国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

05月

中国において日本人6名がスパイ容疑で拘束&海外渡航時の行動&撮影の注意点

【中国において日本人6名がスパイ容疑で拘束&海外渡航時の行動&撮影の注意点】
中国において日本人6名がスパイ容疑で今年3月に山東省や海南省で拘束されていた事が発表されました。
(数年前にに拘束された日本人5名は未だに拘束されたままです。)
中国では日本式の温泉施設(いわゆるスーパー銭湯)がブームになっています。
今回拘束された6人は、地元の温泉開発会社の要請をうけて技術協力というかたちで政府当局から許可を得て地質調査に携わっていました。
今回の件は全くもってスパイ活動ではないと断言できますが、技術援助で訪れた技師にスパイ容疑をかけるのは国際的信用をさらに失墜させる結果になるでしょう。
2014年に中国国内で「反スパイ法」が制定されましたが、
この法律の定義は曖昧で当局役人の判断に任されている
といっても過言ではありません。
共産社会主義国家ではいわゆる賄賂は横行しています。
役人の汚職はひどいものです。賄賂を支払わなければ
逮捕、拘束もありえるのです。
スパイ容疑をかけられた5名(これが日本の諜報員(スパイ)であるか否かに関しては関係上、言及を避けますが)のうち4名は裁判公判中。しかし、秘密主義の共産社会主義国家ですので裁判の詳細は明らかにされてません。
今回の件で、中国から他国(主に東南アジア)へ生産拠点を移す日本企業はさらに増すでしょう。中国に駐在、赴任を命じられたら拘束される心配もつきものですから。
今回、皆さんにお伝えしたいのは
海外渡航時の撮影の注意点です。私は国内外で調査活動をしており、画像、映像双方での撮影をしています。
活動に支障をきたすのでどこの国で何があったとはいえませんが、複数の国で短時間ながらも拘束された経験があります。
まず海外での撮影に関しては
軍施設、軍車両、軍人を許可なく撮影するのを禁止している国々はかなりの数を占めます。
軍関係以外に、政府機関、空港、港湾なども国と都市、場所により禁じてます。もし撮影してしまうと知っている知らないに関わらず逮捕拘束される可能性は高いのです。
なので海外渡航の際の撮影にご注意ください。
私は国内外での調査と撮影をしています。
プロの自分としては上記写真のように特殊機材と特殊技術を用いれば撮影は出来ます。(今までも数多くの場所で撮影をしてきました。)いつも覚悟の上で撮影をしています。
現地で得てきた情報提供&映像画像提供も随時しています。
写真はフランスのパリを再訪した際に、パリ北駅構内で撮影した写真。フランスの諜報機関であるDGSEが事前にイスラム過激派がパリに潜入しているという情報を得ていたのですが、爆弾テロを警戒していまいた。
この数か月後にパリで大規模なテロがおこりました。
駅や地下鉄などの公共施設は軍が警戒していましたが、それが手薄な民間施設が標的になりました。
幸いにも日本は世界の数多くの国々と友好関係を結び、外国人の日本人に対しての信頼度は非常に高いです。
しかし、日本はアメリカの属国、アメリカに操られていると思っている国々も少なくはなく、主にイスラム系の国々、イスラム過激派の中では潜入してきた日本人をCIAのスパイと思う人々がけっこういます。(実際にCIAのスパイと化した日本人が日本には数多くいるのは事実)
CIAのスパイと疑いのある人々が先日、処刑されましたが。
話しは変わりますが、昨日、タイのバンコク、イギリスのマンチェスターにおいて爆弾テロがあり多くの方々が亡くなりました。タイのバンコクに関して軍の病院を狙った事から現在の軍事政権に不満を持つ国内の政治集団の一味の仕業と思います。(タイはタクシン派VS反タクシン派の政治的争いがここ数年おさまっていたのですが)
イギリスのマンチェスターの件に関しては
イスラム過激派のテロ(ISILのテロ濃厚)でしょう。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに
このような卑劣な行為を遺憾に思います。

新YouTubeチャンネル作成!タイ専門チャンネル!アキーラ/タイランド微笑みの国チャンネル

新YouTubeチャンネル作成!タイ専門チャンネル!アキーラ/タイランド微笑みの国チャンネル AKIRA-THAILAND CHANNEL

新しくYouTubeチャンネルを作成しました。5つ目となるYouTubeチャンネルです。チャンネル登録をお願いいたします。
チャンネル名はアキーラ/タイランド微笑みの国チャンネル AKIRA-THAILAND CHANNEL
です。
YouTubeチャンネルは今から7年前に開始しましたが(一番最初のチャンネル)、7年間で14000動画程アップ。
国内外で撮影してきた動画を中心にアップしてきましたが
14000動画のうち10%の1400動画程はタイに関しての動画です。
タイにだけ興味がある方も多いのでそういった方々の要望にお応えしてタイ専門チャンネルを作成しました。
タイ以外の動画はアップせず、タイのみの動画をアップします。
今まで、タイはバンコク、プーケット、パタヤ、サメット,ホアヒン,チェンマイ、スコタイ、カンチャナブリ,ランタ島、ハジャイ 、サトゥーン、クラビ、ランタ島、サトゥーン、ハジャイ、パーイ、クンユアム、メ―ホンソーン、ピピ島、チャーン島と数多くの場所を訪問し、現地で映像撮影。
6つ目のチャンネルも作成予定ですが
6つ目のチャンネルは英語で日本を案内するチャンネルです。
将来の起業の際にも役立つものと思っていますので近日中に作成します。

