国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

07月

アキーラさん訪問!旧ユーゴスラビア・マケドニア・スコピエ・アレクサンダー大王像

アレクサンドロス3世。マケドニアの大王、アレクサンダー大王像。市内中心にある。
市内中心部を流れるヴァルダル川。源流から96キロ地点で、ここからギリシャのテッサロニキまだ流れており、そこから海へ。2012年7月に旧ユーゴスラビアの1国であるマケドニアの首都のスコピエを訪問した。ここはコソボ紛争でも話題になったコソボ自治州からわずか数十キロの距離に位置している。
通称マケドニアは、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。前身はユーゴスラビア連邦の構成国の1つで、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアおよびコソボと、四方を外国に囲まれた内陸国である。
これら周りの国との関係は決して良好ではない。特にギリシャに関してはマケドニアという国名の問題で対立している。

マケドニア共和国は、地理的にはマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあり、マケドニア共和国はマケドニア地域全体の約4割を占めている。残りの約5割はギリシャに、約1割はブルガリアに属している。また歴史上、マケドニア共和国の多数民族はマケドニア人と自称・他称されるが、彼らはスラヴ語の話し手で南スラヴ人の一派であり、ギリシャ系の言語を話していたと考えられる古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない。これらの理由から、ギリシャがマケドニアという国名を拒否し、同国との間で激しい国名論争(マケドニア呼称問題)が生じている。

憲法上の正式名称はマケドニア共和国であり、約125ヶ国はこの呼称を用いている一方、欧州連合や日本等はこれを認めず、国際連合に加盟したときの暫定呼称マケドニア旧ユーゴスラビア共和国を使用している
住民はマケドニア人が64.2%、アルバニア人が25.2%、トルコ人が3.8%、ロマ人が2.7%、セルビア人が1.8%、その他が2.3%である。
マケドニア人は5世紀から7世紀ごろにこの地に移り住んだスラヴ人の子孫であり、スラヴ系のマケドニア語を話す。マケドニア語はブルガリア語と極めて類似しており、ブルガリア人からはマケドニア人・マケドニア語はブルガリア人・ブルガリア語の一部であるとみなされている。マケドニア人の多くは自らをブルガリア人とは異なる独自の言語を持った独自の民族であると考えている

フィンランド・サンタクロース村の北極圏到達地点の碑(日本語表記看板あり)

2012年6月2日にフィンランド北部のラップランド州の州都であるロヴァニエミにあるサンタクロース村を訪問しました。ここは北極圏の起点となる場所です。敷地はそんなに広くはなく、乗り物があるわけではないのだが、雰囲気はよく、サンタクロースと一緒に記念撮影出来たり、サンタクロースの建物を見たり、郵便局を訪れたり、北極線にて記念撮影をしたり出来ます。買い物も楽しいです。

中には、北極圏到達地点の碑があり、日本語でも表記されています。
このように、世界の観光地では日本の表記が多くあります。これには、日本の観光客が多いというのと同時に、世界に認められた国、好かれている国であるというのも一理あります。
しかし、ここには日本が嫌いな反日諸国である中国、韓国の表記はありません。

サンタクロース村は、ラップランドのフィンランド国内部分にあたるラッピ州にあり、州都・ロヴァニエミ市中心街から北東へ8km離れた北極線上にある。一方、サンタクロース(フィンランド語ではJoulupukki、ヨウルプッキ)は、サンタクロース村から北へ300km離れたコルヴァトゥントゥリ(ラップランド内)の山中で、サンタクロースの手伝いをする妖精のトントゥと一緒に住んでいると信じられています。

サンタクロース村には、サンタクロース・オフィス、サンタクロース郵便局、クリスマスグッズの店などが建てられており、毎年、世界中から何十万人もの人々が訪れるフィンランド随一の観光スポットである。サンタクロース村では毎日サンタクロースに会うことができ、記念撮影も可能。また、サンタクロース郵便局では、事前に申し込むと、エアメールでクリスマス前にサンタクロースから手紙が届きます。

アキーラさん散策!ベルギー・ブリュッセル・イロ・サクレ地区!

