国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

05月

ラトビア・リガの軍事博物館にある日の丸!

HINOMARU

平成24年5月~8月、4か月にわたり欧州周遊旅行をいたしました。
その中で訪れたバルト3国。その真ん中に位置するラトビア。

今回のテーマは

アキーラさん発見!ラトビア・リガの軍事博物館にある日の丸!

 

ラトビアのリガにある軍事博物館を訪問したのですが、そこで日の丸を発見した。
ここは十字軍の時代から独立戦争、第二次世界大戦までの展示であるが。英語の出来るスタッフに確認してみました。

するとこの日の丸は、第二次世界大戦が終わり、当時、満州国に駐留していた関東軍の日本兵の方が旧ソ連により、サハリンに抑留されて、強制労働させられた際に、当時、サハリンへ赴任していたラトヴィア人医師がこの方と仲良くなり、先が長くないとのことでその日本兵の方から世話になったのでいただいたとの事であります。

動画

旧ソでは、KGBという秘密警察がおりましたが、それに見つからないように持ち帰り、保管。
そして、20数年前に旧ソ解体により、バルト3国が独立。軍事博物館ができ、日の丸を寄付。ここに展示されております。

ちなみに世界の軍人・軍服を紹介する展示物がありましたが、
アジアでは日本だけが展示されておりました。

国旗のなかには、日本兵の方々の名前が刻まれていた。サハリン南部は2国の協定でかつては日本の領土だった場所。他にも50万人近い日本兵がシベリアや中央アジア、極東、モンゴル、ヨーロッパ、モンゴルなどに強制収容され、強制労働させられた。あまりの過酷さに多くの死者が出た。多くの人が祖国の地を踏むことなく亡くなられた。

ラトビア・リガの新市街

これら、日本兵の方々の心情を察すると、悲しくなる。現在でも当時抑留された日本兵の方が、現地人と結婚して、現地に住んでいる人もいるそうです。

潜入!東京・新宿歌舞伎町!

東京の副都心の新宿、ここは多くの会社の本社がある(主に西新宿のオフィス街)
かつて、東京の新宿で働いていたので、仕事帰りに散策したり、歌舞伎町のビックレモン等のカプセルホテルなどもよく利用した
今回のテーマは
アキーラさん潜入!東京・新宿歌舞伎町

西新宿ガード下・靖国通り

そもそも新宿の歴史を知らない人は、都民でも多い事であろう。
新宿は、武蔵野台地の東方に位置し、甲州道中の宿駅(内藤新宿)として栄えた。
新宿駅南口~東南口へドライブ

新宿が最初に発展したのは江戸時代の
1698年に、信州高遠藩主(長野県南部の高遠地方)内藤氏の下屋敷に甲州道中の宿駅として内藤新宿が設けられたのが「新宿」の始まりであるが、新宿と内藤氏とのつながりは、豊臣秀吉により後北条氏が滅ぼされ、徳川家康が江戸に入府する直前の1590年(天正18年)7月にさかのぼる。三河時代より徳川家康の小姓として仕えていた内藤清成は、家康の入府に先立ち後北条氏残党に対する警備のため、鉄砲隊を率いて甲州街道(国府道)と鎌倉街道が交差していた現在の新宿二丁目付近に陣を敷いた。
新宿駅東口付近アルタ近く

この功が認められ、清成は付近一帯を拝領し中屋敷(現在の新宿御苑、上屋敷は神田小川町、下屋敷は下渋谷にあったとされる)を構えた。なお、清成が率いていた鉄砲隊は、1602年(慶長7年)に伊賀組鉄砲百人組として大久保に配置され、百人町の名のもととなっている。
地名というのはこういった歴史的な出来事などにも由来してつけられている。
もしくは平安から鎌倉時代に源平(源氏、平氏もしくは藤原氏)の人々がが京都から全国各地に下向した際に、各地の地名をとり、姓名と改めもした。渋谷には渋谷氏、江戸川周辺には江戸氏、葛西氏など後の東京の区名になったりもした。
新宿駅南口付近

新宿駅南口付近の飲食街

明治維新後に鉄道駅が置かれたが、繁華街として本格的な発展を遂げたのは、関東大震災後のことである。すなわち、銀座や浅草などの下町に比べて新宿は表層地盤が非常に強く被害が軽微であり、震災後に人口が激増した西部郊外にとって当時の中央線が都心に乗換えなしに行ける唯一の鉄道であったことから、私鉄各線からの乗り換え需要で新宿に交通が集中するようになり、昭和初期には、都内有数の一大歓楽街となったのである。
歌舞伎町ドンキホーテ付近から靖国通りを拝む

逆方面から

そして、1965年に淀橋浄水場が閉鎖され、新宿副都心の開発が始まると、西新宿に超高層ビルが林立し、1991年の東京都庁移転などを経て、今日見られるようなオフィス街を形成した。1990年代以降は、新たな鉄道駅(1996年の西新宿駅や2000年の東新宿駅)の設置により、複合型の超高層ビルや超高層マンションを中心とした再開発が進んでいる。

