国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

海外における日本の援助

【日本の企業の車両】日本の企業が建設!UAEドバイのメトロ(地下鉄)アラブ首長国連邦!

【日本の企業の車両】日本の企業が建設!UAEドバイのメトロ(地下鉄)アラブ首長国連邦!日本の近畿車輛製、三菱商事、三菱重工業、鹿島建設、大林組が建設

数十年前まで砂漠が広がる発展途上国であったUAE(アラブ首長国連邦)も今ではオイルマネーや国際金融都市として大きく発展。

そんなUAEドバイのメトロ(地下鉄)は2009年9月9日に開業。三菱商事、三菱重工業、大林組、鹿島建設、トルコのYapi Merkezi社の計5企業によるジョイントベンチャーにより受注されました。

車両は日本の近畿車輛製品、三菱電機製のIGBT素子式VVVFインバーターを採用。現在2路線が運航中(46駅)で3路線が計画中。総延長距離は79キロ。

海外93か国を周ると、日本が今までしてきたODAによる資金や技術援助、日本の技術を垣間見ることが出来ます。ここ20年で今まで日本が資金や技術を援助してきた韓国や中国の製品も流通し始め、日本の市場占有率を奪っているのを実感しますが、技術流出も含めて日本は力をいれていかねばなりません。

ドバイ

UAE

アラブ首長国連邦

地下鉄

メトロ

ドバイメトロ

三菱重工業

三菱商事

近畿車輛

鹿島建設

大林組

日本の技術

海鮮料理堪能【中米】パナマ・パナマシティー・日本のODA援助(JICA)で1995年に建設された魚市場!Fish market in Panama city in Panama

海鮮料理堪能【中米】パナマ・パナマシティー・日本のODA援助(JICA)で1995年に建設された魚市場!Fish market in Panama city in Panama

【パナマ・パナマシティー・日本のODA援助で1995年に建設された魚市場!】
The fish market of Panama city was opened in 1995 and Japanese government support the fund and technology for Panama.
世界遺産のカスコビエホ(旧市街歴史地区)から近い場所にある魚市場。ここは日本政府がJICAを通して資金と技術援助して出来たものです。

パナマでは昔から漁業がおこなわれてきたものの、下水処理場やマグロの養殖技術、鮮魚冷蔵技術などはなく、JICAがその技術供与支援しました。

市場の外には魚介類を提供する数十軒のレストランがあり
市場見学後に利用してみるとよいでしょう。旧市街内のレストランよりも安いです。

日本政府は今までJICAを通じて世界の発展途上国に資金と技術援助をしてきました。韓国や中国を含んだアジアほぼ全ての国々、中東、東欧、旧ユーゴスラビア、旧ソ構成国、中央アジア、アフリカ、中南米など。

海外93か国渡航。世界各地で日本が他国への貢献を見てきましたが、写真と動画で証拠撮りしています。
将来、こういった世界各地におこなた日本の援助の様子がわかる著作を出していきます

#パナマ
#パナマシティー
#中米

【親日国】ポーランド・クラクフ!日本美術技術博物館「マンガ館」日本の美術品が展示!

日本の美術品が展示!日本美術技術博物館「マンガ館」
ヴァヴェル城とヴィスワ川を挟んで反対側にある、日本美術技術博物館「マンガ館」。マンガと聞いて漫画を連想するかもしれませんが、漫画の博物館ではありません。ここは、日本の美術をこよなく愛した故フェリクス・マンガ・ヤシェンスキ氏が収集した数多くの日本美術品が展示される博物館です。

ヤシェンスキ氏の死後、映画監督アンジェイ・ワイダ氏が博物館の設立に尽力。ワイダ氏が稲盛財団から京都映画賞を受賞した際の4500万円の賞金の他、日本政府、クラクフ京都財団、JR東労組の寄付、そして、クラクフ市の土地無償提供により作られました。設計は、世界的に有名な日本人建築家磯崎新氏によるものです。

博物館は1994年11月30日に開館。館内には、6500点にも及ぶ日本美術品が展示され、その多くが安藤広重や北斎、歌麿、写楽などの浮世絵です。他に武具や漆器、着物、掛け軸や屏風などが展示されています。日本文化に興味を示す人々が多いポーランドですが、数多くのポーランド人が来場する人気博物館となっています。

館内には、カフェが併設されており、日本茶やコーヒーなどの飲み物以外に、おにぎりや味噌汁、五目寿司などの日本食も提供しています。気候が温暖な時期にはテラス席で、ヴィスワ川とヴァヴェル城を見ながらの食事がお薦めです。

<日本美術技術博物館「マンガ館」基本情報>
住所:Konopnickiej 2630-302 Krakow
営業時間:10:00~18:00(入館は17:30まで) 
TEL:+48-12-267-2703
料金:大人20PLN、子供15PLN
アクセス:クラクフ中央駅より徒歩約20分、もしくは中央駅南側から22番のトラム利用

タイのプラーニン(仁魚)とは?天皇陛下が皇太子時代に送った?