2012年8月(2006年2月以来2回目)にベルギーの首都のブリュッセルを再訪した際に、多くのレストランがたまるイロ・サクレ地区を散策してみました。ブリュッセルは世界有数の美食の都として知られ、特にグラン=プラスの北側にあるイロ・サクレ地区には多数のレストランが集まり、地元住民や観光客が多く訪れました。
日本語が話せるレストランの呼び込みのスタッフもおり、兄貴、ヤクザ、ちょっと待ってという言葉が飛び交いました。

また、ブリュッセルはベルギー・チョコレートの中心でもあり、ノイハウス、ゴディバ、ピエールマルコリーニ、ヴィタメール、レオニダス、ガレといった有名店が軒並みブリュッセルに本店を構えています。
ベルギー・ワッフルでも知られている。ワッフルには四角でやわらかくて大きく、上にソースやアイスクリームを乗せるブリュッセル・ワッフルと、丸くて焼いて食べるリエージュ・ワッフルがあるが、ブリュッセルではレストランでブリュッセル・ワッフルを、スタンドでリエージュ・ワッフルを、どちらも食べることができます。
ムール貝の白ワイン蒸しも有名である。他に北海で獲れる海の幸もしくは兎も有名である。
近年、移民者数増大で、治安が悪化しているベルギーですが、スリやひったくり、詐欺、恐喝の被害などもよくおこっているようなので、ベルギーを旅行される際は注意が必要です。

アキーラさんお薦め!ミャンマー・ヤンゴン・ショーダスシ!!

ミャンマーのヤンゴンを2011年7月に訪れた際にお寿司屋さんがあるとの事で興味を示し、訪れました。
日本のお寿司屋で修業したミャンマー人がオーナーであり、塩梅も悪くなかったです。
可愛い女の子たちア握っており、見惚れてしまった。ヤンゴン滞在中に日本食を食べたくなったらお薦めします。
店の名前はショーダ寿司です。

アキーラさん利用!国道(酷道)157号線・岐阜県・福井県境付近

平成24年11月9日夜、静岡県浜松市から石川県金沢市まで下道を使い、向かった。名古屋までは国道一号。そこから岐阜を通り、国道157号線を利用した。岐阜の途中から山々が険しくあり、道は細く林道のようでした。ガードレールもなく、気をつけないと崖下転落になるところだった。途中、狸や鹿に遭遇しました。
朝になるとこのような紅葉が広がり、すごく綺麗でした。

日本語看板・日本語が飛び交う・ギリシャ・アテネ・旧市街プラカ地区

ギリシャ。そして首都のアテネ。アテネの観光の中心は、プラカ地区。そこには多くの飲食店、店があります。
ここで、日章旗を発見したり、日本語の看板を見つけたり、日本語で話しかけられた。
欧州危機発端の場所で破たんしたギリシャだが、治安は悪化の一途をたどってきています。

福岡・中州の屋台街

4年程前に初めて福岡県を訪問しました!
福岡といえば中洲の屋台街を思いだしました!中洲と言えば○○と屋台街!!ということで屋台街に来てしまいました!!いろんな屋台があり面白かったです。
川の景色を楽しみながら一杯は格別!2009年7月22日撮影。
多くのお店が並び、仕事帰りにサラリーマン、近隣で働くホストやキャバ嬢などが多くおりました。

ユースホステル宿泊(欧州・アイルランド編)

昨年の4か月弱の欧州周遊旅行において多くの(ユース)ホステルを利用しました。オーストラリア在住時もよくユースホステルを利用したものです。
欧州を一人で長期旅行するのに、ホテルしか利用しないとかなりの出費になります。
ユースであれば物価の安いバルト3国、東欧では1泊1500円程~あり平均で1泊3000円弱です。(通貨レートにより変わりますが)高いとこだと4000円を超えるところもあります。
ユースホステルは、2人、4人、6人、8人、10人、それ以上の部屋に分かれています。
基本は2段ベッドですが、国やホステルによっては2段ではありません。
多くの国々の人々が同じ部屋に宿泊するので、国際交流をする事ができます。
施設によっては朝食がついていたり、バーを併設等設備が整っているところもあります。
ネットはWIFIを使えるところが非常に増えたので、フェイスブック等でのアップも楽々出来ます。

