国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

バンクーバー

【北米周遊に重宝】グレイハウンド夜行バス!カナダ・バンクーバー→カルガリーへ!

北米周遊の際に役立つグレイハウンドのバス。
短距離路線~長距離路線、夜行バスまであり、北米のいたるところを網羅しています。

グレイハウンドはアメリカ最大のバス会社でアメリカとカナダ(メキシコの一部路線も)のほとんどの都市をくまなく結んでいます。

グレイハウンド社は1913年にミネソタ州ヒビングにて設立され100年以上の歴史を誇る会社で、今はテキサス州のダラスに本社を置いています。

社名、およびロゴマークはドッグレースにおいて最も速い犬種であるグレイハウンドに由来します。

バスチケットは事前にグレイハウンドのホームページからオンライン予約
20パーセント程安くなりました。
印刷機がなかったので、バスターミナルのカウンターでパスポートと使用クレジットカードを使用してバスチケットを受け取りました。

バスのチェックインは原則、出発の1時間前。
チェックインを済ませた後に、バスターミナル内の売店で水や菓子を購入。

貴重品管理の方法として
預け荷物には貴重品をいれず車内手荷物に貴重品をいれ、バックには南京錠をかけることをお薦めします。

途中、経由地が多くあり、休憩も出来ますが、車内に貴重品を置かずに
車外に貴重品をもっていったほうが無難です。

今までアジア、欧州で寝台夜行電車は数多くの乗りましたし、夜行バスも日本、タイ、欧州内で多く経験してきました。
シートピッチがあるものだと後ろに倒せるので楽ですが、シートピッチがないものだとあまり快適ではないと思いますが、皆さんも海外で夜行バスを利用してみるとよいでしょう。

【世界で人気の日本庭園】カナダ・バンクーバー・新渡戸稲造記念日本庭園!

【カナダで客死した新渡戸稲造】
私の海外での渡航調査は多岐にわたりますが、調査のうちの一つが海外日本関連物調査です。(いずれ本として出版します)
新渡戸稲造は5000円札の肖像としてよく知られていますが、どんな人物だったのか知らない人も多いと思います。
新渡戸稲造は1862年9月1日(文久2年8月8日)に盛岡藩士で藩主南部利剛の用人を務めた新渡戸十次郎の三男として生まれました。
新渡戸家には西洋で作られたものが多くあり、そんな環境で育った稲造は、子供の時から西洋への憧れをいただいていました。新渡戸家のかかりつけ医師から英語を学びました。
札幌農学校(後の北海道大学)の2期生として入学。
稲造はこの頃から目を悪くし、眼鏡をかけるようになりましたた。やがて眼病を患い、それが悪化して勉強への焦りから鬱病までもを患ってしまいます。
数日後、病気を知った母から手紙が送られてきて、1880年7月に盛岡へと帰るが、母は三日前に息を引き取りました。
稲造にとってそれはあまりにも大きすぎる悲しみであったため、鬱病がさらに悪化してしまいました。
その後、母の死を知った内村鑑三からの激励の手紙によって立ち直り、病気の治療のために東京へ出ます。
その後、洗礼を授けたハリスと横浜にて再会し、『サーター・リサータス』(Sartor Resartus)という一冊の本を譲り受ける。この本は稲造の鬱病を完全に克服し、やがては稲造の愛読書となり生涯に幾度となく読み返したようです。
東京帝国大学に入学するも当時の農学校に比べ、東大の研究レベルの低さに失望して退学する。1884年(明治17年)にアメリカに私費留学し、ジョンズ・ホプキンス大学に入学。
日本についての講演をアメリカ国内でした時に、聴衆の一人であったメアリー・エルキントンが稲造を見初めて告白をしました。(後の稲造のアメリカ人妻)
その後、ドイツに留学。
世界的に有名な著作である『武士道』を英文で書き上げて世界に日本人の武士道とは何たるかを広めました。
日清戦争の勝利などで日本および日本人に対する関心が高まっていた時期であり、1900年(明治33年)に『武士道』の初版が刊行されると、やがてドイツ語、フランス語など各国語に訳されベストセラーとなり、セオドア・ルーズベルト大統領らに大きな感銘を与えました。
台湾総督府の民政長官となった同郷の後藤新平より1899年(明治32年)から2年越しの招聘を受け、1901年(明治34年)に農学校を辞職して、台湾総督府の技師に任命されました。
民政局殖産課長、さらに殖産局長心得、臨時台湾糖務局長となり、児玉源太郎総督に「糖業改良意見書」を提出し、台湾における糖業発展の基礎を築くことに貢献しました。
(台湾の糖業に関しては昨年10月の訪台時に高雄の台湾糖業博物館(台湾製糖跡地)に現地踏査しました)
その後、東京植民貿易語学校校長、拓殖大学学監、東京女子大学学長などを歴任。
1920年(大正9年)の国際連盟設立に際して、教育者で『武士道』の著者として国際的に高名な稲造が日本人として事務次長のひとりに選ばれました。
稲造らはらは国際連盟の規約に人種的差別撤廃提案をして過半数の支持を集めるも、議長を務めたアメリカのウィルソン大統領の意向により否決されています。
1921年(大正10年)には国際連盟の総会でエスペラントを作業語にする決議案に賛同。しかし、フランスの反対にあい、結局実現しませんでした。同年、バルト海のオーランド諸島帰属問題の解決に尽力。1926年(大正15年)、7年間務めた事務次長を退任。
日本が国際連盟を脱退した1933年(昭和8年)の秋、カナダのバンフで開かれた太平洋問題調査会会議に、日本代表団団長として出席するためカナダに渡った稲造は会議終了後、当時国際港のあったカナダ西部のビクトリアで倒れて祖国に帰ることなく亡くなりました。
UBC(ブリティッシュコロンビア大学)を訪れた最大の理由が
カナダで亡くなった新渡戸稲造の記念日本庭園があるからです。
大学の敷地内に1960年に出来た庭園です。
新渡戸稲造との関係性もあり
盛岡市とバンクーバー市は姉妹都市提携を結んでいます。

