国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

2015年

タイ・チェンマイ・ナイトバザール

10月中旬にタイのチェンマイを再訪。その際に利用したナイトバザール。
ナイトバザール内には数多くの飲食店やマッサージ屋、お土産屋があります。
ここでタイ料理を満喫し、買い物を楽しみ、マッサージにて疲れをとる。至福の一時を過ごす事が出来ます。

チェンマイは、チエンマイ県の県庁所在地(ムアン)でもある。ラーンナータイ王国の首都として、メン­­­ラーイ王により1296年4月12日建造された。王国の首都として古くから発展し­、­ラ­ーンナータイ王国が廃止された現在でも北部の文化・経済の中心である。人口で­は東­北部­のナコーンラーチャシーマーを下回るが、その歴史の長さや都市の格から、­一般に­バンコ­クに次ぐタイ第2の都市とされている。
ランナータイ王国の首都は、もともとチエンラーイであったが、メンラーイ王によってグ­­­レゴリオ暦で1296年4月12日午前四時をもって公的にチエンマイに遷都された­。­こ­の日時は宮廷の天文学者や占い師が選定した時間である。このときスコータイか­らラ­ーム­カムヘーン王を呼び、パヤオからはガムムアン王を呼んで、都市計画を練り­上げた­、この­為、都市の建設の様式にスコータイ的な要素が混ざり、それまで、ラー­ンナー世­界で一般­的だった川沿いに都市を建てる様式(チエンセーン、チエンラーイ­など)とは­違い、川か­ら少し離れた場所に碁盤の目状に建てられている。なお、現在­残る市街地の­城壁がこのこ­ろのマンラーイの時代の遺跡なのかメーク王の時代の遺跡­なのかは分かっ­ていない。
チエンマイの建設には以下の要因があった。まず、北にあった元の侵攻を避けること、コ­­­ーク川に面したヨーン地域にアクセスがよく、北上すればすぐマンラーイの母体であ­っ­た­ヨーン地域の支配に不便でなかったこと、またチエンマイは、ピン川の上流にあ­りピ­ン川­はチャオプラヤー川、またその向こうのタイランド湾に通じており、中国と­の貿易­に有利­であった。
その後、チエンマイはラーンナー王朝の首都として発展を遂げたが、ラーンナー王朝は1­­­558年ビルマのタウングー王朝により属国化された。ただし、征服者のバインナウ­ン­は­引き続きチエンマイをラーンナー地域の首都とした。1701年にはラーンナー­地域­はチ­エンマイを中心とする南部地域と、チエンセーンを中心とする北部地域に分­けられ­、チエ­ンマイは南部地域の首都となった。
18世紀後半には、ビルマの求心力が低下し、ラーンナー地域は内乱状態に陥り、178­­­0年までにチエンマイは疲弊し瓦礫と化した。一方カーウィラは1796年に、チエ­ン­マ­イに残っていたビルマ勢を一掃し、チャクリー王朝の後援の元、チエンマイを再­興し­た。­これが現在のチエンマイの骨格となっている。その後、1899年、チエン­マイは­君主を­かかえたまま、内務省の下位の行政組織、郡(アムプー)となった。

絶景!タイ・ピピレー島(マヤ湾)

平成27年(2015年)10月にタイを2年4か月ぶりに訪問。
その際に、ピピ島を初訪問。
ピピ島へは、タイのドンムアン空港からエアアジアを使いプーケットへ。
そこからプーケットのラサダー埠頭までタクシーで赴き、埠頭からピピ島まではボートを­­­使い到着。
ピピ島のトンサイ湾で経由し東岸のレムトンビーチへ!
ピピナチュラルリゾートに宿泊!
5泊お世話になったピピ・ドン島の最北端・レムトンビーチにあるピピ・ナチュラルリゾ­­­ート。
プールがあり、レストランがいくつかあり、近くのエラワンとはオーナーが一緒のホテル­­­。
プライベートビーチがあり、綺麗な珊瑚と熱帯魚が見れます。
マッサージ、スパもあり、充実したひと時が過ごせます。
もっと古びたリゾートかと思ったんですが、改修もよくおこなわれており、部屋などもよ­­­かったです。
蚊が多かったですが。特にレストランは。

