広島県竹原市。瀬戸内海に浮かぶ小さな大久野島。ウサギの島として国内だけではなく、海外の観光客からも人気の観光地となっています。そんなウサギの島は毒ガスの島としても有名。
昭和4年~終戦まで毒ガス製造がおこなわれていた島。戦後は休暇村が出来、観光地化。
今回は休暇村に宿泊し、自転車を借りて島内の毒ガス施設の痕跡を撮影。
まず最初に
毒ガス施設の痕跡の1つ『長浦毒ガス貯蔵庫跡』。
旧日本陸軍は、昭和4年から終戦までの間、この島で毒ガスの製造をおこなっていました。主な製品は、びらん性ガスと呼ばれるイベリットとルイサイトで皮膚をただれさせる性質を持ち、15年間の総生産量は6616トンと言われています。
戦後は進駐軍の指示のもと日本人作業者により、昭和21年から1年間かけて、毒ガス工場や製品を薬品消毒、沖に沈めたり、火炎放射器で焼却処分。
2番目に訪れたのは北部砲台跡
大久野島には、明治時代に芸予要塞の北部、中部、南部砲台が築かれ今も痕跡が残っています。
芸予要塞は日清戦争後に瀬戸内海防備の重要性から、大久野島と愛媛県側の小島に築かれた大砲群で明治33年6月築かれたもの。
3番目に訪れたのは発電所跡
ウサギの島、毒ガスの島で知られる大久野島にある毒ガス施設の痕跡の1つ『発電所跡』。
昭和4年から毒ガスが製造開始-工場の稼働にあわせて建設され発電所。初天書は重油を炊いてタービンを回して発電したディーゼル発電所。
昭和4年稼働当初は240V発電機3台、昭和8年には3300V発電機3台、さらに昭和9年には2台を増設し、計8基態勢で工場を支えた。
建物は当時のままの状態で残されており、見ごたえがあります。
倒壊の恐れがあるので内部に一般人は入る事が出来ません。島のフェリー乗り場から近いので、フェリー乗り場から歩いて行ける距離にあります。
旧日本陸軍は、昭和4年から終戦までの間、この島で毒ガスの製造をおこなっていました。主な製品は、びらん性ガスと呼ばれるイベリットとルイサイトで皮膚をただれさせる性質を持ち、15年間の総生産量は6616トンと言われています。
戦後は進駐軍の指示のもと日本人作業者により、昭和21年から1年間かけて、毒ガス工場や製品を薬品消毒、沖に沈めたり、火炎放射器で焼却処分。