バンクーバーにある新渡戸稲造記念庭園
【海外日本庭園】
今まで世界各地の日本庭園を訪問しましたが、日本庭園は海外で非常に評価が高いです。
バンクーバー市内にあるブリティッシュコロンビア大学内にある日本庭園。カナダで客死した新渡戸稲造を記念して1960年に日本国外で多くの日本庭園を手掛けていた森歓之助が手がけた日本庭園です。
新渡戸記念庭園(Nitobe memorial garden)と名づけられました。
北米には多くの日本庭園がありますが、程度の高さは北米随一と呼ばれている庭園。
2009年7月に天皇皇后両陛下がカナダに行幸啓の際にこの日本庭園も訪れています。
平日でしたが多くの外国人が訪れており、日本庭園の美しさに感動していました。
日本人の自分からみてもやはり日本庭園は非常に美しいと実感できるものです。
今まで海外で訪れた日本庭園は下記。
1.イギリス・ロンドン
2.ドイツ・ミュンヘン
3.モナコ
4.オーストリア・ウィーン
5.フィリピン・マニラ
6.タイ・バンコク
7.ブルガリア・ソフィア

カナダ・ビクトリア⇒アメリカ・シアトルへフェリーで海路入国


【5年半年ぶりのアメリカ】
カナダ・ブリティッシュコロンビア州の州都であるビクトリアからフェリーを利用して海路越境。シアトルへ。
5年半ぶりにアメリカのアメリカ入国。
今回でアメリカは3回目
1回目は学生の時にハワイ
2回目は5年半年前にロサンゼルスとその周辺
今回はシアトル→ポートランド→サンフランシスコと考えていましたが、時間の都合上、ポートランドを省きます。
シアトルのフェリー乗り場から
宿までは3キロ~4キロありますが
20キロ近いバックパックを背負い
気合いを入れて向かいます。
宿がある場所は、写真中央に見える高層ビル群の奥です。
入国審査は
カナダ・ビクトリアのフェリー乗り場で
おこないました。シアトル到着後に荷物検査があり
入国管理局の人間から
どのくらい滞在するのか?と言われ
日数と行程を伝えたら
このバックを背負って歩いてサンフラまでいくのか?
と笑われましたW

カナダのビクトリアとアメリカのシアトル間は
CLIPPER VACATIONS という会社がフェリーを運航しています。1日2~4便運行。
費用は100USD~200USD(時期により料金が異なる)