タイ人大衆に食されれるプラーニン。
タイ語でプラーは魚。仁は陛下の明仁の御名前から1字をとりました。プラー仁

今上陛下が皇太子時代にタイを行幸された際に、一昨年、崩御されたタイのプミポン国王からタイの食料事情の悪さについて相談を受け、ティラピアを50匹タイに寄贈しました。
タイ政府は、それを養殖し、安く市場で流通させる事に成功し、タイの国民的食用魚になりました。

ティラピアはタイ名でプラーニン(仁)と名付けられ、現在も多くの人々に食されています。

もともとアフリカと中近東に分布したが、食用にするため世界各地の河川に導入されました。
味は白身であっさりしていて美味です。日本では沖縄などで自然繁殖。日本での流通名として、クロダイにも似ているが、イズミダイと呼ばれることもあります。

今上陛下は魚の研究者でもあり、魚に精通されている方です。国内外で研究論文を発表しています。

現在では、若い人はプラーニンの由来を知らない人々がほとんどですが、古い人々は今上陛下が送った魚であることを知っている人々が多いです。

【海外で尊敬される日本人】ブータン・パロ!西岡京治氏のお墓!農業の父、ダショーとして尊敬される日本人!

【ブータンの農業の父・ダショーと呼ばれる日本人・西岡京治氏】
ブータンが親日国というのは事実ですが、その最大の要因はブータンの農業の父・ダショーと呼ばれる日本人・西岡京治氏の功績が非常に大きいです。

西岡氏は昭和8年(1933年)に朝鮮半島の京城(現在のソウル)で解剖学者の西岡辰蔵・利恵夫妻の長男として生まれました。

大阪府立大学、大学院卒業後、高校の教師として勤めた後に、昭和39年(1964年)に海外技術協力事業団(現・国際協力機構)のコロンボ・プランの農業指導者として夫人とともに赴任。

ブータンに赴任当初は、インド人が大半を占める農業局から冷遇を受け、試験農場すらまともに用意されませんでした。

切磋琢磨しながらも、日本から導入した野菜の栽培および品種改良、荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力しました。
西岡氏の誠実な人柄と常にブータン人の立場でものを考えは、ブータン人の支持者を増やし、3代国王にも認められ、ボンデにデモンストレーション農場を造ることができました。

西岡氏の振興策は援助側の一方的な施策の押し付けではなく現地の実状に即した漸進的なものでした。

当初2年の赴任の予定がブータン側の要望で平成4年(1992年)に59歳で氏が敗血症で亡くなるまで28年間に引き延ばされてました。(人生の半分近くはブータンに居住)

昭和55年(1980年)に西岡氏は4代国王より最高の爵位である「ダショー」を授かり、同国において唯一にして史上初の外国人受爵者となりました。

西岡氏が亡くなられた平成4年(1992年)3月26日にブータン王室およびブータン政府によって西岡京治の国葬が執り行われ、遺体は夫人の意向に従ってパロ盆地が見渡せる丘に埋葬されました。

平成22年(2010年)に在留邦人有志により、再整備がおこなわれました。

仏塔にて合掌させていただきました。

一個人ででここまで国を動かすのはすごいことです。

西岡氏に関しては、若い世代や僻地に住み、教育を受けてない人々以外には絶対的な知名度ど人気を誇っており、ブータンの人々から「ダショー・ニシオカ、ニシオカさん」と呼ばれています。

台湾で神様になった日本人!森川清治郎巡査が祀られる嘉義県の富安宮!世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第7話!

台湾で神様になった日本人!森川清治郎巡査が祀られる嘉義県の富安宮!世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第7話!

