台湾で神様になった日本人!森川清治郎巡査が祀られる嘉義県の富安宮!世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第7話!
親日家が多い台湾。そんな台湾で尊敬される日本人の1人が森川清治郎巡査です。日本統治時代1897年に渡台し、嘉義県副瀬村の派出所勤務となった巡査は、治安改善や教育改善等、村の発展に貢献。村の中心にある富安宮は、森川巡査が亡くなった後に巡査を慕う地元の人々により建てられ、巡査は土地神として祀られています。
今回は、台湾の人々に尊敬されている森川清治郎巡査が祀られる富安宮をご紹介いたします。
土地神として富安宮に祀られる森川清治郎巡査
台湾中西部の木材や製糖業が盛んな産業都市である嘉義市。嘉義の鉄道駅からタクシーで30分程西に進んだ所にある東石郷副瀬村に、日本人の森川清治郎巡査が土地神として祀られる富安宮があります。
日本ではほとんど知られていない森川巡査ですが、台湾では多くの人々が知っており、尊敬しています。毎日のように観光バスが押し寄せ、多くの台湾人が富安宮を訪れています。
※タクシーは、嘉義の鉄道駅前にとまっているメータータクシーを利用し、運賃は700~800元程。帰りは、富安宮周辺にタクシーはとまってませんので、富安宮の管理人にたのみタクシーを呼んでもらいましょう。
村の発展に貢献
日本統治時代1897年(明治30年)に台湾に渡り、嘉義県東石郷副瀬村の派出所勤務となった森川巡査は、当時治安が悪かった村の治安改善に尽力しました。また、識字率が非常に低かった村において、教育の重要性を認識し、私費を投じて、日本から教材を取り寄せ、教師を雇い寺子屋を開き、識字率の向上に貢献しました。
自らを顧みず海で溺れかけている村人を助ける
ある時に、海の岩場に取り残されて身動きが取れなくなっている村人がいました。森川巡査は、自らを顧みず危険な海に入り負傷しながらも村人を助けました。こういった自己犠牲の精神は村人達の尊敬される要因になったのです。
責任を感じ自決した巡査
台湾総督府が村に漁民税を制定した際に、役所に減税を求めるも聞き入れられず叱責を受けたのですが、村人の要望に応える事が出来なかった事に責任を感じ、巡査は拳銃を使い自決しました。後に巡査を尊敬していた村人達により富安宮が建設され、巡査は巡査は土地神として祀られたのです。
巡査の死後、1923年に副瀬村や近隣にコレラ脳炎などの伝染病が流行しました。当時の村長の夢に巡査が現れ、「環境衛生に心がけ、飲食に注意し、生水、生ものを口にせぬこと」ということを告げられました。内容を村民に伝え、村民がこれを守ったところ、伝染病の流行を免れることができたのです。
日本統治時代に開園した嘉義公園
富安宮と併せて訪れていただきたいのは、嘉義市内にある日本統治時代1911年(明治44年)に開園した嘉義公園です。公園内に嘉義神社が置かれたのですが、今も当時の社務所や灯篭、手水舎が残ります。社務所は嘉義史跡資料館になっており、貴重な資料が展示されています。
公園内には射日塔と呼ばれる12階建てのビルが公園内にあるのですが、展望台から嘉義市内の景色を見る事が出来るので展望台にのぼってみるとよいでしょう。公園の敷地は広大ですので、脱水症状にならないようにお水を持参することをお薦めします。
※嘉義公園は嘉義の鉄道駅から徒歩25分程。歩いていけないこともないのですが、タクシーを利用するとよいでしょう。
映画「KANO」の関連地としても知られる嘉義
いかがでしたか?台湾で尊敬される日本人の1人である森川巡査が土地神として祀られる富安宮。是非とも訪れていただきたい場所です。
嘉義県は、2014年の台湾映画「KANO」の舞台としても有名です。「KANO」は、日本統治時代に嘉義市に実在した嘉義農林学校野球部が昭和6年(1931年)の日本の甲子園大会で準優勝を遂げた実話を元に製作された映画です。せっかくなので映画「KANO」の関連地も併せて訪れるとよいでしょう。