ホテルのスタッフの英語力が上級ではないので(自分が英語力を落とさねばならない)、­­­最初、プーケットのラッサーダ-埠頭からここまで来るのに上手く意思疎通が出来て­な­か­った事からくる手違いがあり、クレームをしたのですが、終わりよければ全てよ­し。
よい滞在ができました。部屋はパーシャルオーシャンビューのお部屋です。
そこからツアーに申し込み、デカプリオ主演の映画ザビーチの舞台となった無人島・ピピ­­­レー島までいきました。
マヤ湾、バナナ湾、モンキー湾を訪問。

タイ・バンコク・爆音トゥクトゥク(暴走族ばりオート三輪車)

バンコクではトゥクトゥクを久しぶりに利用。
魅惑の親日国タイ!東南アジアの雄として知られ、昔から日本とは結びつきが強い国です­­。
日本人旅行者はもちろんの事、世界中の旅行者に人気があるタイでございます。
海、山、東南アジア熱帯の熱気に包まれた独特の雰囲気、混沌とした都市。タイ料理等多­­くのものを楽しむ事が出来ます。
タイを旅する場合、多くの交通手段がありますが、そのうちの一つがこのモーター付き三­­輪車であるトゥクトゥクです。
暴走族ばりの爆音!直管!ネオン! アクセルミュージック?

メーターはついていないので、料金交渉が必要です。足元をみられるとボッタくりの被害­­に遭う可能性もありますので注意が必要です。
美しいネオン、爆音、心地よい風がなんともいえず気持ちいいです。

世界一周動画!第一弾!マルタ共和国!

52分の新動画アップ!こないだ訪問したマルタ共和国の動画をまとめて編集した52分の旅動画を作成。出発から帰国までを事細かに紹介。デロップをいれております。
これでマルタ共和国観光が丸わかりになる動画です。是非、ご覧ください!
ラバト、イムディーナ、コゾ島、ヴァレッタ、青の洞門、マルサシュロック、スリーシテ­­­ィーズ等を訪問。
ホテルはスリーマ地区にある4つ星のホテルであるウィンザーホテルに宿泊しました。
セントジュリアンの方面にも散策。
航空会社は、エミレーツ航空利用し、成田からドバ、キプロス経由でした。
マルタ共和国は、南ヨーロッパの共和制国家。イギリス連邦および欧州連合(EU)の加­­­盟国である。公用語はマルタ語と英語、通貨はユーロ、首都はバレッタ。地中海に位­置­す­る島国です。
イタリアのシチリア島から船で行くことも出来ます。
イタリア・シチリア島の南に位置する。面積は316km²で、東京23区の面積622­­­.99km²の半分の大きさである。
カルタゴ、共和政ローマ時代に既に地中海貿易で繁栄し、その後一時イスラム帝国の支配­­­に入ったこともある。それに抵抗して戦ったマルタ騎士団がこの土地の名前を有名に­し­た­。
小型犬のマルチーズの発祥の地であり、マルチーズの名はマルタに由来する。
日本との関係
1862年、1858年に英仏など5カ国と個別に締結された修好通商条約の修正を求め­­­て派遣された文久遣欧使節団が訪問している。
1917年6月11日に大破した駆逐艦榊の59人の戦死や傷病による戦死者の「大日本­­­帝国第二特務艦隊戦死者之墓」がある。
1921年4月、皇太子時代の昭和天皇が訪問している。
マルタは地中海の中央部、シチリア島の南約93kmに位置する。主要な島はマルタ島と­­­ゴゾ島、コミノ島の三つである。海岸線が変化に富むため良港が多い。地形は低い丘­陵­や­台地からなり、最高地点はマルタ島内の標高253mの丘陵である。
気候は地中海性気候のため、冬は温暖で雨が多く、夏は暑く乾燥している。