親日家が多い台湾。そんな台湾で尊敬される日本人の1人が森川清治郎巡査です。日本統治時代1897年に渡台し、嘉義県副瀬村の派出所勤務となった巡査は、治安改善や教育改善等、村の発展に貢献。村の中心にある富安宮は、森川巡査が亡くなった後に巡査を慕う地元の人々により建てられ、巡査は土地神として祀られています。

今回は、台湾の人々に尊敬されている森川清治郎巡査が祀られる富安宮をご紹介いたします。

土地神として富安宮に祀られる森川清治郎巡査

土地神として富安宮に祀られる森川清治郎巡査

写真:大川原 明

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台湾中西部の木材や製糖業が盛んな産業都市である嘉義市。嘉義の鉄道駅からタクシーで30分程西に進んだ所にある東石郷副瀬村に、日本人の森川清治郎巡査が土地神として祀られる富安宮があります。

日本ではほとんど知られていない森川巡査ですが、台湾では多くの人々が知っており、尊敬しています。毎日のように観光バスが押し寄せ、多くの台湾人が富安宮を訪れています。

※タクシーは、嘉義の鉄道駅前にとまっているメータータクシーを利用し、運賃は700~800元程。帰りは、富安宮周辺にタクシーはとまってませんので、富安宮の管理人にたのみタクシーを呼んでもらいましょう。

村の発展に貢献

村の発展に貢献

写真:大川原 明

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日本統治時代1897年(明治30年)に台湾に渡り、嘉義県東石郷副瀬村の派出所勤務となった森川巡査は、当時治安が悪かった村の治安改善に尽力しました。また、識字率が非常に低かった村において、教育の重要性を認識し、私費を投じて、日本から教材を取り寄せ、教師を雇い寺子屋を開き、識字率の向上に貢献しました。

自らを顧みず海で溺れかけている村人を助ける

自らを顧みず海で溺れかけている村人を助ける

写真:大川原 明

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ある時に、海の岩場に取り残されて身動きが取れなくなっている村人がいました。森川巡査は、自らを顧みず危険な海に入り負傷しながらも村人を助けました。こういった自己犠牲の精神は村人達の尊敬される要因になったのです。

責任を感じ自決した巡査

責任を感じ自決した巡査

写真:大川原 明

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台湾総督府が村に漁民税を制定した際に、役所に減税を求めるも聞き入れられず叱責を受けたのですが、村人の要望に応える事が出来なかった事に責任を感じ、巡査は拳銃を使い自決しました。後に巡査を尊敬していた村人達により富安宮が建設され、巡査は巡査は土地神として祀られたのです。

巡査の死後、1923年に副瀬村や近隣にコレラ脳炎などの伝染病が流行しました。当時の村長の夢に巡査が現れ、「環境衛生に心がけ、飲食に注意し、生水、生ものを口にせぬこと」ということを告げられました。内容を村民に伝え、村民がこれを守ったところ、伝染病の流行を免れることができたのです。

日本統治時代に開園した嘉義公園

日本統治時代に開園した嘉義公園

写真:大川原 明

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富安宮と併せて訪れていただきたいのは、嘉義市内にある日本統治時代1911年(明治44年)に開園した嘉義公園です。公園内に嘉義神社が置かれたのですが、今も当時の社務所や灯篭、手水舎が残ります。社務所は嘉義史跡資料館になっており、貴重な資料が展示されています。

公園内には射日塔と呼ばれる12階建てのビルが公園内にあるのですが、展望台から嘉義市内の景色を見る事が出来るので展望台にのぼってみるとよいでしょう。公園の敷地は広大ですので、脱水症状にならないようにお水を持参することをお薦めします。

※嘉義公園は嘉義の鉄道駅から徒歩25分程。歩いていけないこともないのですが、タクシーを利用するとよいでしょう。

映画「KANO」の関連地としても知られる嘉義

いかがでしたか?台湾で尊敬される日本人の1人である森川巡査が土地神として祀られる富安宮。是非とも訪れていただきたい場所です。

嘉義県は、2014年の台湾映画「KANO」の舞台としても有名です。「KANO」は、日本統治時代に嘉義市に実在した嘉義農林学校野球部が昭和6年(1931年)の日本の甲子園大会で準優勝を遂げた実話を元に製作された映画です。せっかくなので映画「KANO」の関連地も併せて訪れるとよいでしょう。

台湾・高雄・台湾糖業博物館【日本統治時代に創業の台湾製糖跡地】

【日本統治時代の痕跡】本日は高雄市内にある台湾糖業博物館を訪問。日本統治時代の明治34年(1901年)に三井財閥(主に三井物産)を中心にして設立された台湾製糖。台湾最初の新式機械製糖工場を建設し、明治35年(1902年)に操業開始。戦後、台湾企業が引き継ぎました。

工場は平成11年(1999年)2月に閉鎖となりましたが、そのままの状態で残してあります。日本統治時代から使われていた機械も多数あり、社員の住居として使われていた日本家屋が今も残っています。