バンクーバーからビクトリアのフェリーが大きなフェリーだったのですが、これはフェリーというか大型ボートですね。速度は非常に速く、今まで乗った中で一番の速さでした。
中には軽食や酒も販売しています。

カナダ・ブリティッシュコロンビア州の州都であるビクトリアに到着

23日間のカナダ滞在最後の滞在都市であるビクトリアに到着。
ブリティッシュコロンビア州の州都です。
8万人弱の人口ですが
それ以上に大きく見える都市です。
バンクーバーよりも早く開発が進み、19世紀に建設された建物も多く残り、綺麗な都市です。

夜のダウンダウン散策していますが
バンクーバーと同じく浮浪者多いですね。

複数のヤクの売人に話しかけられましたが、クサはもちろんのこと、コカまであるようです。

街中には精神がイかれたのか
奇声を発している人々を見かけます。

カナダ・バンクーバー⇒ビクトリアへバス+フェリーで移動

合計で10日間いたバンクーバーとお別れです。
カジノを背景に記念の一枚。
ブリティッシュコロンビア州の州都である
ビクトリアに向かいます。

20キロ程あるバックパックですが
気合いいれて宿から5~6キロの距離を歩きました。

バンクーバー滞在最後の晩餐は
ダウンタウンのグランビルストリートのドネルストップというお店でケバブを食しました。

バンクーバー市のバスターミナルからバスに乗り、こちらのフェリーに乗り込みました。
バンクーバー市郊外の港からバンクーバー島まで1時間30分程の航海です。途中、アメリカの領海内を航行。
近距離路線ですが大型の路線で夏季は1日4~6本運行しており、中にはレストランやカフェ、休憩室、雑貨屋、服屋、ゲームコーナーがあります。
今まで数多くフェリーを利用してきましたが
近年では国内外で下記区間、フェリーを利用
海外
1.スウェーデン・ストックホルム→フィンランド・ヘルシンキ
2.フィンランド・ヘルシンキ→エストニア・タリン
3.スペイン・タリファ→モロッコ・タンジェ
4.クロアチア・ドゥブロヴニク→イタリア・バーリ
5.マルタ・マルタ島→ゴゾ島
国内
1.愛知県・伊良湖→三重県・伊勢志摩
2.愛媛県・宇和島(八幡浜)→大分県臼杵

バンクーバー島ビクトリア市までいくBC Ferries.
バンクーバー市のバスターミナルからバスに乗り、港からバスごとフェリーに。1時間30分の航海なのでバスから降りてフェリー内に滞在。


15時過ぎの遅めの昼食は
Light Buffet mealにしました。時間的に遅いので昼食よりも軽い野菜とスープと甘味類の食べ放題。久しぶりに生野菜を食しました。(食事は13ドル=1200円くらい)
交通費は
バス+フェリーで60ドル程(5500円くらい)

カナダ・バンクーバー・ヌーディストビーチ!


バンクーバーのUBC内の日本庭園から歩いて15分程の距離にヌーディストビーチがあるとの情報をいただいたので
早速、訪問しました。

ビーチにはアダムとイブのような全裸の男女が海岸で戯れ、1人の男性が全裸で海水浴、ゲイのカップルが全裸で手をつないでいる姿を見ることができました。

さすがにその様子を
アップするのは公序良俗に反するので控えますが
すごかったです。
見てはいけないと思いましたが
チラチラとみてしまいましたW
男性の○○○がそそりたっていたらどうしようかと思いましたW

全裸が許可されている海岸ですので
自分も全裸になり真似しようかと思いましたが
やめておきましたW

【これぞ正しく裸の大将!山下清の裸の大将放浪記】
全裸の男性が海岸後ろの道を歩いて奥の道に。バンクーバー市内UBC横のヌーディストビーチには様々な人々が全裸になっていましたがすごかったです。男性の場合、○○○がたってたらどうするのかW

カナダ・バンクーバーの共同部屋宿で白人男女が共同部屋で性行為?

