国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

パラオ

親日!パラオ人が日本名?【台湾ワクチン提供】台湾と同じく親日国『パラオ』生粋のパラオ人が日本の名前『ナツオ』?何故なのか?日本が委任統治した国パラオ!

【台湾と同じく日本が統治した親日国『パラオ共和国』で生粋のパラオ人が日本名『ナツオ』】

台湾へのワクチン提供が話題となっていますが、同じく日本が統治した国で親日国の中でも親日である『パラオ共和国』。

パラオは9日間の日程で訪問し、コロール島やバベルダオブ島の日本関連物を写真と映像で撮影。日米激戦地となったペリリュー島へも慰霊訪問。ペリリュー神社も参拝。
現地ではレンタカーを借りました。コロールの市街地から少し遠いホテルに宿泊したため、お酒をいれる際は必ず、タクシー利用。タクシー運転手と話しをしていく中で、タクシー運転手名札がNATSUO(ナツオ)。

パラオでは日本統治時代に少なからず、現地パラオ人と結婚した日本人がおり、混血も少なからずいるので、混血かと思ったら、純潔、生粋のパラオ人とのこと。
何故、ナツオという日本名なのか質問すると、父親が日本人を尊敬しており、父親の尊敬する日本人から自分の名前をつけてもらったとのこと。

パラオ人と接して、非常に親日であるというのを実感しました。日本が統治した時代、インフラを整備して、教育も充実化させた。日本語も現地の言葉として複数用いられており、日本食屋以外の食堂やカフェでウドンを提供しているなど親日であると実感しました。

パラオが独立後、最初の大統領が日系人(混血)のナカムラクニオさんだというのは周知のとおりですが、パラオは必ず再訪。前回行けなかったアンガウル島も訪問します。
以前は成田からデルタ航空が直行便だしていたのですが、今は出ておらず。コロナ収束後に直行便復活を願っています。

親日

親日国

パラオ

台湾

台湾ワクチン提供

台湾加油

委任統治領

保守速報

パラオ人

パラオ共和国

ペリリュー島

【親日国】かつて日本が委任統治したパラオの2つの神社『ペリリュー神社&南洋神社(コロール島)』

かつての日本の委任統治領であったパラオ共和国を8泊9日の日程で訪問。コロール島のホテルを拠点に、レンタカーを借りてバベルダオブ島などを訪問。訪問目的の1つが日本統治時代の日本関連物調査と日米激戦地調査(聞き取り調査&写真と映像での撮影)
かつて日本が委任統治したパラオ共和国。

パラオには2つの神社があります。

1つはパラオのコロール島の南洋神社跡。一部は現存しているが、多くは戦後に再建されたものです。
統治時代は、敷地はもっと広く立派であったそうですが。南洋神社参拝。かつての日本人が多くこの神社に参拝していたかと思うとその光景が脳裏に浮かびます。このあたりで亡くなられた英霊達もこの神社に合祀されております。

もう1つはペリリュー島にあるペリリュー神社。
米軍最初の上陸地や1000人防空壕、司令本部跡、旧日本軍ゼロ戦や戦車の残骸、ペリリュー神社等参拝。

1934年に天照大神を祭神とする南興神社(ペリリュー神社)が建立され、現地の日本人住民は島の繁栄を祈願してきた。1944年、ペリリュー島で日米による激しい戦闘(ペリリューの戦い)が行われ破壊されました。

この近くにはかつて日本人学校もあったそうです。コロール島と同じように軍人でない日本人も暮らしていたとの事です。1982年に清流社が日本から運搬した材料を使って、ペリリュー神社が再建。
この際、ペリリュー島で戦死した一万余名の英霊が併祀されました。

パラオ

ペリリュー神社

ペリリュー島

神社

パラオ共和国

親日

親日国

南洋神社

親日国パラオで世界遺産ロックアイランドツアーに参加!ミルキーウェイ、シュノーケリング、無人島上陸

親日国パラオで世界遺産ロックアイランドツアーに参加!ミルキーウェイ、シュノーケリング、無人島上陸!Rock-islands tour in Palau

日本の委任統治領であったパラオ。30年間もの間、日本が統治した国ですが、国民はとても親日。日本人にとって非常に居心地が良い国です。
ペリリュー島やアンガウル島などの慰霊訪問は必ずしていただきたいのですが、ビーチリゾートとしての魅力も素晴らしいです。
ロックアイランドのツアーはお薦めで、シュノーケル堪能や綺麗な海を見る事が出来ます。