親日国】タイ・バンコクMRTシーロム駅近く!日本のODA援助への感謝の碑

【親日国】タイ・バンコクMRTシーロム駅近く!日本のODA援助への感謝の碑Monument of thanks to ODA from Japan,Bangkokジャーナリスト大川原 明

親日国の中でも親日と呼ばれるタイ王国。
親日である理由は数多くありますが、そのうちの1つが日本からのODAによる資金と技術援助です。
JICAもタイの発展に貢献していますが、こういった日本の国際貢献が海外の人々の対日感情を良くしているのは事実です。

タイは戦後、日本政府が多額のODA援助(資金と技術双方、日本が最大のODA援助国)をしてタイの発展に貢献してきました。
道路、橋、下水道、建物、空港、地下鉄等。
これらにタイの人々は非常に感謝しており、下記写真にあるような日本の協力によって建てられたという事が分かる旨をプレートで記載等しています。

日本政府は今までにタイだけでなくアジア各国、アフリカ、中東、中南米、東欧、旧ユーゴ諸国、バルト三国等にODA援助をしてきました。(ほとんどの国が日本が最大のODA供与国です。)
日本の近隣の極一部の諸国をのぞいて日本の援助、助力に対しての感謝を示すためにそれがわかる碑をもうけています。

海外でのODA援助は日本にとっても利点があり、
対日感情がさらによくなることで、外交に関しても優位に働き
日本企業の海外進出、投資も入りやすくなっています。

また、建設関係は日本の大手や準大手のゼネコンが参入しやすく
なっています。

※撮影場所は
タイ・バンコク市内シーロム地区
BTSサラデーン駅から地下鉄シーロム駅に向かう途中にある橋。

タイ・バンコク・日本のODA援助で出来た橋。日本のODA援助に対しての感謝の碑

【Thai-Japanese bridge in Bangkok】
いたるところに掲げられる日本からのODA援助に対しての感謝の碑】
タイは戦後、日本政府が多額のODA援助(資金と技術双方、日本が最大のODA援助国)をしてタイの発展に貢献してきました。
道路、橋、下水道、建物、空港、地下鉄等。
これらにタイの人々は非常に感謝しており、下記写真にあるような日本の協力によって建てられたという事が分かる旨をプレートで記載等しています。

日本政府は今までにタイだけでなくアジア各国、アフリカ、中東、中南米、東欧、旧ユーゴ諸国、バルト三国等にODA援助をしてきました。(ほとんどの国が日本が最大のODA供与国です。)
日本の近隣の極一部の諸国をのぞいて日本の援助、助力に対しての感謝を示すためにそれがわかる碑をもうけています。

海外でのODA援助は日本にとっても利点があり、
対日感情がさらによくなることで、外交に関しても優位に働き
日本企業の海外進出、投資も入りやすくなっています。

また、建設関係は日本の大手や準大手のゼネコンが参入しやすく
なっています。

※撮影場所は
タイ・バンコク市内シーロム地区
BTSサラデーン駅から地下鉄シーロム駅に向かう途中にある橋。

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天皇皇后両陛下!タイのバンコクを弔問のために御訪問!タイの人々から大歓迎(奉迎)で迎えられる

【タイの人々に温かく迎えられる両陛下】
Many Thai people warmly welcomed the Japanese emperor and empress
天皇皇后両陛下は無事に弔問を終え、1泊バンコクでして本日、バンコクより政府専用機にて帰国されます。

現場には現地駐在の日本人も多く見かけましたが、それ以上にタイ人が多く来ていました。(目視では500人くらい)
タイでは王室は非常に尊敬されています。昨年10月にプミポン国王が崩御されてから政府機関の人間は1年喪に服し、勤務時でも上下黒の服を着用しています。

一般の人々でも上下黒もしくは華美でない服装で喪にふくしているいる人々は多いです。

先の大戦下でアジアで完全な独立国だったのは日本とタイのみです。そして同じ枢軸国側として戦い、イギリスを駆逐するための日本軍のマレー攻略やビルマ攻略の際に、国境付近の土地を使用させてもらい(日本軍が駐留)、食料補給等の支援を受けていたのは事実です。

真珠湾奇襲とともにマレーやビルマ攻略が迅速に進んだ背景には、日本軍が勇敢で強かったのはもちろんですが、現地マレー人やビルマ人の内からの協力、そしてタイの協力があったからでもあります。

戦後、わが国はタイに多額のODA援助(資金と技術双方、日本が一番のODA援助国)をしタイの発展に寄与してきました。

日本の皇室とタイの王室は非常に長い間、親密な関係にあり、貿易面、人的交流においても兄弟といってもよい関係にあります。

両国の関係が今後も末永く良好である事を願います。

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