国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

リトアニア

リトアニア・カウナス・杉原千畝記念館

平成24年(2012年)6月に4か月にわたる欧州視察旅行において、訪問したバルト3国の1国であるリトアニア。

首都のヴィリニュス、トラカイ、古都のカウナスを訪問しました。ここは何が有名

かというユダヤ人の命を救った 杉原千畝氏が領事代理と

して赴任していた地であり、日本領事館があった場所であ

る。

今回のテーマは

 

 

アキーラさん訪問!リトアニア・カウナス・杉原千畝記念館

 

 

1940年7月当時、日本は既に日独伊三国協定を結んで

いました。(同年9月には三国同盟に発展。)当時は、この地

にリトアニアの首都が置かれていた。(ビリニュスは一時

、ポーランド領、1940年からソ連領となった経緯があり)

Sugihara1
1940年7月、突然、多くの人だかりが出来ていた。彼

 

らはナチスに追われ、ポーランドからリトアニアに追われ

てきたユダヤ人であった。彼らの要求は日本の通過ビザで

ある。それがないとソ連すら抜けることが出来ない。シベ

リアを経由してアメリカ大陸へ渡る方法を模索していた。

(多くの人が日本を経由した)。

当時の日本は、ドイツとの関係があり、日本政府は通過ビ

ザ打診の許可を出さなかった。日本政府としては当然の事

をしたまでである。

 

 

Sugihara2
しかし、杉原氏は自分の身や家族を顧みることなく、彼ら

を助けるために半月ほど、昼夜問わず、ペンが折れ、腕が

動かなくなるまでビザを書き続けて、リトアニアを脱出す

る列車でも書き続けたという。発行されたビザは1600

。これにより、日本を経由し、第三国に渡ることが出来た

ユダヤ人は6000を越えるという。

 

この人はよく、自虐史観に満ちた日本を憂う事が出来ない

左翼主義者達に崇められる時がある。そして、そこから過

去の大戦のナチスドイツに対する批判が始まり、ひいては

日本に対する自虐史観教育の説明につなげられている。

 

杉原氏に関しては賛否両論ある事と思う。しかし、自分の

見解では武士道精神(彼は士族の出で、祖先は武士である

)における情があったと思う。あれだけの人だかりをみて

情けを掛けずにはいられなかったのである。自分の身も省

みず他者を助けた行為は素晴らしいと思う。そして、ビザ

発給の際は、皆にニッポン万歳と言わせたという。

戦後、彼のおかげもあり、ユダヤ人は親日的に日本に協力

する人も多く、恩を忘れていない。(もちろん全てではな

く一部の人々であるが)

 

Sugihara3
ポーランドにおいてはアウシュビッツの収容所と同じく、

自虐史観に満ちた左翼日本人も多く訪れる場所である。 

ナチスを絶対的な悪として物事を考え、それが日本に関し

ても自虐史観を語り始める。世界の歴史を偏った見方しか

出来ない人々である

 

実際、ユダヤ人が多く移り住んだ、イスラエルの地は、い

くら元々居住していたとはいえ、長い間、パレスチナの人

々が住んでいたのだ。それを無理矢理奪い、数度に渡る戦

争をおこしたのだ。 自分はまったくもって、今の日本の

自虐史観教育はおかしいと思っている。 

 

 

Sugihara5
まず、日本は多くの国に好かれている。このリトアニアで

もそうである。親日国は多い。日本が嫌いと言っているの

は、特亜の韓国、中国、北朝鮮、ロシアもしくはアメリカ

くらいなものだ。 自分は世界を周り(5年間居住もし)

、多くの国々の人々と出会ってきたが、今の日本人は他国

の人々と比べて正常な歴史観、愛国心を持っていない。 

どの国だって自国に誇りを持っているし、愛している。 

しかし、日本にはそれを壊そうとする日本人がいる。おか

しな話しである。

Sugihara4
考えてみてもらいたいのですが、中国は今、何をしていま

すか?チベット、台湾、ウイグル、内モンゴル等の独立を

阻止し、少数民族を抑圧しています。 韓国は?長年、中

国の属国であった弱小国家の韓国ですが、ベトナム戦争の

時に何をしましたか?当時、世界最貧国として数えられて

いた韓国。 日本の多額の援助以外にも、アメリカからの

援助も期待していました。そのために30万人以上の軍隊

を韓国政府はベトナムへ派遣しました。そこで、韓国兵は

、村襲撃、略奪、強姦、虐殺を繰り返しました。世界一、

二を争うレイプ大国の韓国ですが、多くのベトナム人女性

をレイプし、数万人者合いのコを作りました。(通称:ラ

イタイハン)。 日本からは強制連行、従軍慰安婦問題等

でかなり事実をねつ造しておりますが、彼らは、日本にま

だお金を要求し続けているのは事実です。しかし、日本は

1965年の日韓基本条約締結後の国交回復において、当

時の国家予算レベルのお金を彼らに与えましたし、その後

、1990年頃まで、援助し続けました。資金と技術の双

方です。しかし、彼らは全く感謝の意を表しておりません

そのくせ、ベトナムに対しては謝罪も、賠償も何もしてお

らず、「未来志向でいきましょう」と二枚舌を使っている

のは事実であります。

 

白人にしてもアメリカ大陸、オーストラリア大陸に侵略し

、原住民を制圧したわけですし、欧州内においても過去に

多くの争いがおこなわれてきたので、欧州内でも仲が良く

ない国があります。 あの貧しいアフリカでも国と国もし

くは民族同士争いがあります。(一つ、一つ述べていくと

長くなるので割愛しますが)

 


国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

アキーラさんユーチューブチャンネルは下記

http://www.youtube.com/user/Yuukokunoshi1

リトアニア・ヴィリニュス国会バリケード

バルト3国の中の1か国・一番南に位置する リトアニア

リトアニアは首都のビリニュス、古都のカウナス、トラカイ等を訪問しました。

今回のテーマは

アキーラさん訪問!リトアニア・ヴィリニュス国会バリケード

 

旧ソ連部隊とリトアニア国民の戦いの地!非武装抗議!共産社会主義の真実!!

第二次世界大戦前、リトアニアは独立国であったものの、1­940年にラトビア、エストニアと共にソ連に併合された。戦後、独立運動は抑圧されて­きたものの、1980年代後半からゴルバチョフによって開始されたペレストロイカ、グ­ラスノスチのもと、独立回復を求める国民の声が高まった。

1988年6月には民族戦線­であるサユディスが結成され、1990年3月にはリトアニア共和国がソ連からの独立を­宣言するに到った。こうした動きは連邦維持を主張するソ連共産党の保守派や軍部を刺激­した。ソ連末期の1991年1月、独立運動が高まるリトアニア・ソビエト社会主義共和­国にソ連軍が侵攻し、独立運動を弾圧。そんな中、この国会議事堂前では市民がこれに対­抗するために、数万人の市民はコンクリートのバリケードを造り、議会とテレビ塔を死守­するために集結。

バリケードを築き、非武装での抗議をした。被害者も出た。当時の事を思い、その時の情­景を思い浮かべてみた。


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