【400年程前に仙台藩の支倉常長が慶長遣欧使節団を率いて滞在したメキシコ・洗礼を受けたとされるサンフランシスコ教会】
江戸時代初期に仙台藩の伊達政宗の命で慶長18年(1613年)にフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王・フェリペ3世、およびローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した慶長遣欧使節団。
航路は当時のスペイン領だったメキシコまで太平洋を航行、使節団は翌年1月28日にメキシコの沿岸都市アカプルコに到着し、3月にはメキシコシティーに。
そして、このメキシコシティーのサンフランシスコ教会で洗礼を受けたといわれています。
先遣隊の武士がメキシコシティで盗人を無礼討ちにし、常長ら10人を除き武器を取り上げられたようで、400年以上前に、武士達が日本から遠い異国の地を渡り歩いていた姿をみて感慨深い気持ちになりました。
その後、使節団はメキシコを横断し、太平洋沿岸都市からキューバを経由して、欧州に。
常長が帰国したのは元和6年8月24日(1620年9月20日)に帰国。交渉事には成功せず、常に日本では禁教令が出されていましたが、帰国から2年後に死去。
支倉家は桓武天皇を祖とし、途中から伊達氏に仕え、仙台藩では高級武士の家として知られていましたが、常長死後は、支倉家は嫡男常頼が後を継いだが、寛永17年(1640年)、家臣がキリシタンであったことの責任を問われて処刑され断絶。
しかし寛文8年(1668年)、常頼の子の常信の代にて許され家名を再興した。その後、第10代当主の代まで宮城県黒川郡大郷町に 、第11代から現在の第13代支倉常隆に至るまで仙台に。
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