国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

日本食

【ニュージーランド・テカポ湖の日本食屋「湖畔」にて名物のサーモンを堪能】

【ニュージーランド・テカポ湖の日本食屋「湖畔」にて名物のサーモンを堪能】
I ate salmon combo meal at Kohan Japanese restaurant in Lake Tekapo village in NZ. Salmon is the famous food here,beause there are fish farms around the lake.
If you come to Lake Tekapo,you should never fail to try it.
ニュージーランド南島のテカポ湖。日本からのパッケージツアーでよく組まれるテカポ湖。星空が綺麗な事でも有名ですが、残念ながら曇りで星が見れず。

夕食はテカポ湖畔にある日本人経営の日本食屋「湖畔」にて湖畔弁当注文。テカポ湖周辺ではサーモンの養殖がおこなわれており、サーモンが名物。サーモン丼が人気のようですが、自分はサーモンの刺身とフライが入った弁当を堪能。デザートにラズベリーのアイスクリーム堪能。

費用は33NZD(日本円で2400円程)。味はお世辞抜きで美味しく、地元の人以外にも国内外からの観光客に大人気で大繁盛のお店です。

#ニュージーランド
#レイクテカポ
#サーモン

【海外日本食人気】フランス・パリのオペラ地区!日本食街!最近〇〇が?

フランスのパリのオペラ地区。バブル期以前より日本企業がフランスに進出し、パリに支店や現地法人を設けました。その中でオペラ地区に拠点をおく企業が多く、それら日本人駐在員向けに日本食屋が出来たのが始まりです。

今となっては数多くの日本食屋ができ、フランスでの日本食人気もあり、フランス人も数多く訪れる地区になっています。
日本食人気に肖り、韓国や中国人がこちらで日本食屋を経営したり、日本とは隣の国ということで、日本食人気に肖り、相乗効果を図ろうとする韓国料理屋が増えています。
他にベトナム料理屋も増えてきています。

【海外日本食人気&海外に積極進出する日本の外食産業】ベトナム・ホーチミン・丸亀製麺の店舗!

数年前に日本でも御馴染みの丸亀製麺がベトナムにも進出。たまたまホーチミン(サイゴン)市訪問時に潜入!
値段は日本と変わらないような値段。味は、なぜか汁が酸っぱいWWたのんだのがたまたまなのか。麺はコシがあり美味でした。
日本では少子高齢化で人口減少が進んでいきますが、国内市場規模の縮小。こういった外食産業も生き残りをかけてこれからさらに海外に進出していくものと思われます。
客はほとんどがベトナム人でした。アジア各国の経済発展による人々の賃金向上、日本食人気により今後益々需要が高まっていくものと思われます。

ホーチミンにある丸亀製麺の店舗は、株式会社トリドール(兵庫県神戸市に本社)が、ベトナムで水産加工物製造や飲食店経営などを行う現地の企業体LOTUSグループが新たに設立した運営会社との間で、フランチャイズ契約を締結し、讃岐うどん専門店「丸亀製麺」をベトナムで展開。
2014年1月11日「イオンショッピングモール・タンフーセラドン店」1号店を開業。ベトナムでは2016年7月現在8店舗、カンボジアとマレーシア、オーストラリアが1店舗ずつ、台湾が18店舗、インドネシアが26店舗、ロシア6店舗、香港9店舗、韓国11店舗、中国41店舗、タイ2店舗、ハワイ2店舗となっており、積極的に海外進出を図っています。

現地実録動画は下記
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ポーランド孤児?親日国ポーランドとは?日本男児はもてもて?いたるところで逆ナンパ?現地訪問して分かった真実!ポーランド孤児?世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第1話!

世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第1話!親日国ポーランドとは?日本男児はもてもて?いたるところで逆ナンパ?現地取材して分かった真実!ポーランド孤児が起因?

東欧のポーランド。日本人から遥か遠い場所にある国。日本とは深い関わりがないと思う人は多いと思うのだが、実は日本とは関わりが深い国である。

ポーランドを訪問時に首都のワルシャワや古都のクラクフを訪問。写真撮影中にいたるところでポーランド人女性に話しかけられて、一緒に記念写真を撮っていいですか?と言われた。

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日本に来た事があるのか?と女の子達に質問するとほとんどが日本へ行った事がないとの事。しかし、日本が好きで日本へは是非とも行きたいとの事であった。これは何が起因となっているのか?これには、かつて日本政府がポーランド孤児を助けた事や日露の戦いでの日本の勝利、日本文化がポーランドに入り込んでいる事が掲げられる。

