国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

07月

フランス・パリ・シャルルドゴール空港にて食事

空港内にて食事!次いつ欧州にくるかはわからないし、両替所で日本円へ逆両替しても手数料かかるので使いきります。
全部で20ユーロ【2800円程】と高い昼食ですが、景気付けに食します。
サーモン入りのサラダ、ハムとチーズのサンドイッチ、ビール500mlです。
機内食も離陸後にでるんですが。
欧州旅行の締めです!
ドゴール空港より無料WIFI
飛行機はドイツ、東欧、ロシア領空をとおり日本でございます。
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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
フランス・パリにて 9月25日





フランス・パリから帰国

今回の欧州周遊旅行も最後。
パリのドゴール空港から祖国日本に帰国します!日本を離れ早2か月ちょっと。今回の欧州周遊旅行では、17か国訪問。
これにより、欧州は西欧、北欧、中欧旧ユーゴ諸国、南欧、バルト3国とほぼ全ての国々に渡航。
未渡航はマルタとアイスランドのみです。

今回は、ドイツから入国し、オーストリア、スロベニア、クロアチア、セルビア、マケドニア、コソボ、アルバニア、モンテネグロ、イタリア、サンマリノ、スペイン、アンドラ、モロッコ、ポルトガル、スイス、フランスと巡りました。
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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
フランス・パリにて 9月25日





フランス・パリのホステルで仲良くなったギリシャ人

部屋で数日一緒だったギリシャ人です。年齢は自分の父親と一緒くらいでした。
画家なんですが、もしかしたらピカソ級の天才画家かもしれません笑
名刺もらいました。ギリシャを再訪してくれと言われました。
画家は精神が少しいかれてしまっている人々が多いと言っていました。世界共通ですね!
画家の子息である自分にはよくわかります。

 

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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
フランス・モンサンミッシェルにて 9月24日





フランス・モンサンミッシェル・名物オムレツ!

モンサンミッシェル名物のオムレツ。
平成26年(2014年)9月に2年ぶりにフランスを再訪。世界遺産のモンサンミッシ­ェルへ。
ついにモンサンミッシェルに!世界遺産のモンサンミッシェル修道院です。フランス北西­­部、パリからは300キロ以上離れております。本土から約1.6キロ離れた周囲約9­0­0メートルの島にある修道院。
8世紀に建設が始まり、11世紀~12世紀にほぼ現在の形になりました。
それによりロマネスク、ゴシック、ルネサンスの各様式が見られます。英仏間の100年­­戦争では要塞としても使用されました。
城壁の内側には15~16世紀の家並みが残ります。
堤防によりノルマンディー海岸と結ばれておりますが、付近の海域は干満の潮の差が激し­­いです。訪問時は干潮でした。満潮時は海中に孤立した感じになるのですが。
34年前に世界遺産に認定されました。

ちなみに、なぜ、モンサンミッシェルのオムレツが有名になったかというと
その昔、遠い遠い地から巡礼でやってきた民のお腹を満足させる為に考案され提供されてきたものから由来
しております。

ふんわりとしたオムレツです。
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薄味でした。健康的です。

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こちらがメイン料理の鶏肉です。
食べ甲斐がありました。
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カロリーは高い。

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締めのデザート・アップルパイ
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過去に3度フランスを訪問し、毎回、モンサンミッシェルを訪問しようと
していたのですが、いずれも訪問できずにおりました。
しかし、今回の念願がかないました。
そして、せっかくですのでモンサンミッシェル名物のオムレツを食しました。
皆さんも是非、名物のオムレツを食してください。

平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
フランス・モンサンミッシェルにて 9月24日





アイルランド・ギネスビール工場!

アイルランドのダブリンにあるギネスビールの工場を訪問した。­ギネスビールの生産工­程を垣間見ることができた。入場料にはギネスビール1杯ついてお­り、ギネスビールを­堪能した。
ギネス(Guinness & Co.)は、1756年創業のビール醸造会社である。1759年以来、アイルランド・­­ダブリンのセント・ジェームズ・ゲート醸造所に生まれた「ギネス」 (Guinness) あるいは「ギネス・ビール」として広く知られる黒スタウト(ビールの一種。具体的には­­ポーター)を生産している。

