【沖縄戦の戦跡地巡り&慰霊②】
敗色が強まりつつある昭和19年5月に陸軍病院は開設され、同年10月の10.10空襲後に現在の南風原小学校に移動し、小学校の近くにある黄金森に米軍上陸にそなえて壕も掘られました。
南風原陸軍病院の本部壕、第一、第二、第三 外科壕があった。第三外科壕は現在の南風原町役場の後方に位置し、本部壕、第一、第二外科壕は黄金森にありました。
昭和20年年4月1日に米軍が上陸してからは負傷兵が次々に運び込まれるようになりました。
麻酔はすぐに底をつき手術は麻酔無しで行われました。
負傷した兵士は手足を切断する必要のある兵士も多く、麻酔無しの手術のために激痛が走り、手術の間、患者が暴れないよう押さえることや切断した手足や死体の処分等も
ひめゆり学徒の仕事でした。
ここで亡くなった兵士も多くいます。
昭和20年5月25日に南部撤退命令が出て
南部に移動。
ここには実際に使われていた当時のままの壕のうち20壕が有料で見学できます。
縦横180センチほどの小さな通路で70メートル程の長さがあります。
壕内は湿っており、電球がないので安全のためにヘルメットを着用し、懐中電灯を借りて案内人の方の説明を聞きながら
進む感じになります。
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