1904年(明治38年)~1905年(明治39年)の日露戦争。日露戦争開戦時、世界のほとんどの国が大国ロシアが勝つと思っていた。しかし、そんな世界各国の予測は外れ、アジアの小国である日本が帝政ロシアを打ち負かした。これは、欧米列強に植民地とされていたアジアやアフリカ諸国だけでなく、当時、ロシアの植民地もしくは圧政下に苦しんでいたフィンランド、バルト三国、ポーランドをはじめとした東欧諸国に勇気と感銘を与えたのは事実である。

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日露戦争時のポーランドは、帝政ロシア、オーストリア帝国、プロイセン王国の3つの国に領土を分割され支配されていた。ポーランドは18世紀に領土分割されて以降、11月蜂起、1月蜂起にみられるような独立運動を展開してきた。しかし、成功はしなかった。そんな中、日露戦争においてアジアの小国である日本が大国ロシアに打ち勝った事に勇気と感銘を与えられたのは紛れもない事実である。

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日露戦争が終わった9年後、1914年(大正3年)、オーストリアの皇太子がサラエボでボスニア系セルビア人に暗殺されたのが発端となり第一次世界大戦が勃発。1918年(大正7年)の第一次世界大戦後に、ポーランド共和国として独立を果たす。

1919年(大正8年)このころは ロシア国内において革命、反革命の勢力が争う内戦状態が続き激しさをましていた。この時シベリアには、ロシアにより捕らえられたポーランドの政治犯や、愛国者の家族、­内戦の混乱を逃れてきた人達が15万人~20万人いた。これら人々は過酷な重労働、飢餓や疾病の中で厳しい生活を送っていた。親と死別した子供たちは、お腹を空かし、身を寄せる場所さえなく、 いつ死んでもおかしくない極めて厳しい状況下で暮していた。

あまりに悲劇的な状況を見るに見かねたウラジオストク在住のポーランド人たちが立ち上がり、「ポーランド救済委員会」を設立。欧米各国に救済を依頼したが、断られた。そんな中、ポーランド救済委員会は日本政府に助けを求めた。救済依頼した欧米諸国に断られ、最後の頼みの綱が日本であったのである。日本政府は、わずか17日後には救いの手を差し伸べる決断を下す。大変な費用と手間が必要であったにもかかわらず、日本人は、シベリアのポーランド人たちの惨状を見るに見かねて判断したのであろう。これぞ、まさに武士道精神である。人情深い人が多い日本人らしい行動である。

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1920年 (大正9年)7月 ロシアのウラジオストクからポーランド孤児たちを乗せた日本陸軍の輸送船 「筑前丸」が敦賀港に入港。孤児たちは、粗末な服を着て、哀れなほど痩せ細っていた。敦賀港より入国して、孤児たちの姿を見た多くの日本人は、同情を寄せ、子供たちに愛情のこ­もった暖かい救済をはじめていく。収容された孤児たちの多くは、栄養不良で痩せ細り、歩くのもままならないものも多くいた。また、子供たちの多くは腸チフス、感冒、百日咳などの病気であったため、すぐに治療が­施される。着ている物はボロボロで、靴を履いている子供はほとんどいなか­った。

そこで 日本赤十字社は、一人ひとりに衣服、肌着、靴、靴下などを新調し、さらに食事の提供や­果物などを支給。収容先では、子供たちを慰めるため慰安会が開かれ、動物園や博物館へも行って楽しく過­ごしている。また、貞明皇后から御下賜金が届けられ、全国から多数の寄付金が寄せられる。病院では、すぐに充分な治療が受けられるように病室も準備していた。 安全を確保するため警察官も配備するなど孤児達の周りには、善意があふれていたのである。

1920年(大正9年)と1922年(大正12年)の2回、合計で765名もの孤児が東京や大阪で治療と看病を受け、全員が元気をとり戻し、横浜や神戸の港から帰国したのである。親身に世話をしてくれた日本人の看護婦や保母たちとの別れを悲しみ、乗船を泣いて嫌がるほどであった。孤児として両親と生き別れ、愛情もまともに受けずに育ってきた孤児達。そんな中、日本人の深い愛情に感銘を受けたのである。

彼らは帰国船が出発する際に、口々に「アリガト」など、覚えたての日本語を連発、「君が代」などを歌って感謝の気持ちを表わしたのである。双方ともに、涙を流しながら、姿が見えなくなるまで手をふりつづけたのである。

これら孤児達は、ポーランドに帰国後に「極東青年会」という団体を組織し、第二次世界大戦前にドイツが侵攻するまで、ポーランドで日本の素晴らしさを紹介する活動を行なうと共に、日本に行くための資金を積み立てておりました。しかし世界大戦の戦乱と、東西冷戦により日本へ行くことがかなわなかったのである。

