつて仕事で1年3か月程駐在した土地である。

先日、長野県建設業厚生年金基金(長野市)で使途不明となっている掛け金約23億8千万円のうち約6400万円を着服したとして、長野県警は14日、業務上横領の疑いで、逃亡先のタイから帰国した同基金元事務長坂本芳信容疑者(56)を逮捕した。逃亡先のタイでタイ人女性にお金を使い込んだとの事である。

 

タイには多くの風俗店があり、中高年の日本人でもお金をつぎ込み彼女や愛人にしている事は多い。暴力団関係者をはじめ、犯罪者の逃亡先としてフィリピンと同じらいの人気がある。裏のルートも暗躍している。

そんなタイのバンコクの風俗街を徒歩散策。

  

 

 

親日国・タイ!!

  反日の中国、韓国、北朝鮮とは違い、国民の90パーセント以上が日本に対して好意的な感情を持つ国である。

 

気候は温暖で人々は穏やかで温かい。

バンコクは世界でも有数の国際都市で、多くの外国人が住んでいる。発展途上国ではあるが、日本のODA援助(技術と資金)によりこの国は発展してきている。(日本が一番のODA供与国)。日本に対しては感謝をしているので、東日本大震災の際に多額の寄付金が集まり、火力も無償援助をタイ側は申し出た。戦前から日本の皇室とタイの王室は仲が良い。2国間の貿易、人的移動も活発におこなわれている。このような国とは末長く仲良くやっていきたいものだ。

平成25年(2013年)6月タイ訪問時撮影

平成23年(2011年)5月に撮影

  それはさておき、ここソイカウボーイはSoi23とアソークの大通りの間にあり、BTSアソーク駅の近くにある。ちなみに仕事でバンコク駐在時にこの近くに会社があった。欧米人が主で日本人も多い(タニヤは日本人だらけ)。ゴーゴーバーが多くあり、若い綺麗な女の子が多い。タイというだけあって料金も安い。日本のキャバとは違い時間制ではなく、スナックのように席料も取られない。  席につき、お酒を頼み、女の子を横につけるのであれば、それなりのチップが必要になってくる。お酒代+で女の子が何か飲みたければ、日本のキャバと同じように おごらなければならない。楽しむのはいいが、あまり相手のペースに飲まれないように注意!!  モラルに欠ける行動を絶対にするなとは言い切れないですが、タイでは開放的なために性病も蔓延しているので(エイズ患者はタイで60万人 タイ人60人に1人の割合。=夜系の店の女の子に多い。)注意が必要です。エイズは隔世期間があるので、いつエイズに掛っているかわかりませんので注意!!

若い子供のようにあまり大きくハメをはずし過ぎないように気をつけましょう!! 程ほどが一番です!!

国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明
 

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バングラデシュ・ダッカ・北朝鮮政府直営・平譲レストラン 

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バングラデシュの首都のダッカ

ここには北朝鮮政府が直に経営する北朝鮮料理店がある。名前はピョンヤン。地球の歩き方にも載っている。 

今回のテーマは

アキーラさん利用!バングラデシュ・ダッカ・北朝鮮政府直営・平譲レストラン

実はこういった北朝鮮政府直経営のレストランアジアの多くの都市にある。 日本と北朝鮮は国交がない。それゆえ行き来が基本的には出来ない。(基本的にはだが。中国・東北地方からいけるルートがあるらしいが)

レストラン入口

 

しかし、本国から来た朝鮮人との交流はなかなか出来るものではない。敵国で国交がないが国際交流も含めて入ってみた。 

もしかしたら日本の若者の中に北朝鮮と韓国が同じ国だったのを知らない人もいるかもしれないが、2国の料理はほぼ同じである。一人で乗り込んだのでキムチや冷麺、ユッケビビンバを注文した。

店内・料理

営業スマイル

をしてきた。
敵国同士の国際交流もなかなかよいものだ。

国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

 

ベトナム戦争時の韓国人兵士の蛮行(強姦、虐殺、略奪等)!ライダイハン言及!現地調査にて

a href=”http://news.ameba.jp/20131113-52/” target=”_blank”>韓国 ベトナム戦争での「ライダイハン」を史実から消去画策


 国際情報誌『SAPIO』が12月号で『韓国が背負う「嘘の代償」』と題する大特集を行なっている。ここ……….≪続きを読む≫



ベトナム戦争時、韓国(南朝鮮)は日本からの援助金だけではなく、米国からの援助金欲しさにベトナムへ韓国人兵士を30万人以上派遣しました。ベトナムで韓国人兵士は、現地の村を襲撃、強奪、虐殺、強姦等の蛮行を繰り返しておりました。韓国人兵士がベトナム人女性を強姦して出来た合いの子(ライタイハン)がベトナム国内においては数万人おります。

 

ここに来る韓国人は、かつて支那(中国)の属国として数千年間、植民地ないし、属国となり、日の目をみない弱小国家だったのもあり、ベトナム戦争での韓国人兵士の戦闘(蛮行)を褒め称え、喜びの心で満足心を得るためにこの博物館を訪れている。韓国人兵士がおこなった蛮行、ライタイハン問題に関して謝罪や賠償はなく、未来志向でと発言し、逃げている。

現地にて調査!ライダイハン言及!!

ベトナムのホーチミンはかつて仕事で駐在した土地。

平成23年(2011)年6月 ベトナムのホーチミンを訪れた。そして1週間ほど滞在した。ベトナム戦争終結前まではサイゴンの都市名で親しまれていた。デタム地区の近くの公園を散歩中に日本の自動販売機を発見した。日本で使われていた自動販売機をこっちにもってきたものだ。実際、使用されており、飲み物を買う事が出来る。日本語が書かれており、はるばる日本から渡ってきたんだと思うと感慨深いものがあった。現在もサイゴンを使う人は多い。19世紀後­半、カンボジア、ラオスと同じようにベトナムはフランスの植民地となった。 第二次世界大戦が始まり,1940年に日本軍は北部仏印(ハノイのあたり)に進駐した。太平洋戦争が始まり、南部仏印も1941年に進駐した。海洋からサイゴン川を軍艦等­が上り、サイゴンに上陸し多くの日本兵が駐留した日本人としても懐かしの場所である。戦後は旧日本兵の多くの方々がベトナムに残り、再度、植民地化を図ったフランスとベト­ナム独立のために活躍した。日本人志願兵は約600名に上るとされており、陸軍第34独立混成旅団参謀の井川省少佐を始めとする高級将校から兵卒にいたるまでの多くの志願­兵が独立運動に参加してい。日本人志願兵はベトミンに軍事訓練を施したり、作戦指導を行っていた。ベトナム初の士官学校であるクァンガイ陸軍中学の教官・助教官全員と医務­官は日本人であった。詳しくは下記参照。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E7%8B%AC%E7

30名を上回る日本人がベトナム政府から勲章や徽章を授与されていることが確認されている。この国は他のアジア諸国と同じく 日本が最大のODA援助(資金と技術)国である。それに対して感謝している人も多い。 ベトナムというと ベトナム戦争のイメージが強いのではないかと思う。 枯葉剤の影響で奇形児が出来たり、ベトちゃん、ドクちゃんの影響が強いのではないか。ベトナム滞在時にベトナム人医師から、日本が医療面で指導や援助をしてくれ大変、日本­と日本人を尊敬していると言われた。戦後36年で既に復興はしている。他の東南アジア諸国と同じように日本のODA援助で近代化が図られている。