パラオ・日米激戦地ペリリュー島の飛行場 !国際ジャーナリスト大川原 明!現地ルポ!
パラオ・ペリリュー島にある旧日本軍敷設の飛行場
第一次世界大戦に連合国として参加した日本は、第一次世界大戦では戦勝国となり、敗戦国となったドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオはドイツの植民地支配を脱し日本の委任統治領になりました。
30年近く日本の統治下であったパラオですが、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路などのインフラ整備を進めるとともに貨幣経済浸透と日本語教育がおこなわれました。
ペリリュー島は、旧首都がおかれていたコロール島の南西に位置している面積はおおよそ13km2の小さな島です。
昭和19年9月15日米軍によるペリリュー初上陸が行われました。
(海岸からの戦艦等によるに艦砲射撃後がおこなわれたあとに上陸作戦が開始)。
米軍の計算では数日で陥落させる予定が、一斉の日本軍の射撃、砲撃にあり反撃をくらい小さな島であるが陥落までに2か月以上を要しました。
日本軍の死者約11000人、米軍の死傷者約8000人。
アメリカが攻めて来るのを事前に察知し、戦闘にペリリュー島民を巻きこまないように、島民を本島のほうへ移しました。しかし、そんな中、一部のペリリュー島民はペリリュー島決死隊を結成し、日本軍と一緒にアメリカと戦いました。
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