創業者のアーサー・ギネス (Arthur Guinness) は、同1759年に当時使われなくなっていたこのセント・ジェームズ・ゲート醸造所を­­年45ポンドの対価で向う9000年間の契約で借り受けている。 今日ではギネスは認可に基き世界各地で生産されているが、その生産されるビールはあら­­ゆる報告から鑑みればそれぞれ著しく異なっている。一例として、ナイジェリアで生産­さ­れているギネスは、アフリカの気候下で流通・保存されるためにアルコール分が8%­と非­常に高くなっている。これは近年になってアフリカへの旅行者を中心に有名になり­「アフ­リカのギネス」という触れ込みで本国アイルランドなどに逆輸入・販売されてい­る。なお­ロンドンのギネス醸造所は2005年に閉鎖された。

1997年末にグランドメトロポリタン社と合併してディアジオ社を形成し、今はディア­­ジオ社のビール部門という扱いになっている。日本国内でのビールの販売権はサッポロ­ビ­ールが2009年6月まで持っていたが、2008年11月にディアジオ社と関係の­深い­キリンビールが販売権を取得したと発表、2009年6月からキリンビールが販売­を行な­うようになった(サッポロビールは日本での販売権を獲得した当初、将来的にサ­ッポロビ­ールでギネスを製造するという構想を立てていた)。
アーサー・ギネスは最初はライスリップ(Ruislip)、その後1759年からアイ­­ルランド、ダブリンの聖ジェームズ・ゲート醸造所でエール醸造を始めた。彼は使われ­て­いない醸造所を年45ポンドの対価で9,000年間の賃貸契約をした。10年後の­17­69年にギネスは初めて製品を輸出し、その時6樽半がイギリスに送られた。

アーサー・ギネスがスタウトスタイルのビールの開祖と信じられることがあるが、ビール­­に関してスタウトという語が初めて使われたのは1677年のイーガートン写本であり­、­アーサーの生まれるおよそ50年前のことだった。ギネスビールに関連して、スタウ­トと­いう語が初めて使われたのは1820年のスタウト・ポーターだった。

ギネスが最後のポーターを醸造したのは1974年だった。

ギネス・スタウトはナイジェリア[2]、そしてインドネシア[3]を含むいくつかの国­­でも国際的ライセンスの元で醸造される。発酵前のホップを加えたギネス麦芽汁抽出物­が­ダブリンから送られ、そして地方で醸造されたビールとブレンドされる。

ロンドンのパークロイヤルにあったギネス醸造所は2005年に閉鎖された。英国向けの­­すべての生産はダブリンの聖ジェームズ・ゲート醸造所に切り替えられた。英国の人々­は­、アイルランドで醸造されたギネスはロンドンで醸造したものよりずっと良い味がす­ると­述べていた。

フランス・世界遺産・モンサンミッシェル

ついにモンサンミッシェルに!世界遺産のモンサンミッシェル修道院です。フランス北西部、パリからは300キロ以上離れております。本土から約1.6キロ離れた周囲約900メートルの島にある修道院。
8世紀に建設が始まり、11世紀~12世紀にほぼ現在の形になりました。
それによりロマネスク、ゴシック、ルネサンスの各様式が見られます。英仏間の100年戦争では要塞としても使用されました。
城壁の内側には15~16世紀の家並みが残ります。
堤防によりノルマンディー海岸と結ばれておりますが、付近の海域は干満の潮の差が激しいです。訪問時は干潮でした。満潮時は海中に孤立した感じになるのですが。
34年前に世界遺産に認定されました。
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日系旅行会社のツアーに参加してモンサンミッシェル訪問しました。学生が結構おりました。他に、夫婦、親子、女性だけ、1人参加の方々等。
京都の女子大生と仲良くなりました。撮影係り、ボディーガードとして随行しました。まだ20歳です。若い。可愛らしく性格も良いコ達でした。
自分の学生の頃が思い出されました。羨ましいですね。歳をとったものです。時の流れはあっというまですね。
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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
フランス・モンサンミッシェルにて 9月24日





フランス・シャルトル大聖堂

フランス・パリ郊外にあるシャルトルという小さな町を訪問し。34年前に世界遺産に認定されたシャルトルの大聖堂を訪問しました。なかなか立派な大聖堂です。さすが世界遺産に認定されるだけあります。

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ャルトル大聖堂(ゴシック様式)のステンドグラス。美しいです。フランスのシャルトル。パリから70キロほどの場所にある小さな町です。工業国としてでなく農業大国として知られるフランス。ボース平野の穀倉地帯の商業中心地で農機具、肥料製造、電子機器、化学、製薬などの工業もあります。
芸術と歴史の町。のんびりとしたい町でございました。

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イギリス・ロンドン・英国式朝食!