6月10日(土)19時~!東京都杉並区阿佐ヶ谷地域区民センター!激動の時代を迎える世界!海外の治安と危険回避方法!

前に告知させていただいた
東京都心での講演開催決定しました。
詳細は下記です。

【詳細】
日時:平成29年(2017年)6月10日(土曜日)19時~
場所:東京都杉並区阿佐ヶ谷地域区民センター
JR中央線阿佐ヶ谷駅近く

お題:激動の時代を迎える世界
海外の治安と危険回避方法
国際事情に関して     2時間ですが、講演会後に近くの居酒屋等で懇親会を開催。

小さい会場の関係上、先着20名とさせていただきますが
参加希望の方は氏名と連絡先を明記の上、下記Eメールアドレスまでご連絡ください。

E-mail:last-samurai-akira@hotmail.co.jp

それでは参加をお待ちしています。

親日国パラオ・日米激戦地ペリリュー島で旧日本軍の戦車 !

第一次世界大戦に連合国として参加した日本は、第一次世界大戦では戦勝国となり、敗戦国となったドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオはドイツの植民地支配を脱し日本の委任統治領になりました。

30年近く日本の統治下であったパラオですが、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路などのインフラ整備を進めるとともに貨幣経済浸透と日本語教育がおこなわれました。

ペリリュー島は、旧首都がおかれていたコロール島の南西に位置している面積はおおよそ13km2の小さな島です。

昭和19年9月15日米軍によるペリリュー初上陸が行われました。
(海岸からの戦­艦等によるに艦砲射撃後がおこなわれたあとに上陸作戦が開始)。

米軍の計算では数日で陥落させる予定­が、一斉の日本軍の射撃、砲撃にあり反撃をくらい小さな島であるが陥落までに2か月以­上を要しました。

日本軍の死者約11000人、米軍の死傷者約8000人。
アメリカが攻めて来るのを事前に察知し、戦闘にペリリュー島民を巻きこまないように、­島民を本島のほうへ移しました。しかし、そんな中、一部のペリリュー島民はペリリュー­島決死隊を結成し、日本軍と一緒にアメリカと戦いました。

21世紀最初の独立国「東ティモール」の首都ディリで訪れるべき場所

WEBの旅メディア「たびねす」に記事寄稿!
今回のお題は、21世紀最初の独立国「東ティモール」の首都ディリで訪れるべき場所
21世紀最初の独立国である東ティモール。インドネシアの東にある小さな共和国です。1999年の東ティモール紛争、2006年~2008年の国内政治混乱で治安が悪化していた国ですが、2010年以降は政情が安定しています。国内には綺麗なビーチや山が多くあり、これからの観光開発に期待がもてる国です。
今回は皆様に、地球の歩き方でも扱っていない「東ティモール」の首都のディリで訪れるべき場所をお伝えします。

記事は下記をクリックして

ご確認ください。

↓↓↓↓↓

たびねす記事

マルタ共和国・日本海軍戦没者慰霊碑(墓地)!昭和天皇が皇太子時代に行啓(御訪問)&文久遣欧使節団

日本海軍・第二特務艦隊戦死者之墓。(日本人墓地・慰霊碑)
第一次世界大戦中に、日本とイギリスは日英同盟を結んでおりまし­た。
第一次世界大戦時に、日本はイギリスの要請を受け、地中海に艦隊を派遣。
ドイツやオーストリアの潜水艦の攻撃をうけたのですが、駆逐艦榊の乗務員計78名が死­傷いたしました。
マルタは、かつてイギリス領でしたが、カルカーラに英国海軍の墓地があり、その中に、­日本海軍戦死者の墓があります。
墓地の奥にあるのであすが、慰霊・合掌させていただきました。

マルタ共和国は、南ヨーロッパの共和制国家。イギリス連邦および欧州連合(EU)の加­­盟国である。公用語はマルタ語と英語、通貨はユーロ、首都はバレッタ。地中海に位置­す­る島国です。
イタリアのシチリア島から船で行くことも出来ます。

