国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

タイ・バンコク・ソイ23のバービア!タイの風俗事情

タイ・バンコク・ソイ23のバービア!タイの風俗事情

宿で仲良くなったフランス人と数日間一緒に行動しています。昨晩は、バンコク市内ソイ23にある路上バービヤにて飲みました。このフランス人は自分と同じで女の子をお金を出して遊ぶという行為があまり好きではないようで、バービヤで飲みました。
バービヤには日本のスナックに似た感覚で飲むことが出来ます。女の子達がいるので飲んで話しをするバーです。
日本のスナックのように席料は取られず、飲み代(女の子のドリンク代も含)のみです。

基本的にバービヤにいる多くの女の子が持ち帰り可能ではあるのですが、自分たちはただ、飲むだけにしました。
所謂、タイの風俗(ゴーゴーバー、テイメイカフェ、バービヤ、立ちんぼ娼婦など)で働く女の子達はタイ東北部のイサーン地方出身のコ達が非常に多いです。

今では格差がか縮まりましたが、例えば日本国内においても、かつては出稼ぎ労働や集団就職にみられるように東北地方や九州(福岡をのぞく)と本州の産業が潤っている都府県との間で格差はあったものです。

かつてアジア各地に赴いた「からゆき」さんは九州(特に熊本の天草)の女性が多かったですし、戦後の米兵相手のパンパン娼婦もしくは赤線地帯で働く次娼婦女性は貧農(小作農)の子女もしくは被差別部落出身の女性が多く従事していたものです。
最近の調査では大阪の飛田新地で働く女性は今でも九州(熊本の天草など)の女性が多いようです。

世界の風俗地帯潜入調査(某TV番組からの出演依頼がありましたが、断った事がある)をしていると貧困と風俗は密接な関係にあると実感しています。
タイも正確にいうと売春は合法ではないのですが、政府は貧困層救済目的で、暗黙の了解で認めています。⇒これは、世界の数多くの国でいえること。

慰安婦問題もそうなのですが、生活のため(もしくは親に仕送り)に娼婦として働かねばいけない状況にあった貧農の家の女性が、現地ブローカーを通じて、慰安所に赴き働き、高給を得ていたのは明白な事実。(そこには日本軍の強制はなかった)

日本のバブル期には数多くの韓国人女性が稼ぎのいい日本に来日(当時は日本との格差が5~7倍あった)して、韓国クラブなどで勤務して、日本人男性と知り合い、結婚した例は非常に多い。(今はその混血が20代~30代になっている)その後、昭和の終わりにフィリピン人女性が多く来日して、フィリピンパブで働き、フィリピン人女性と結婚する日本人男性も数多くいました。(それらの混血の10代~20代の子息が日本に多くいる)
今世紀に入ると、大陸から中国人女性が数多く来日して、関東のちょんの間街で娼婦として売春をしていました。(最近は規制がかかり、激減)

最近は、東南アジアのビザ緩和により、ビザなし短期滞在で、日本国内で売春している東南アジア人が結構いるとの情報提供も多くある。

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