下記動画は2012年5月にアイルランドの首都のダブリンを訪問した際に宿泊したホステルです。
市内中心部にあり、繁華街のテンプルバーも徒歩圏内。キッチン、インターネット設備もあり、部屋はまあまあ綺麗。スタッフの対応も悪くない。シングル、ダブル以外に、ドミトリーがあり、ドミトリーは男女混合でした。

恐喝被害??バングラデッシュ・ダッカ!Taxi編

平成23年(2011年)5月にバングラデシュの首都のダッカを訪問しました。
空港到着後、タクシーにて市内中心に向かいましたが、停車中に、物乞いにお金をくれ!と執拗にせがまれました。

インドとミャンマー(ビルマ)の隣国 バングラデシュ!!世界の貧国の一つとして数えられます。
この国の国旗は日本の国旗に似ている。緑地に赤丸である。それをバングラデシュ人と話すと親近感を持って微笑んでいた。バングラデシュはインド、パキスタン(1971年)から独立しており、人々や料理等インドに似ている。インドとの違いはイスラム教徒が9割を占め、ヒンズー教のインドとは異なる。観光客が少ないためか、インド程は外国人旅行者に対しての詐欺犯罪が少ないという点です。
インドと同じくバングラデシュは親日国家である。
国民の9割は日本が大好きだと言っていた。多くのバングラデシュ人と話し分かった。理由を聞くと、日本は我々にODAで多大なる援助をしてくれ、道路や学校、橋等を作ってくれ、インフラの整備をしてくれる。我々が困った時に助けてくれるとの事であった。日本のODA供与国トップ10の推移参照http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0950.html
日本のNGO団体も多くバングラデシュで活動しています。

東日本大震災の事を多くの人々は知っており、悲しいといっていました。バングラデシュは首都のダッカを訪れたたのですが、
市内は車、バイク、バス、力車(日本の人力車が起源)、自転車、CNG等の乗り物でごった返しており、大渋滞、それから付随して街のあらゆるところで喧嘩、言い争い、怒号が鳴り響いていた。でも自分に対しては優しく、そして観光客やカメラが珍しいのか多くの人々に話しかけられ交流をした。中国人や韓国人に間違えられる事もあったが、日本というと感激された。多くの人々は中国や韓国、アメリカがあまり好きではないようだ。気候と人の多さで街全体が熱気に満ちており、刺激的であった。面白い国だと思いました。
空港で飛行機に乗る前にバングラデシュへの入国はVISAが必要という事を知った。到着時に取れる可能性と取れない可能性があるとの事であった。ドキドキしながらダッカ空港の移民局で審査官と話しあった。通常は取れたとして尾51USDかかるらしい。 審査官からYou,Japanese? Yes! Free!! Happy?? という会話で終わり、なんと無料でVISAをもらえました。やはりODA最大の援助国であるユえんか。そのやり取りを聴いていた白人さんが笑っていた。幸運であった。外に出るとタクシー勧誘の人々でごったがえしていた。そこで一人のオジサンと交渉を始めた。その後タクシーへ乗車して市内中心へ行く途中、物乞いにお金を窓越しから要求された。渋滞中なので車は進まず、殴るわけにもいかないのでじっと耐えていた。他のアジア諸国と比べて英語力は高い感じがしました。

イタリア・ローマの自動車市場調査

2012年7月にイタリアのローマを再訪した際に、車を見ていてある事に気がついた。それは、セダンが非常に少なく、3ドアのハッチバックや5ドアのステーションワゴンが多いという事です。
なぜ、セダンが少ないのか。それは、ローマは、細い道が多く、小回りのきく車のほうが人気があるそうです。