深夜にオーイエ!カモンという喘ぎ声で起こされましたww
カナダの共同部屋の宿。バンフから戻りカルガリーに行く前に宿泊していた宿に宿泊。
4人部屋でしたが、前回の男性部屋とは違い、男女共同部屋。宿にチェックインしたのは夜10時頃だったんですが、部屋にはシアトルに在住しているインド人がいて挨拶しました。
他の2人は?ときくと何処かにいったと言われ、2人が戻ってくる前に就寝しました。

夜中に隣の2段ベッドの上段に寝ていたインド人がベッドから降りるときにジャンプしたようでドスンという音が響き、その音で目が覚めた自分です。
インド人はトイレにいったのか?と思ったのですが
隣のベッドの下段からチュッチュッという音とともに
オーイエ!カモン!という声が聞こえました。
何事か???と思って寝ぼけ気味の脳が覚醒してきました。
よくよく耳をすますと隣で性行為に甘んじているではありませんか。

薄暗くてどんな顔しているのかも分かりませんでしたが。

インド人がトイレに行った後に男が息子を女性の○○○に挿入しはじめ、その音が静かな部屋内に響きわたりました。
月の光がほとんど差し込まない部屋ですので視覚では何がおこっているのか分かりませんでしたが、聴覚で感じ取ることができました。

インド人がトイレのために外に出た時に挿入し始めたのですが面白かったのは5分くらいでインド人が戻ってきたことです。
廊下の明かりが彼らを照らし、インド人にその場を目撃され、気まずそうでしたWW

インド人が行為に及んでいる2段ベッドの上に戻ったあとも
性行為はとまらず、二段ベッドはミシミシと音がなりゆれています。
自分は隣の二段ベッドの下段ですがインド人の気もちもよくわかりました。

挿入後10分くらいしてから終わったようで2人で外に(15分くらいで戻ってきたことを考えるとシャワー室にいったのだと)

朝起きると、女性が自分のベッドの上段、男性が隣のベッドの下段でした。
上の女性が昨晩の女性か?と思い、凝視しました。
すると彼女は気まずそうにしていましたがむこうから話しかけてきました。
話しをするとオーストラリア人の女性でカナダでこれから働くといってました。

男性とも話しましたが男性はフランス人でした。

フランス人男性×オーストラリア人女性でした。
自分はフランス人に「あのコは彼女なの?」ときくとフランス人は「YES」と回答。
でもこの2人の会話をきいていると付き合っているとは思えない会話(出会ってまもないと)でした。
フランス人は
「昨晩はすまなかった。シャンプーがあまっているのですがいりますか?
パスタももしよければもらってください」といわれ、ありがたくいただきました。シャンプーがそろそろ終わりでしたから。

2人はチェックアウトをしたのですが、
早朝に外出したインド人が昼に部屋に戻ってきた時に昨晩の詳細をきいたのですが「昨晩はひどかった。彼らのせいでねれなかったよ」と回答してきましたW

あの2人はこの部屋で2日前に出会って一緒にどこかにいったようだが、親密になってメイクラブしたのだとW

出会って数日でヤッテしまうとこをみるとさすが白人、最近、欧米化が進んでいる日本人(かつての日本は貞操を大切にしたが、戦後、アメリカにより持ち込まれた文化、欧米化が進んだ日本)でも1メートル隣や上で人が寝ている中での性行為には及ばないでしょうW

バンフにいた時の宿も男女共用部屋だったんですが、2組のカップルと一緒になりましたが、上段のベッドで2人で添い寝してました。ベッドの耐加重もあるから、勘弁してよ!2人で寝るならホテルの個室に泊まりなよと注意しようかと思いましたが、大人になり、我慢した自分です。(今まで、数百いや数千人の外国人に注意もしくは抗議した経験がある)
2組のカップルは男性が痩せていて推定70キロ台、女性は50キロ台。2人あわせて130キロくらいなので大丈夫でしたが、巨漢カップル(男が120キロを超し、女性が100キロを超す)なら安全上の問題で必ず言わなければならないですが。
下で寝ている自分は怖いW

今回で2回目の体験です。共同部屋の宿で隣で男女が行為に及ぶを見聞きするのは。

カナダ・世界遺産カナディアンロッキー!コロンビア大氷原(アサバスカ氷河)

コロンビア大氷原へ。氷河の上を走るので頑丈な雪上車に乗車。タイヤがものすごく大きくて太い。
これを軍隊色にしたら軍用車になりますね。
若いカナダ人女性の運転です。
すごいですね。女性でこの大型を運転できるのは。

