今年(平成25年)6月にかつての日本の委任統治領であるパラオを訪問しました。
パラオ訪問時に、日米の激戦地になったペリリュー島を訪問しました。マラカル島からボートで約1時間程で到着しました。
船外機ボートはヤマハ(発動機)のものがほとんででたまにスズキ製品があります。これらに浜松に関連した会社の製品が世界のシェアを独占しております。基本的にどこにいってもヤマハ製を多く見かけます。
小型ボートをチャーターしました
日章旗と旭日旗を掲げた。
英霊の方々が歓迎してくれたのか清々しい天気でありました。昭和19年9月15日米軍によるペリリュー初上陸が行われた。(海岸からの戦艦等によるに艦砲射撃後に)。(オレンジビーチ)米軍の計算では数日で陥落させる予定が、一斉の日本軍の射撃、砲撃にあり反撃をくらい小さな島であるが陥落までに2か月以上を要した。日本軍の死者約11000人、米軍の死者約8000人。祖国を守るために戦われて命を落とした英霊の方々に感謝の意を表するとともに慰霊をさせていただきました。
ペリリュー島・米軍初上陸地
上記地点より南の地点。非常に綺麗な海でした
アメリカが攻めて来るのを事前に察知し、戦闘にペリリュー島民を巻きこまないように、島民を本島のほうへ移しました。しかし、そんな中、一部のペリリュー島民はペリリュー島決死隊を結成し、日本軍と一緒にアメリカと戦ったのでした。
日本は武士道精神を重んじた行動をしておりました。素晴らしい国・我らが日本
国際&旅行ジャーナリスト 大川原 明
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