パラオ

ロックアイランド

委任統治領

親日

親日国

パラオ・コロールタウン・日本食&パラオ料理(モグモグシーフード)マッドクラブ

日本人経営のモグモグシーフードで食事をした。熱帯にはマングローブ林が多いがそのマ­ングローブ林でとれるマッドクラブ。1キロ程あり。肉もしっかりつまっており美味しか­った。他に、パラオ料理が並ぶ皿を注文。陸蟹、タロイモ、タピオカ、マングローブ貝等­を堪能

パラオ・日米激戦地ペリリュー島の飛行場 !

パラオ・日米激戦地ペリリュー島の飛行場 !国際ジャーナリスト大川原 明!現地ルポ!

パラオ・ペリリュー島にある旧日本軍敷設の飛行場

第一次世界大戦に連合国として参加した日本は、第一次世界大戦では戦勝国となり、敗戦国となったドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオはドイツの植民地支配を脱し日本の委任統治領になりました。

30年近く日本の統治下であったパラオですが、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路などのインフラ整備を進めるとともに貨幣経済浸透と日本語教育がおこなわれました。

ペリリュー島は、旧首都がおかれていたコロール島の南西に位置している面積はおおよそ13km2の小さな島です。

昭和19年9月15日米軍によるペリリュー初上陸が行われました。
(海岸からの戦­艦等によるに艦砲射撃後がおこなわれたあとに上陸作戦が開始)。

米軍の計算では数日で陥落させる予定­が、一斉の日本軍の射撃、砲撃にあり反撃をくらい小さな島であるが陥落までに2か月以­上を要しました。

日本軍の死者約11000人、米軍の死傷者約8000人。
アメリカが攻めて来るのを事前に察知し、戦闘にペリリュー島民を巻きこまないように、­島民を本島のほうへ移しました。しかし、そんな中、一部のペリリュー島民はペリリュー­島決死隊を結成し、日本軍と一緒にアメリカと戦いました。

親日国パラオ!子供や会社に日本名をつけるかつての日本の委任統治領パラオの人々!なぜ日本名を?世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第2話!

子供や会社に日本名をつけるかつての日本の委任統治領パラオの人々!世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第2話!

【パラオとは?】

パラオは、太平洋に浮かぶ小さな国。かつて日本が国連に依頼され、委任統治しました。日本が統治する前は、ドイツの委任統治領であったのでした。しかし、第一次世界大戦でドイツが敗戦をした結果、日本が国連よりパラオの統治をゆだねられ、30年程日本の委任統治領であったところです。通称パラオは、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国である。首都はマルキョク。平成18年(2006年)10月7日に旧首都コロールから遷都されした。
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パラオは、16世紀頃より、スペイン人が初めて渡来し、次いでポルトガル人、イギリス人がやってきました。パラオはその後、1885年にスペインの植民地下に入りました。これらのヨーロッパ人により天然痘などが持ち込まれ、また現地人に対する搾取が行われた結果、パラオの人口は90%程度減少したといわれています。1899年に、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、グアムを除くスペイン領ミクロネシアを450万ドルでドイツに売却、パラオもこれに含まれ以降ドイツ植民地となりました。

【日本の統治】

1914年に第一次世界大戦開戦後、当時、日英同盟を結んでいた日本は、米英と同じ連合国側として参戦し、連合国は勝利をおさめました。日本軍は、第二次世界大戦とは違い、ドイツ軍と戦ったのですが、日本軍は海軍を派遣してドイツ軍と戦い、ドイツ守備隊を降伏させてこれを占領。第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領になったのです。

日本の統治が始まった後、首都のコロールには南洋庁及び南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ、パラオは周辺諸島における植民地統治の中核的な島となり、多くの日本人が移住しました。コロールではそれら日本人が住んでいた痕跡が今でも残っており、時折、日本統治時代にパラオに住んでいた方が、パラオを訪れております。

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日本の統治が始まってからは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病 院、道路など各種インフラストラクチャーの整備も重点的に行われ、1920年代頃になるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させてきました。また、日本統治の開始にともない日本語による学校教育が現地人に対しても行われるようになりました。

