世界70か国程で利用してきたマクドナルド。留学時や駐在時は週に何回も利用していました。ベトナムはベトナム戦争、共産社会主義陣営の北ベトナムが自由主義陣営の南ベトナムに勝利。そのため、暫くの間アメリカ資本が入っていなかったのですが、マクドナルドは10年程前に進出。
今回はベトナムのホーチミンにある日系デパート高島屋内にあるマクドナルドでマックロイヤルDLXセットを注文。
世界70か国程で利用してきたマクドナルド。留学時や駐在時は週に何回も利用していました。ベトナムはベトナム戦争、共産社会主義陣営の北ベトナムが自由主義陣営の南ベトナムに勝利。そのため、暫くの間アメリカ資本が入っていなかったのですが、マクドナルドは10年程前に進出。
今回はベトナムのホーチミンにある日系デパート高島屋内にあるマクドナルドでマックロイヤルDLXセットを注文。
ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相が国連総会で日本の福島第一原発の処理水放出を非難。IAEAが安全な状態と判断し流している安全に処理された処理水。福島第一原発の処理水は震災前よりトリチウム量は増えているのは事実だが
中国、韓国の原発の5分の1、6分の1程のトリチウム量。日本の5、6倍のトリチウム量を流している中国の原発。それを棚にあげて日本を非科学的に叩いている。
中国は習近平体制で一帯一路構想のもと世界各国をとりこもうとしている。人口が少なく経済力が低い太平洋島嶼国、中米、アフリカ諸国などに支援をし、チャイナマネーにより口利き、工作しているのが実情。
かつて小生はフィジーに仕事で駐在していましたが、フィジー再訪し、フィジーを拠点にしてソロモン諸島やサモア、トンガ、バヌアツ、ツバル、キリバス、ナウルなどを訪問。中米再訪やアフリカ縦断をし、現地より実録映像を交えて実情を伝えていきます。
グアムの中心部タモンから北進。米軍のアンダーソン空軍基地から近い距離にある南太平洋戦没者慰霊公苑。平和寺の建物の奥には平和祈念塔(慰霊塔)と慰霊碑(第18連隊、第521海軍航空隊、独立自動車第265中隊など)がある。
北側には旧日本軍の司令部壕跡がある。
この辺りはグアムの戦い最後の激戦地となった場所。
司令部壕には説明書きがあり
「第31軍司令官‐小畑英良司令官中将は最後の総攻撃を下命するにあたり天皇陛下および大本営に足し、『己れの身を以て、太平洋の防波堤たらん』と決別の辞を打電し60名の将兵と共に自決した。時は1944年8月11日未明であった』と書かれている。
しかし、中部太平洋陸軍作戦の書物では60名の将兵は自決ではなく、壕が撃破され、兵員の殆どが戦死と書かれている。
壕は爆破された時の傷跡が残っており、当時の状況を物語っており、壕の近くには日本軍飲料用水槽や1人用塹壕『蛸壺』が残されている。日本軍飲料用水槽がある場所の近くに階段があるが、そこに小川が流れている。
雨期なので湿気があり、小生が到着時は曇っていたのが急に太陽が出てきて非常に蒸し暑く、蚊も多かった。
グアムは数は減ったとはいえ、日本人に人気のビーチリゾート。綺麗な海で海水浴も楽しんでほしいが、かつて日米激戦となった地、数多くの日本人に慰霊訪問してほしいと切に願っている。
グアム島北部の叉木山々麓は日本守備軍(小畑中将軍司令官)玉砕の地。この地に太平洋戦域に散華した50万余柱の英霊を合祀する慰霊塔と平和を祈る家(平和寺)を建設し、諸霊位を慰め、世界の恒久平和を祈念している。
昭和41年に(財)南太平洋戦没者慰霊協会設立。同年、グアム島ジーコ村にグアム平和慰霊公苑の日米合同建設起工式がおこなわれた。昭和45年に太平洋全域における戦没者を合祀する表徴的慰霊塔及び納骨堂が完成し、除幕式がおこなわれた。
昭和57年に苑内に我無山平和寺が完成。僧侶を派遣常駐させていたが、平成10年4月に僧侶常駐廃止。
苑内には平和寺、慰霊塔、慰霊碑のほか、旧日本軍司令部壕や飲料用水槽が残されている。
初のグアム。グアム島を車で一周。南西部はのどかな
南国の田舎の雰囲気が残っておりお薦めです。
現地のニッポンレンタカーで借りた車。
1日追加任意保険含めて88USD(約13000円)×3日間⁼264USD(約39000円程)で借りたTOYOTAのRAV4。毎日のように雨が降りましたが、車高高く四駆なので水溜まりや砂利道なども問題なかったです。
海外留学時に車を持っていましたし、世界の多くの国々でレンタカーを借りて運転慣れ(海外5万キロ程運転)しているので海外での運転は問題ないですが、久しぶりの左ハンドル、日本とは反対の車線だったので気をつけました。
日本人に大人気のビーチリゾート。日本から気軽にいけるアメリカの準州『グアム』。
グアムの中心部タモン地区夜の繁華街。宿泊ホテルからタモン中心街、夜の繁華街を歩いてみた。
治安はどうなのか?歩きながらの撮影で解説