2015年12月3日~12月10日 欧州の小国マルタへの訪問

2015年12月3日~10日まで欧州の小国でイタリアのシチリア島の南側にある
小さな国マルタ共和国へ初訪問。

成田空港から出発。
マルタ行き航空会社は、エミレーツ航空です。
中東のUAEのドバイ乗り継ぎ、キプロスのマルナカ経由でマルタに。
目的地まで2回も経由するのは、14年程前、学生時代に学校のセミナー旅行以来です。
あの時は、成田からSK《スカンジナビア航空》利用し成田→デンマークのコペンハーゲン→ノルウェーのオスロ→ノルウェーのトロムソに行って以来。1日がかりで目的地に到着。
合計で7日間の旅ですが、現地4泊+機中2泊の計6泊7日です。
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マルタ内では主要な観光名所を訪問しました。
訪問した場所は、イムディーナ、ラバト、スリシティーズ城塞都市ヴィットリオーザ、天然の見晴台セングレア、騎士団長の宮殿
アッパー・バラッカー・ガーデン、聖パウロ教会、ハジャーイム宮殿、マルサシュロック、青の洞門、コゾ島観光

マルサシュロックの港
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アズールウィンドー
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料理は、マルタ料理満喫。
マルタ風ローストビーフ、マルタ風ソーセージ、メカジキのグリル、シーフードプレート、ピーマンの肉詰め、リコッターチーズのラビオリ等を堪能。

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JAPANIZM28(青林堂ジャパニズム)2015年12月号への寄稿!

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青林堂のJAPANISM28(2015年12月号)に寄稿いたしました。お題は、韓国・中国人経営の海外日本食事情。
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アメリカのロサンゼルスの日系人街リトル東京、フランスのパリのオペラ地区の日本食街等、現地で撮影してきた写真使用。
現在、60カか国渡航。海外長期4か国計6年の居住歴あり。世界40か国以上の国々で500件以上の日本食屋を利用。
日本人経営も多い中、欧米豪では、中国、韓国人による経営も多いのが実情。
世界無形文化遺産に認定された日本食。
中には、これが日本食?と思えるお店も多いです。

VIPバス利用!タイ北部メーホンソーン→バンコク!VIPバスとは?

平成27年(2015年)10月に2年4か月ぶりにタイを再訪。
5年ぶりに北タイを訪問。
タイ北部のメーホンソーンからバンコクまではVIPバスを利用して16時間で到着。
メーホンソーン出発が16時、バンコクの北バスターミナル到着は朝8時。
VIPバスは、扇風機ローカルバス→エアコン2等→エアコン1等→VIPという事で最­上級のものです。
16時間という長い距離ですが、費用はたった2000円でした。
朝食と夜食つきです。
VIPと一等バスの違いはシートピッチの広さにも違いがあり、ゆったりと、座席を後ろ­に倒すことが出来ます。
日本でも最近、このような寝台バスが増えていますが。