太平洋戦争末期に、アメリカ軍がパラオに侵攻してきた際に、南のアンガウル島やペリリュー島は激戦地となりペリリューでは日本人兵士約11000人が玉砕する(アメリカ軍死者は約8000人)程、激戦地となった。アメリカ軍が攻めてくる前に、日本軍はペリリュー島民を戦争の犠牲者にならないように本島へ移住させた。しかし、日本軍と一緒に戦うと島に残ったペリリュー島民も多くおりました。

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※上記写真はペリリュー島にある旧日本軍戦車

【親日国&パラオ共和国初代大統領は日系人】

今でもパラオは親日国であり、1994年独立の際は、尊敬する日本の国旗を真似て、国旗を作りました。初代大統領は日本人の血を引く日系人(現地人との混血)のナカムラ・クニオ氏です。日本はアメリカと並ぶパラオへの最大の援助国であり、それらへの感謝の碑をいたるところで発見します

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【親日国パラオ!自分の子供や会社に日本名をつける!?】

パラオ人は、日本統治時代に日本がした貢献に関して非常に感謝しており、非常に親日。日本、日本人を尊敬しております。そのため、自分の子供や会社、お店に日本名をつける人々が多いのです。
パラオ訪問時にタクシーを利用していると、タクシー運転手の証明書の名前が、YOSHIO(ヨシオ)という名前でした。著者が運転手に、「日本の血が入っているのか?」と尋ねると運転手は「いえ、純粋なパラオ人です。自分の父が日本が大好きで、尊敬する日本人の知り合いに自分の名前をつけてもらった」とのこと。

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他に、マラカル島を歩いていると、YOJIRO(ヨージロー)という自動車修理工場を見つけました。聞き取り調査すると、経営者はパラオ人。尊敬する日本(人)の名前を自分の会社名につけたとのこと。このように、この国では生粋のパラオ人が、日本人の名前を子供や会社につける事をしております。それだけ日本が尊敬、愛されているということです。

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【さいごに】

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いかがでしたでしょうか?日本は世界で非常に好かれた国である事は事実です。世界数多くの国々を渡り歩き、この目でみてきました。世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!シリーズはこれからも続々とアップしていきます。

【文章&写真】

〚略歴〛タイ⑬

国際ジャーナリスト
大川原 明(おおかわら あきら)
昭和五十四年(一九七九年)九月
静岡県生まれ
専修大学経営学部経営学科卒
大学卒業後、新卒で大手旅行会社入社、退職後、世界各地を調査渡航。
世界六〇か国訪問。今年中に百か国突破予定。
海外在住歴は留学、仕事で長期4か国計6年
世界一周後、日本一周(現在、四一都道府県訪問済み)国内外において、写真と動画双方にて撮影。証拠撮り。
※写真は全て、私自身が、現地調査によって撮影してきたものです。

 

上記記事に関しての質問や問い合わせ、取材、記事寄稿依頼、講演依頼等ありましたら

下記までご連絡ください。

大川原 明(オオカワラ アキラ)

E-mail:last-samurai-akira@hotmail.co.jp

携帯電話:090-6078-6677





コウモリのスープも!?パラオで絶対食べるべき名物料理5選

旅メディアに旅記事寄稿!今回のお題は、コウモリのスープも!?パラオで絶対食べるべき名物料理5選

太平洋に浮かぶパラオ共和国。ここはかつて30年程、日本の統治領だった時代があり、パラオ国内いたるところに、日本の名残があります。また、パラオの海は非常に綺麗で、ダイビングやシュノーケリング等のマリンスポーツを楽しめる事間違いなしです。
そんなパラオの食事はどんなものがあるのか気になる方もいると思います。今回は、コウモリ料理をはじめとしたパラオの名物料理を皆さんにご紹介いたします!

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たびねす記事

水中撮影!パラオ・世界遺産ロックアイランド・シュノーケリング・綺麗な珊瑚礁&熱帯魚

かつての日本の委任統治領であるパラオを訪問した。­多くの場所を訪れたが、その中で­訪れた場所の一つが世界遺産のロックアイランド巡り。­ツアーで参加した。ロックアイ­ランドと呼ばれる多くの美しい島をボートで巡り、シュノ­ーケリングポイントでシュノ­ーケリングを楽しんだ。多くのサンゴ礁、熱帯魚を見る事が­出来た。

パラオ・日本から寄付された車両(救急車、消防車、JA車両等)