イタリア・シチリア島の南に位置する。面積は316km²で、東京23区の面積622­­.99km²の半分の大きさです。
カルタゴ、共和政ローマ時代に既に地中海貿易で繁栄し、その後一時イスラム帝国の支配­­に入ったこともあります。それに抵抗して戦ったマルタ騎士団がこの土地の名前を有名にしまし­た­。
小型犬のマルチーズの発祥の地であり、マルチーズの名はマルタに由来します。

日本との関係
1862年、1858年に英仏など5カ国と個別に締結された修好通商条約の修正を求め­­て派遣された文久遣欧使節団が訪問しています。
1917年6月11日に大破した駆逐艦榊の59人の戦死や傷病による戦死者の「大日本­­帝国第二特務艦隊戦死者之墓」があります。
1921年4月、皇太子時代の昭和天皇が訪問しています。

マルタは地中海の中央部、シチリア島の南約93kmに位置する。主要な島はマルタ島と­­ゴゾ島、コミノ島の三つである。海岸線が変化に富むため良港が多い。地形は低い丘陵­や­台地からなり、最高地点はマルタ島内の標高253mの丘陵です。
気候は地中海性気候のため、冬は温暖で雨が多く、夏は暑く乾燥しています。

【陸路越境】コソボ・プリズレン市→アルバニア・ドゥラス(デゥラス)行き国際バス!

セルビアから2008­年に独立したコソボに入国し、首都のプリシュティーナ、南西部中心都市であるプリズレ­ン、北西部中心都市のペヤの三都市を訪問。

コソボから欧州の秘境、欧州の北朝鮮と呼ばれていたアルバニアを訪問。
コソボのプリズレンにある旅行会社にて、バス予約をし、国際バスで陸路越境。

コソボのプリズレンからバスを使い5時間ほどで、アルバニア第2の都市でアルバニア最大の港湾都市&ビーチリゾートあるドゥラス(デュラス)へ。

アルバニアといえば1990年代にねずみ講蔓延(配当金をもとにアルバニア・マフィアが暗躍し、ボツニアヘルツェゴビナ紛争への武器購入、輸出等がおこなわれておりました。)し、その後1997年に経済破綻した国です。
国民の3分の1が全財産を失うという惨事にいたしました。
これによって政権が転覆し、無秩序状態となるという暴動が発生しました(アルバニア暴動)。

また、コソボ紛争時には同じアルバニア系のコソボを支援するために多くの人々がコソボへ赴きましたし、コソボから多くの難民が流入してきました。

ちなみに、コソボはアルバニア人主体の国です。
よって、アルバニアとコソボ両国間の仲はよく、越境する際の審査はゆるいものでした。
しかし、現在でも、コソボ紛争、アルバニア暴動時に使用された武器が国内で出回っており、時折、長期移動バスが、武装集団に襲われるという被害が出ております。

マケドニア、コソボ、モンテネグロ国境地帯には、ディナラ・アルプス山系の2000m級の山々が列を成しており、一番高い山はディバル地区にあるコラビ山で、2,753メートルに達します。

動画は、コソボとアルバニア国境地帯付近ですが、険しい山々が多いです。それとともに、コソボ紛争時に設置されたトーチカが今でも残っています。

書籍購入「立入禁止国家」

久しぶりに書店にいくと興味深い本が置かれていたので購入!お題は「立入禁止国家」
本が売れる秘訣としては、題名も大袈裟に興味をそそるものがよいのですが、印象深い題名です。(自分も本を出す時は印象深い題名にします)

内容はそこまで大したものではないですが中々興味深い本です。ここに載っている国で自分が行った国は複数ありますが
大袈裟というかそこまで危険ではないんだけどなと思いました。

これはある研究会が書いている本ですが、現地踏査してではなくいろいろなところから情報を収集して作成している本だと実感しました。

例えば、旧ユーゴスラビア連邦のコソボですが
2008年にセルビアから独立宣言。日本を含めた世界
100か国が独立を認めている国ですが、80か国以上は
コソボ独立を認めていない国です。

コソボ紛争、当事国となったセルビアの首都のベオグラードに1999年にNATOが空爆をしたのは記憶に新しいと思います。コソボ紛争勃発時は危険な地域、すなわち現在のイラクやシリアに向かうようなものです(ISは日本人も標的にしていることを考えるとIS支配域への潜入は自殺行為)

2年9か月前にコソボに潜入した時に
マケドニアから潜入しましたが、国境地帯で
怪しまれ入国出来るか心配になるほどですが
何とか入国に成功。

実際にまわってみるとそこまで危険でないと現地踏査で
わかったものです。

これは、3月に訪問した東ティモールも同じです。
東ティモール紛争の印象が強いので
潜入感として東ティモール=危険と今でも
思う方がいると思いますが、実際訪れてみると
そうでもない事がおおいものです

まあ、海外慣れした当方ですので
単身潜入しても危険だと思わないのかもですが。

いずれにしろ、海外渡航に一段落つけてから
このような本を出版していきます。