国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

ベトナム・ホーチミン・日本軍上陸地点

ベトナム・ホーチミン・日本軍上陸地点

ホーチミン市内を流れるサイゴン川。ここは先の大戦で日本がベトナムを占領した際、南部仏印進駐の際に、外海から日本の艦隊がこの川を上り、この地に上陸した場所である。
欧米列強は、大航海時代以降に、アジア、アフリカ、アメリカ大陸に進出し、各地を植民地化していきました。
東南アジアのベトナム、ラオス、カンボジアは19世紀にフランスが保護国化、植民地化をし、この3国はフランス領インドシナと呼ばれていました。
第二次世界大戦が始まり、ドイツは破竹の勢いで、連戦連勝し、連合国軍側で参加していたフランス軍と激しい戦闘の末、勝利を収め、首都のパリも陥落しました。そんな中、暫定政権であるヴィシー政権がフランスで樹立されました。ドイツの影響下にあったこの政権ですが、
フランス領インドシナはフランスが統治したままでした。
そんな中、このヴィシー政権と交渉をし、戦闘をまみえることなく、日本軍は昭和15年(1940年)に北部仏印に進駐、さらには、開戦(動画では間違えて開戦と共にと論述してしまいましたが)前の昭和16年7月28日に南部仏印に進駐しました。
南部はサイゴン(現ホーチミン市)が主要都市でしたが、海岸からサイゴン川を上流にむかってのぼり、現在の都市部の船着き場から日本軍は上陸しました。
終戦間際まで日本軍は駐留し、多くの日本人が当時のサイゴンをはじめ、現在首都のハノイ、中部のダナンのあたりに住んでおりました。
終戦後、再び植民地化を図ったフランスに対して、日本(人)に見習えと日本軍から勇気と希望、戦闘方法を教わったベトナム人が起ちあがりました。
外の時にベトナム軍を指導するために、ベトナムのために尽力するために残った残留日本兵、日本人志願兵は約600名に上るとされており、陸軍第34独立混成旅団参謀の井川省少佐を始め多くの日本兵がベトナム独立のために尽力しました。
日本人志願兵はベトミンに軍事訓練を施したり、作戦指導を行っておりました。
ベトナム初の士官学校であるクァンガイ陸軍中学の教官・助教官全員と医務官は日本人でした。
後年、30名を上回る日本人がベトナム政府から勲章や徽章を授与されております。

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です