パラオのコロール市内の目抜き通りの消防署内にあった日本から援助された消防車や救急­車等の車両。他にマラカル島でJA奈良の車両を発見。
日の丸­とパラオの国旗が。

太平洋に浮かぶかつての日­本の委任統治領であるパラオを訪問しました。
パラオはかつて、ドイツの委任統治領でし­たが、第一次世界大戦でドイツが敗戦をした­結果、日本がパラオの統治をゆだねられ、3­0年程日本の委任統治領で会った場所です­。

通称パラオは、太平洋上のミクロネシア地域­の島々からなる国である。首都はマルキョ­ク。2006年10月7日に旧首都コロールか­ら遷都。

16世紀頃より、海運の進歩の結果ミクロネシア諸島にもヨーロッパ人が訪­れるように­なり、スペイン人が初めて渡来し、次いでポルトガル人、イギリス人がやって­きました­。

パラオも1885年にスペインの植民地下に入った。これらのヨーロッパ人により­天然­痘などが持ち込まれ、また現地人に対する搾取が行われた結果、パラオの人口は90­%­程度減少したとされる。1899年に、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、グ­­アムを除くスペイン領ミクロネシアを450万ドルでドイツに売却、パラオもこれに含ま­­れ以降ドイツ植民地となった。ドイツはパラオでココナッツ、タピオカ栽培、アンガウ­ル­におけるリン鉱石採掘などの産業振興を行いました。

しかし、他のドイツの植民地と同­様に、道路や水道などのインフラストラクチャーの整­備や現地人への教育はほとんど行わ­れておりませんでした。

1914年に第一次世界大戦が開始されると、イギリスやアメリカなどと同じ連合国の一­­国であり、ドイツに対して宣戦を布告した日本が海軍を派遣し、ドイツ守備隊を降伏さ­せ­てこれを占領。

第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領にな­­りました。

コロールには南洋庁及び南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ、パラオは­周辺諸島に­おける植民地統治の中核的な島となり、多くの日本人が移住しパラオ支庁管内­の住民の­4人に3人は日本人となった(軍人を除く昭和18年6月末時点の居住者33,­960­人の内訳:内地人(内地出身日本人)25,026人、朝鮮人(朝鮮半島出身日本­人)­2,460人、パラオ人先住民6,474人、他にスペイン人・ドイツ人宣教師18­人­)。

日本の統治が始まってからは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院­­、道路など各種インフラストラクチャーの整備も重点的に行われ、1920年代頃にな­る­とコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させました。
また、日本統治の開始にと­もない日本語による学校教育が現地人に対しても行われるよ­うになった。

太平洋戦争末期に、アメリカ軍がパラオに侵攻してきた際に、南のアンガウル島やペリリ­­ュー島は激戦地となりペリリューでは日本人兵士約11000人が玉砕する(アメリカ­軍­死者は約8000人)程、激戦地となった。アメリカ軍が攻めてくる前に、日本軍は­ペリ­リュー島民を戦争の犠牲者にならないように本島へ移住させた。しかし、日本軍と­一緒に­戦うと島に残ったペリリュー島民も多くおりました。

今でもパラオは親日国であり、1994年独立の際は、尊敬する日本の国旗を真似て、国­­旗を作りました。初代大統領は日本人の血を引く日系人(現地人との混血)のナカムラ­・­クニオ氏です。日本はアメリカと並ぶパラオへの最大の援助国であり、それらへの感­謝の­碑をいたるところで発見します。

パラオ料理堪能!コウモリ料理挑戦!パラオ・JIVEレストランにて!

【閲覧注意】心臓の弱い人は見ないでください。ゲテモノ特集!新動画アップ!今回のお題は、パラオ料理堪能!コウモリ料理挑戦!パラオ・JIVEレストランにて!ラブラブ!
現地実録解説撮影動画!

ミクロネシアで食されているコウモリ。パラオ訪問時に、パラオコロール市内のJive­レストランで、パラオ料理を堪能しました。
コウモリスープ、ロブス­ター、カンクンサラダ、タロイモのコロッケ。満腹になりまし­た。
コウモリ料理は初めてでしたが、興味深かったので食してみました。ショック!
味は、脂身のない鶏肉のよう、少しだけ臭みがありクセがある。
身は少なったです。美味しくもなく不味くもなくといった感じでした。
他のパラオ料理と共に楽しみました。得意げ