今から123年前、明治35年(1902年)1月に起きた八甲田雪中行軍遭難事件。 日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件です。 訓練への参加者210名中199名が死亡するという日本の冬季軍事訓練において最も多くの死傷者を出した事故であるとともに、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故。 この訓練は、厳寒地における対ロシアとの戦いを想定した訓練であり、実際に、この2年後に日露戦争が勃発しています。 後藤房之助伍長の像の背後にある山々が八甲田山系(18の成層火山や溶岩円頂丘で構成される火山群。最高峰は大岳で1584m)
青森県八甲田山!明治35年-八甲田雪中行軍-遭難事件現場!慰霊訪問
« 【戦時中のウクライナ㉘】ウクライナのオデーサ(オデッサ)の防衛記念公園(戦争博物館)-第二次世界大戦~冷戦下にソ連で使用されていあT34などの戦車や装甲車、潜水艦、対戦車砲 【高級魚クエの鍋&海鮮丼‐懐石料理】東京- 池袋(東池袋)のオススメ創作和食居酒屋『忠治』で海鮮料理 »
コメントを残す