国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

タイ・バンコク・バングラデシュ人との交流

タイ・バンコク・バングラデシュ人との交流

【宿で仲良くなったバングラデシュ人バングラデシュ????????】
I made friends with a Bangladesh man in the same guest house. I visited Bangladesh 6yrs and 7months ago and miss Bangladesh.I hope that he will come to Japan in the future.
バングラデシュで思い出されるのは一昨年7月にダッカで起こったイスラム過激派によるグルシャン地区襲撃事件。死亡者 28人(民間人20人(イタリア人9人、日本人7人、インド人1人、アメリカ人1人、バングラデシュ人)、犯人6人、警察官2人)

私は、6年半年前にバングラデシュのダッカに渡航し調査。数多くの場所を写真と映像で撮影しました。テロの現場となったダッカの高級住宅街であるグルシャン地区も訪問。(各国大使館がたまる東京でいう青山みたいな場所)現場となったイタリアンレストランから100メートル程の距離にある北朝鮮政府直営レストランへも潜入調査。

他に1977年に日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件(人質の身代金として600万ドル(当時の為替レート〈1USD≒約266円〉で約16億円)と、日本で服役および勾留中の9名(奥平純三、城崎勉、大道寺あや子、浴田由紀子、泉水博、仁平映、植垣康博、知念功、大村寿雄)の釈放と日本赤軍への参加を要求し、これが拒否された場合、または回答が無い場合は人質を順次殺害すると警告)の現場となったダッカ旧空港を視察。

現地踏査において数多くのバングラデシュ人とは交流しました。
宗教は90パーセントがイスラム教、9パーセントがヒンドゥー教。1パーセントが仏教とキリスト教。これら全ての宗教施設を視察しました。

あのような凄惨な事件がおこったバングラデシュですが、基本的に国民の大半は日本に良い感情を持っている親日国の1つです。リキシャに乗って様々な場所を訪問、徒歩散策していると数多くのバングラデシュ人に手を振られたり、握手を求められたり、写真撮影を求められました。

バングラデシュ人がよく言及するのは
「日本は様々な分野で助けてくれている。ODAの援助による資金と技術援助双方で道路や建物を建設してくれ、ほとんどの国民は日本に感謝し、好きである」

イスラム教徒(主に中東)は十字軍の時代からの因縁でキリスト教を敵視する人々が非常に多い(欧州、シオニズム運動を展開し、イスラエル建国したユダヤ、それに助力するアメリカなど)
しかし、日本に対しての感情は非常に良いのです。しかし、イスラム過激派からすればアメリカのポチに見え、アメリカの下僕、仲間に見えてしまった結果が今回の結果です。

戦後の日本はアメリカ追従体勢、他国からみればアメリカのポチとみる人々も少なくありません。日本は真の独立国家としてアメリカの意向を伺うことなく
外交を発揮していかねば、日本が真の独立国家であるとはいえません。
(日本で保守派を称する人々をみると疑問符がつく人々ばかり。真の国士は非常に少ないのが実情)
戦後レジウムからの脱却とはすなわち、アメリカの圧力、意向を伺うことなく、日本独自で行動できるようになることです。(日本が中心となり世界を動かす必要がある)⇒もちろん、半島有事が緊迫化する現在は米国とは連携していかねばなりませんが。

海外長期4か国長期在住、66か国渡航、世界100か国以上数10万人の人々と
国際交流してきましたが、真実を見極める事が出来ます。

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です