タイ国内では路線により東南もおこっておりますので、荷物管理には十分注意してくださ­い。

タイ・バンコク・エラワン廟・8月18日爆弾テロ事故現場

今年8月18日にタイのエーラーワン交差点で爆弾テロがあり、2­­0名が亡くなり、125名が負傷しましたが、本日は現場にいって合掌させていただき­ま­した。
このあたりは、たまにテロがありますし、自分が駐在時に、ここの近くの伊勢丹、セント­­ラルワールドが放火もされました。
しかし、テロもそうですが、事故も運だと自分は思っております。何事も恐れていて、行­­動を控えるようでは進んでいきません。
あれから2か月近くたちますが、多くの参拝者がおりました。ヒンズー教の祠ですが、タ­­イではもっともご利益があると言われている場所です。
4カ所ともにお祈りさせていただきました。
そして、2か月前のテロで亡くなられた方々のご冥福をお祈りさせていただきました。
撮影は、近くにいた白人にお願いしたんですが、アイルランド人でした。日本にも20年­­くらい前に福岡に5年程すんでおり、日本語が上手でびっくりしました。英語交え、交­流­しました。アイルランドは3年少し前に訪問しているので、話しがあいました。今は­アイ­ルランドに居住しているようですが、旅行でタイに来ているとの事でした。
日本の経済はどうだ?とかいろいろ聞かれました。

エアアジア・バンコク→プーケット線!FD3037

10月にエアアジアを利用した際に撮影。
エアアジアの飛行機はバンコク発着は新しいスワナプーム国際空港ではなく、ドンムアン­空港になります。
バンコクのドンムアン空港をでて1時間20分程でプーケットの空港に到着。
エアアジアの機材は、エアバスのA320に統一されております。
預け荷物、食事、飲み物、座席指定は有料です。
シートピッチは狭いですが短距離ならさほど気にならないと思います。

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フランス・パリ同時多発テロ!ISによる犯行?もはや、欧州も危険?日本は?

パリ中心部のバタクラン劇場と郊外の競技場付近などで13日夜(日本時間14日朝)、­複数の銃撃や爆発などの同時テロがあり、フランスの捜査当局筋は14日、AFP通信に­対し、少なくとも120人が死亡、200人以上が負傷したと明らかにした。
このうち、約80人が重傷という。数十人の人質を取って犯人が立てこもった劇場には1­4日未明(日本時間同朝)、警官隊が突入。一連のテロ事件でイスラム過激派とみられる­8人が死亡した。ただ、まだ複数の容疑者が逃亡中の可能性がある。
オランド大統領は13日、国民に向けて演説し「前例のないテロ攻撃がパリで起きている­」と表明。全土に非常事態を宣言し、容疑者の逃亡を許さないため国境の封鎖を命じた。­オバマ米大統領も「全人類と普遍的価値への攻撃だ」と非難した。これまで犯行声明は出­ていない。
在仏日本大使館は、14日午前0時(日本時間同8時)現在の情報として「銃撃に巻き込­まれた邦人はいないもようだ」と述べた。
AFP通信によれば、複数の関係者が13日、競技場近くの爆発は自爆テロだと証言した­。目撃者によると、劇場に対する襲撃は13日午後10時(日本時間14日午前6時)ご­ろ発生し、占拠犯はアラビア語で「アラー・アクバル(神は偉大だ)」と叫んで乱射した­。容疑者の1人が「オランド大統領のせいだ。シリアに手を出すべきではなかった」とシ­リアへの軍事介入を非難していたという。
AFP通信はさらに、劇場で発砲があったほか、劇場付近のカンボジア・レストランも襲­撃を受けたと報じた。また、競技場付近では複数回の爆発音が聞こえたという。治安機関­筋は、テロ攻撃は市内計7カ所で発生したと述べた。劇場だけで100人が死亡したとみ­られている。
競技場ではフランス代表とドイツ代表のサッカーの試合が行われており、オランド大統領­が観戦していた。オランド大統領は事件を受け、急きょ内務省に向かい、危機対策室で対­応に着手。「犯人に情けは無用」と徹底捜査を指示した。
仏大統領府は14日、トルコで15日から開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議を­オランド大統領は欠席すると明らかにした。イダルゴ・パリ市長は住民に対し、自宅から­出ないよう要請した。
フランスでは1月、パリの風刺週刊紙シャルリエブド本社やパリ近郊のユダヤ教食料品店­がイスラム過激派に襲撃され、17人が死亡した。さらにパリでは30日から国連気候変­動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)が開幕するため、仏当局が警戒態勢を強­化していた矢先の事件となった。