国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

沖縄

【世界遺産】沖縄県・中城・中城城跡

ソニーの4KビデオカメラFDR-AX100で撮影)
【琉球王国のグスク及び関連遺産群の1つ中城城跡】
14世紀後半頃迄に先中城按司が数世代にわたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味城から移ってきた護佐丸盛春によって、三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したと言われています。

中城王子の居城から1609年の薩摩の琉球侵攻後は番所に。明治になり廃藩置県後は中城村役場として戦前まで利用されました。

興味深いのは日本に開国を迫ったペリーは1853年5月に沖縄本島を訪れ、彼と一行は城壁やアーチの門の建築土木技術水準の高さに驚嘆したとようです。
沖縄の本土復帰と共に国の史跡に、2000年11月に世界遺産登録。
2006年に日本100名城に選ばれました。

沖縄県那覇市・国際通り近くの第一牧志公設市場!

那覇市内の牧志公設市場に。
本土の市場では見る事が出来ないものを見る事が出来ました。国内外の市場めぐりは面白いですが、沖縄の市場も興味深いです。

沖縄の近郊で獲れる魚。やはり熱帯、亜熱帯だと獲れる魚は本土とは異なります。見たことのない魚もあれば毒魚かと心配になるほど色鮮やかな魚ばかりです。
イシガキダイは何度か釣り上げたことあります。

釣り好きな自分ですので
魚はやはり同じ魚でも寒流にもまれた魚のほうが身が締まっていたり、脂がのっていたりして美味しいですが、沖縄の近郊で獲れる魚も食してみるとよいでしょう。

【航空マニア必見】沖縄県嘉手納町・嘉手納基地!様々な軍用機

25年ぶりに嘉手納基地に。
知る人ぞ知る米空軍の基地。

基地の総面積は、約19.95km2。3,700mの滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。

滑走路においては成田国際空港(4,000mと2,500mの2本)や関西国際空港(3,500mと4,000mの2本)と遜色なく、日本最大級の飛行場の一つということになっている。

米軍の所在部隊は
・第18航空団
・第353特殊戦航空群
・第733航空輸送隊
・第82偵察隊
・第390情報隊

米軍に関して
日本が真の独立国となるには戦後にアメリカ、GHQにより
押し付けれた憲法を後生大事にし、アメリカのコマとしての
日本ではなく日本自らが自国の領土を米軍無しで守っていけるようにすることが本当の意味での真の独立国家である。(もちろん押し付け憲法下では
日本単独で周辺諸国の脅威を払拭するの不可能に近く米国頼りにならざるを得ないのは事実である=これも米国の思う壷。今、米軍基地が撤退すれば中国や北朝鮮の脅威に耐えられなくなるのも実情。)

戦後のGHQによる公職追放などにより
戦後、保守と称される人々がアメリカの顔色を伺うものばかり。
基地反対派をみれば
大陸寄りの共産党や社民党、沖縄大衆党の左派に毒された人々も多いのであるが、沖縄の基地問題は非常に複雑で一言では語れない。

政治的な話しを言及するときりがないので
ここら辺でやめておくが、嘉手納基地を一般人が見る場合
道の駅嘉手納の最上階か安保の丘である。

ここにくる人々は左右の思想問わず訪れているが
右も左も分からない、政治に興味がない人々もかなりの数訪問している。
政治思想なく単なる軍事オタクの人々やメディアに写真を卸している人々も多くいる。
良い写真を撮るには望遠を持参すべきである。
300mmの望遠で撮影しましたが良い写真と映像を撮ることが出来た。
でも400~500ミリの望遠があったほうがいい。

【沖縄お勧め観光名所】沖縄県恩納村のテーマパーク「琉球村」古き良き沖縄を体験!

【ソニーの4KビデオカメラFDR-AX100で撮影】

26年ぶりに琉球村に。
名護から南下して恩納村を訪問。琉球村に。

古きよき沖縄、琉球の文化・伝統を今に伝える体感型テーマパークです。

築約200年の民家など、沖縄各地の古い建物を移築して、古きよき沖縄を再現したテーマパーク。
藍染め、陶芸、織物、紅型(ビンガタ)などの工芸体験教室や、エイサーや舞踊、獅子舞などの沖縄の芸能を楽しむ事が出来ます。

沖縄の古民家も素敵ですね。

沖縄県糸満市ひめゆりの塔!ひめゆり平和資料祈念館!

