第一次世界大戦時に日英同盟を結んでいた日本は連合国側として参戦。敗戦国となったドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国。
ドイツの租借地であった青島で捕虜となった日独戦ドイツ兵捕虜4715名のうち、徳島県旧板東町(現鳴門市)の坂東俘虜収容所は約1000名を収容。期間は1917年-1920年の3年弱。
所長は会津藩士の子息として生まれた松江豊寿中佐(後の大佐⇒少将)が所長を務め、捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で友好的な処置を行ったとしてドイツ国内、世界的な評価が高かった。
捕虜をある程度自由に活動させ、ドイツ人捕虜と日本人との交流は、その後の日独関係の有効に貢献。
1920年4月1日に収容所は閉鎖され、陸軍の演習所として使われた。
戦後は、うち半分残っていた収容所建物は引き揚げ者の住宅として使用され、居住した1人に元プロ野球選手の板東英二氏がいる。
1972年に開館したドイツ館。現在ある建物は1993年竣工の2代目。館内には当時の様子を知る事が出来る貴重な資料や写真、物品などが展示されている。

ドイツ兵捕虜の子孫が日本に来て、板東の人々と交流し、日独の友好を深めている。
俘虜収容所跡地はドイツ村公園として整備され、
当時の収容所の基礎や給水塔跡、敷地内にあった二つの池や捕虜の慰霊碑が残されている。
2006年公開の映画「バルトの楽園」で映画化もされた。
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