【フィリピンのマバラカット‐旧日本軍のマバラカット西飛行場‐神風特攻隊が初めて飛び立った地】
フィリピンのアンヘレス滞在中に訪問した場所の1つが、旧日本軍のマバラカット飛行場跡地にある顕彰碑。西飛行場と東飛行場双方訪問しました。
神風特別攻撃隊員から、可愛がられてたフィリピン人のダニエル・ディソン氏が同志を慕って昭和49年(1974年) にマバラカット東飛行場跡に顕彰碑を建立しました。
しかし、
平成3年(1991年)年のピナツボ火山の大噴火で、火山灰の下に完全に埋ってしまいました。
今ある顕彰碑はその後に再建されたものです。
昭和19(1944年)年10月21日、関大尉以下の神風特攻隊が最初に飛び立ったのは「マバラカット西飛行場」です。
敷島隊が最初に突入に成功したのは10月25日で、離陸したのは「マバラカット東飛行場」です。
ディソン氏が昭和49年(1974年)、最初に特攻隊の記念碑を建てる時、最初に神風特攻隊が飛び立ったマバラカット西飛行場跡につくりたかったのですが、当時、その場所は米軍基地の敷地内だったので断念。やむなく、マバラカット東飛行場跡に建てられました。
動画の前半は西飛行場跡
フィリピン政府とマバラカット市観光局によって平成16年(2004年)に完成したマバラカット西飛行場の顕彰碑です。
西飛行場の顕彰碑はクラーク経済特区にあり、許可がないと入れませんが、コネを使い視察させていただきました。
動画後半の動画は東飛行場跡
東飛行場跡には愛媛県大町村(現西条市)出身で、海軍兵学校での関行男大尉の像が建立されています。「神風特攻隊」の一番機として出撃し、昭和19年(1944年)10月25日にレイテ沖海戦で米護衛空母「セント・ロー」に体当たり海に散りました。
関行男大佐、当時23歳
大尉から中佐に戦死後に昇進。
※ニコンのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはF2.8 24-70㎜の広角ズームレンズ
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