【沖縄戦の戦跡地巡り&慰霊③】

糸満にある「ひめゆりの塔」を再訪。
沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑。

慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなんでいます。

「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で、元来は「姫百合」でしたが、戦後ひらがなで記載されるようになりました。

昭和20年3月24日に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名・生徒222名)は、南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍。

5月25日には陸軍病院そのものが回復の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りにして南部の伊原・山城周辺に撤退し、分散して地下壕に潜みました。

戦局が絶望的になると、6月18日、学徒隊は解散を命じられました。
既に沖縄のほぼ全域をアメリカ軍が支配しており、また周辺も既に激しい砲撃にさらされていたため、地下壕から出ることはほとんど死を意味しました。

職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、職員13名であるが、このうち解散命令以後に死亡したのは117名で全体の86%にものぼり、さらに判明しているだけでも全体の35%にあたる47名が第三外科壕に攻撃があった6月19日に亡くなっています。

沖縄県名護市・名護曲レストラン(国道58号線沿い名護のお薦めレストラン)

名護市の人口は62000人程。人口+観光客の多い那覇に比べるとお店は少ないです。その分、沖縄の田舎らしさ、のんびりとした雰囲気を楽しむ事が出来ます。

夕食をどこでとろうかと考えていましたが
ある方からお薦めいただいていた一覧をみていると名護にも
お薦めのレストランが。

レストランの名前は名護曲レストラン。
ナゴキョクと本土の人は発音すると思いますが
こちらの言葉でナグマガイ。
ナグマガイレストランです。

琉球料理、和食、アメリカ料理と
メニューは豊富でどれにしようか悩むほどです。

今回はお薦めいただいた
名護曲定食(1350円)をいただきました。
一番人気で様々な琉球料理が楽しめます。

料理映像上左から
もずく酢、おから、みそ和えお刺身
中左から
ジーマミー豆腐(ピーナッツ豆腐)、ラフテー(豚の味噌角煮)、グブイリチー(昆布の煮付け)
下左から
クファジューシー(沖縄風炊き込みご飯)、ニガ菜豆腐和え、イナムドゥチ(白みそ汁)

店内は広々としていて雰囲気もよく
名護に来たら是非とも利用していただきたいレストランです。

沖縄県那覇市のホテルルートイン旭橋東!国際通り徒歩圏内!

17年ぶりの那覇滞在時に利用したホテル。全国にチェーン展開するルートインの旭橋東。
部屋はビジネスホテルなので狭いですが、最上階には大浴場がついており、朝食バイキングも充実。宿泊者は駐車場無料。
国際通りからも徒歩県内です。1泊朝食つき7300円でとりましたが、お手頃価格の宿をお探しでしたらお薦め出来ます。

【沖縄の世界遺産】沖縄県那覇市・識名園(琉球庭園)

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】
那覇市にある琉球庭園の1つである識名園。
琉球王国のグスク及び関連遺産群の1つに指定されています。

造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(在位・1752年 – 1795年)の時代に始まったと言われていますが定かではないですが、完成は尚温の時代の1799年。

庭園好きな小生ですが
この庭園は非常に落ちついており
昼寝などして1日過ごしたいと思える庭園でした。

沖縄県国頭村・沖縄本島最北端の辺戸岬!絶景!祖国復帰闘争碑!

沖縄本島最北端の辺戸岬を訪問。

国頭村に位置しており、鹿児島県与論島からたったの28キロの距離で与論島がみえる岬です。
学生時代17年程前に与論島にダイビングの免許をとりに
いき、4泊しましたが非常に懐かしく思えました。
与論島から17年前に見たのが辺戸岬です。

沖縄県がアメリカの統治下にあった頃、本土復帰を願って、ここから沖縄の人々がのろしを上げていました。
昭和47年の沖縄返還にさいして建立された「日本祖国復帰闘争碑」があります。