1995年(平成6年)に阪神大震災がおこった後に、1996年(平成7年)、1997年(平成8年)に震災で被災した児童をポーランド政府は招待してくれたのである。その時に、ポーランドの元孤児の方4名がこれら被災した日本人児童と面会し、温かい言葉をかけた。

ポーランドでは、ポーランド孤児を日本が助けた事に関して教育で教えており、非常に日本に対しての感情がよく親日家が多いのである。よって、日本人が写真撮影していようものなら一緒に写真をとってくれませんか?と話しかけられるのである。

また、第二次世界大戦中、日本とポーランドは対ソ連諜報において緊密な秘密協力関係にあった。また、ポーランド共和国陸軍はソ連の暗号を解読しており、大正時代より教官を派遣するなど、日本軍に最新の暗号解読技術を教授した。密接な関係にあったポーランドである。

※下記写真はポーランドの古都クラクフの大聖堂。非常に美しい大聖堂である。

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ポーランドに進出している日系企業は260社を超えており、日本製品もポーランド国内で普及。また、それら日系企業で働くポーランンド人も数多くおり、日本語教育の需要があるのである。

日本語教育の歴史としては、ちょうどポーランド孤児が受け入れられたころに、日本研究が盛んになり、1919年にワルシャワに日本語講座が開かれた。ワルシャワ大学には現在、日本語学科があるのであるが、ポーランド内の多くの大学で日本語学科を設けている。2002年には、同大学日本語学科は天皇皇后両陛下がポーランドを訪問(行幸啓)。現地ポーランド人から強い歓迎を受けたのである。

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ポーランド人男性からポーランド人の日本に関しての感情を伺ったのだが、やはり、上記理由などからほとんどのポーランド人が日本に対して良い感情を持っているとの事である。

ちなみに日本の文化、武道、漫画、日本食も人気である。ポーランド国内では、多くの日本食屋があり、ポーランド滞在時に利用してみた。

※下記写真は、ワルシャワ市内のオト寿司という日本食屋

165835_424280877595130_277739521_n日本からポーランドは直行便が就航していなかったのですが、なんと今年(平成28年1月14日)からLOTポーランド航空が週三便直行便を飛ばすようになりました。益々、日本とポーランドの関係は深まるものと思われます。

【文章&写真】

〚略歴〛タイ⑬

国際ジャーナリスト
大川原 明(おおかわら あきら)
昭和五十四年(一九七九年)九月
静岡県生まれ
専修大学経営学部経営学科卒
大学卒業後、新卒で大手旅行会社入社、退職後、世界各地を調査渡航。
世界六〇か国訪問。今年中に百か国突破予定。
海外在住歴は留学、仕事で長期4か国計6年
世界一周後、日本一周(現在、四一都道府県訪問済み)国内外において、写真と動画双方にて撮影。証拠撮り。
※写真は全て、私自身が、現地調査によって撮影してきたものです。

 

上記記事に関しての質問や問い合わせ、取材、記事寄稿依頼、講演依頼等ありましたら

下記までご連絡ください。

大川原 明(オオカワラ アキラ)

E-mail:last-samurai-akira@hotmail.co.jp

携帯電話:090-6078-6677





オーストリア・ウイーン・日本食屋・雲海

オーストリアのウイーンを再訪時に再訪した日本料理屋­。国立オペラ座からも近いグランドホテル内にある雲海です。味、値段、サービス共に満­足が出来ます。
HIS勤務時にお世話になったHISウイーン支店支店長にご馳走になりました。
日本人経営の日本食屋・雲海。
現地駐在員家族はもちろんのこと、現地オーストリア人人も多く訪れるお店でございます。
世界には数多く日本食があり、日本食人気が高いですが、
ここはなかなか程度が高いレストランでございます。

 

昼でしたが、下記コース料理を堪能

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大満足でございまいした★

 

 


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新しい一眼レフカメラでの最初の一枚

GOHAN
This is my first shot by my new camera. I was hungry,so cooked night mealとりあえず、新しい一眼レフNIKON D610での最初の一枚。お腹が空いたので、夜食を作りました。博多の明太子+静岡舞阪産シラスのご飯、白菜づけ、沢庵。静岡産の緑茶。 米は秋田小町。あと、味噌汁を作れば良かったのですが、夕食は取っているので、あまり食べすぎると太るので、やめました。
本来であるならば、夜桜でも撮りにいこうと思ったのですが、やることが多く、断念しました。来週末、3か月ぶりに東京に行きますが、素晴らしい写真を撮ります。


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