コロンビア大氷原と日本もしくは世界各地でうたっているツアーは実際は、コロンビア大氷原ではなくアサバスカ氷河と呼ばれるコロンビア大氷原から流れ出す主要な6つの氷河の1つを訪れます。
今回のツアーは250ドル(日本円で23000円くらい)のツアーですが、英語ガイドでチップ混みで200ドル程。決して安いツアーではないのですが、カナディアンロッキーに来たら必ず参加していただきたい所です。

氷河上を散策できる場所は限られていますが、指定区域外だとクレバスと呼ばれる氷河や雪渓などに形成された深い割れ目に落ちると危険ですので区域外には出ないようにしなければです。

氷河のクレバスに落ちた例では
1981年に天山山脈のボゴタ峰の氷河上で、京都山岳会登山隊所属の白水ミツ子隊員が下山中にクレバスへ落下し、声は聞こえても数十メートル下の狭い隙間へ滑落した隊員に救出の手は届かず、自ら生還を断念せざるを得なかった例もあります(隊員の遺体は14年後の1995年に発見された)。


氷河の上を歩くの初めての経験です。
こっちに来る前に新調したハイキング靴が役立ちました。

強風だったのですが、先月購入したばかりの20万近くするソニーの4Kのビデオカメラをつけた三脚が倒れて、氷河の雪解け水の小川につかってしまいました。10秒くらいつかってしまいましたが、なんとか無事でした。
海外で持ち運びしやすいように軽く簡易的な三脚しようしていますが、こういう時に重くてしっかりとした三脚が必要になります。

カナダ・世界遺産カナディアンロッキー!ヨーホー国立公園のナチュラルブリッジ

カナダの世界遺産カナディアンロッキー。ヨーホー国立公園内の2つ目の訪問場所。
ナチュラルブリッジ。
ナチュラルブリッジときいて、オーストラリアのゴールドコーストから1時間くらい奥に車で行ったとこにある土ボタルの見れるナチュラルブリッジが懐かしいですが。

カナダのヨーホー国立公園のナチュラルブリッジです。
キッキングホース川にかかり
長年の川の流れにより作り上げられた自然の橋です。

カナダ・カルガリー・Barley Millレストランでカナダ料理とカナダのビール

カルガリー市内のBarley Millレストランにてカナダ料理とカナダのビールを堪能。素敵な雰囲気のパブ&レストランでした。

ボー川の中州のプリンス島公園から近いところにあるパブ&レストランです。

木造の建物と水車が雰囲気を醸し出している素敵なレストランです。
アルバータ州のビールを初め、外国産のビールも含めて24種類のビールを用意、ワインやウイスキーも置いてあります。

まずは最初の一杯!
カルガリーの地ビールである
BIg Rockをドラフトビールで。

店頭で店員のお姉さんにI`m one person.と言ったら、中にどうぞといわれました。
本当は外のテラスのほうが良かったのですが、I want to eat outside,because i will order food.(食事を注文するので外で食べたい)と伝えても良かったのですが中も良さそうだと思い中で。しかもバーカウンターです。

綺麗なカナダ人(白人)のお姉さんが複数おり、アンナミラーズを彷彿とさせるセクシーな恰好。顔も整っており、惚れ惚れしてしまいましたW
3人の綺麗な女性店員と仲良くなりました。

Where are you from? Are you from here?(どこから来たの?ここ出身?)と聞かれて、I`m from Japan. I`m a Japaneseと回答すると、お姉さんは日本に興味があり、日本に行きたいと言っていました。


さて食事。まずは前菜。
選んだのはSalmon Watermelon Greens
カナダといえば日本と同じように鮭(サーモン)を食します。北欧(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド)を訪問した時も現地のレストランでサーモン料理を食しました。

メイン料理にしてもいいと思えるほどですが前菜です。
北米らしく甘い果物と一緒の皿にのせてますね。

美味でした。

費用は前菜で1700円程。
他にメインやビール2杯、チップいれて6000円程。
フルコースにしても良かったのですがデザートは糖尿(現在、糖尿ではないが)を気にして控えました。

こちらがメイン料理。
Double Braised Guinnes Short Ribs.
ショートリブ(アルバータ牛)
ユーコン・ゴールド (Yukon Gold)というアメリカのじゃがいもを使用したマッシュドポテトと付け合せの野菜ともに。

歯ごたえ柔らかく美味でした。

このメイン料理で2300円くらい。
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