歌舞伎町潜入


多くの風俗店が乱立

夜になると歌舞伎町にキャバクラ、スナック、ホストクラブ、ゲイバーなどがぞくぞくオープンす­る。ピンサロやヘルス等の風俗店も多い。­また居酒屋やバー等も多くあり、若者でにぎわっている。歌舞伎町は暴力団関係者も多く三大暴力団の一つで六本木に本部がある住吉会系の事務所が多い。一時は、警察による暴力団排除により、歌舞伎町にチャイニーズマフィアやロシアのマフィアが入り込み治安が悪化したが、最近は安定しているようだ表と裏の世界­が入り混じるのが新宿である。昔から何­千回も新宿には行っているが不思議な街である。アジア最大の歓楽街として威容をほこっている
逆に西新宿のオフィス街は静まりかえる。
歌舞伎町のはずれにある花園神社

最近、この花園神社で人が殺害され、遺体がみつかった。
歌舞伎町潜入ドライブ

眠らない街、新宿歌舞伎町はまだまだ健在である!
闇と欲望にまみれた街・新宿・歌舞伎街

 

静岡県・富士市憲法講演会・写真撮影係【産経新聞記事向け写真】として参加(誇りある日本を築くために‐迫りくる中国「日本侵略工作」の脅威(ぺマ・ギャルポ氏))

KENPOU2
期日:平成26年5月3日(土) 憲法記念日
場所:富士商工会議所
主催:憲法改正を考える市民の会
後援:日本会議静岡、自由民主党富士市富士支部
講師:ぺマ.ギャルポ氏(チベット出身、チベット文化研究所所長、桐蔭   横浜大学法学部教授等)

来賓:衆議院議員:吉川 赳氏
自由民主党富士市富士支部長:杉山 孝文氏 等

講演会運営:会長:田口 義昌氏
運営委員長:岡村 義久氏(富士市議会議員)
副運営委員長:佐瀬 竜哉氏(日本会議)
藤田哲哉氏(富士市議会議員)
事務局長:大村 篤志氏

1KENPOU

当方は、170名ほどの入場者・大盛況でございました。
日本の平和を維持するためには憲法改正が必要です。近年、隣国の反日特亜諸国による侵略(間接侵略も)が進んでおります。それを防ぐためには今、憲法改正が求められているのです。日本の平和を守るためには憲法改正は必要、急務です。

中国のスパイが日本にも多く入り混ん でおります。チベット出身のペマ•ギャルポ氏の話しは、真実で、平和ボケした日本人は知りしらしめなければなりません。このままでは、日本は将来、中国の属国になります!

中国共産党は、チベット、ウイグル、内モンゴル等の自治区を力でもって治め、それら少数民族弾圧や虐殺問題を引き起こしております。

これに関しては、共産社会主義国家らしく、真実を包み隠し、対外(国外)にその情報が流れないように情報統制を図っておりますが。

対日本に対しては、近年見られるように中国は年々、軍事費を上げており、日本固有の領土である尖閣諸島を狙っております。日本の領空、領海は毎日のように侵されております。尖閣諸島が中国に取られれば、次は沖縄です。

沖縄をとったあとは、日本を属国化せしめんと日本侵略を計画しております。日本をチベットやウイグルのように中国の一部・自治州にせしめんがために、中国から日本へ多くの移民を送り込んでおります。

日本の政治家は、それらからキックバックをもらい、それら受け入れに躍起になっている人々もおります。

今回の講演は戦後、チベットへ中国共産党が侵攻、侵略し、インドへ亡命したチベット出身のぺマ・ギャルポ氏の貴重なお話しをうかがう事が出来ました。

戦後、左翼日教組(日本教職員組合)の教師による自虐史観教育、平和ボケ教育がおこなわれた結果、多くの国民がこういった国難には無関心であります。

これは、ある人が癌にかかったにも関わらず、それに気づかず、中期まで癌が進んでしまっている状態に似ております。末期癌になってからでは遅いのです。初期~中期の段階で気が付いておれば、助かるものが、末期になれば助からないのです。

多くの日本人にこういった真実を知り知らしめていかねば、この日本は亡国の道を歩む事は間違いありません。

 

講演会には自民党の国会議員、富士市議会議員、静岡市議会議員、保守系団体・日本会議の方々が多数参加されました。

懇親会においてそれらの方々の交流を深める事が出来ました。

日本会議の方から依頼があり写真撮影をおこないました。

撮影した写真に関しては、当日、産経新聞の記者が諸事情で来れないとのことで

急遽、依頼があり、その記者に代わり撮影したしました。後日、産経新聞の記事へ使用していだけます。

 


国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

アキーラさんユーチューブチャンネルは下記

http://www.youtube.com/user/Yuukokunoshi1