イギリスのロンドンを再訪の際に、英国式朝食を食べた。英語でいうイ­ングリッシュブ­レックファースト=フルブレックファーストである。
フル・ブレックファスト(Full breakfast)は、イギリスの伝統的な朝食である。地域ごとにイングリッシュ・­­ブレックファスト(English breakfast、イングランドでの呼び名)、スコティッシュ・ブレックファスト(­­Scotish breakfast、スコットランドでの呼び名)、ウェルシュ・ブレックファスト(W­­elsh breakfast、ウェールズでの呼び名)、アイリッシュ・ブレックファスト(Ir­­ish breakfast、アイルランドでの呼び名)のように呼び名が変わる。

イギリス料理について述べられるとき、しばしば「イギリス料理で一番美味しい料理」と­­して朝食が挙げられる。フル・ブレックファストを称賛する際にはしばしば作家のサマ­セ­ット・モームが残した「イギリスで美味しい食事がしたければ、1日に3回朝食を取­れば­いい」という言葉が引き合いに出されるが、昼食・夕食の質の低さを示すためにこ­のモー­ムの言葉が引かれる場合もある。

簡素な大陸式の朝食(コンチネンタル・ブレックファスト)よりも量と栄養に優れており­­、イギリス以外にドイツ、オランダ、北欧三国でも取り入れられている。レストランや­パ­ブによっては、朝だけでなく一日中フル・ブレックファストを提供する店も存在する­。
伝統的な朝食は、起き抜けに飲む1杯の紅茶(あるいはコーヒー)に始まり、続いて以下­­の料理が出される。
ポリッジ
シリアル
フルーツ(コンポートにされて出される場合もある)
フルーツジュース
卵料理 目玉焼き
ポーチドエッグ
ゆで卵

ベーコン – 目玉焼きとともにベーコンエッグとして供される。
ソーセージ
キッパー
ベイクドビーンズ
トマト – 生で、あるいはソテーにして食べる。
マッシュルーム – ソテー、フライにして食べる。
マーマレードが添えられたトースト(もしくは揚げパン)
食後の紅茶(もしくはコーヒー)
ケジャリー(英語版)
ブラックプディング
ホワイトプディング(英語版)
スコーン
オーツケーキ(英語版) – ビスケット状に加工したオートミール
バン
ロールパン

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東京・新宿!潜入ルポ!西新宿、東新宿~不夜城・歌舞伎町

西新宿~新宿駅東口、新宿三丁目、アルタ前、靖国通り、眠らない街・歌舞伎町潜入まで­収録。車にてのドライブ、徒歩にての潜入ルポ動画。
東京新宿。西新宿には多くの企業の本社があり、オフィス街になっています。
夜になると歌舞伎町にキャバクラ、スナック、ホスト­クラブ、ゲイバーなどがぞくぞく­オープンします。
ピンサロやヘルス等の風俗店も多い。­また居酒屋やバー等も多くあり、若者でにぎわっ­ている。
歌舞伎町は暴力団関係者も多く­、主に住吉会系の縄張り、住吉会家の組員を見かけます­。それらの事務所があります。
他に稲川会や極東、松葉会系の組織も事務所をおいているようです。
日本最大の暴力団組織・山口組(神戸に本部)も東京進出し、歌舞伎町にフロント企業を­出しているという情報もあります。

表と裏の世界­が入り混じるのが新宿であります。

不良外国人も多く、歌舞伎町における不法滞在外国人の組織犯罪も多かったが、石原都政­の時代に、2003年に入国管理局の出張所を歌舞伎町に置くことにより不法滞在者の摘­発が進み、大幅に減少しました(それ以前、不法滞在摘発者は主に韓国・中国・タイ・ロ­シアが75.6%を占め、13か国に上りました)。

さらに、西アフリカ出身のナイジェリア人グループらが大掛かりで、泥酔客から暴利を貪­る問題も見られます。

平成14年(2002年)9月、新宿歌舞伎町の風林会館1階にある喫茶店「パリジエン­ヌ」で中国東北グループに属する中国人マフィアのメンバーが歌舞伎町を縄張りとする住­吉会幸平一家の組員二人を射殺するという事件が勃発。いわゆる「パリジエンヌ事件」。
当時のニュースで大々的にほうじられたものです。

ちなみに歌舞伎街といえば、ぼったくりが有名ですが、
性風俗店の客引き自体が都条例で2005年4月以降禁止されており、それを無視して行­うのはボッタクリ・恫喝で金品を要求する悪質な店舗であり、絶対に付いていってはいけ­ないという啓発も歌舞伎町商店街振興組合によって行われています。
それでもなお歌舞伎町には違法な客引きが横行しております。

歌舞伎町は、
アジア最大の歓楽街として威容をほこっ­ています。