国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

沖縄

沖縄県那覇市!アメリカの会員制ステーキ屋!SEAMEN`S CLUBでT-ボーンステーキ!

那覇のアメリカ陸軍(軍港だが海軍(ネイビー)ではなく陸軍(アーミー)が使用)が使用している軍港内にある会員制のステーキ屋「SEMEN`S CLUB」に小生のユーチューブチャンネルを以前からご覧いただき、FBでも友達になっている方に連れて行っていただき、ご馳走になりました。

軍港は、国場川の河口南側、明治橋の西側に位置し、那覇港フェリーターミナルの対岸に位置しています。
南側には陸上自衛隊那覇駐屯地がとなっています。
米軍関係者(軍人&軍属)や自衛隊関係者は身分証明を出せば利用でき、一般人であれば会員になる必要があります。自分は連れ添いのビジターとして入れてもらえました。

和牛ではなく米国産牛肉。
店内もアメリカ的雰囲気が楽しめます。
本日は米軍関係者はほとんどいませんでしたが
いつもは米軍関係者が多くいるようです。

注文品は
Tボーンステーキ。
なかなかの量で味も美味でした。
焼き加減はミディアムレアで。

店内にはバーや
ビリヤードや昔のアメリカのカジノにあった
スロットマシーンを楽しめます。

メニューの料金は
米ドル表記ですが日本円での支払いも出来ます。

沖縄県宜野湾市!キングタコス長田店!タコライス

【沖縄発祥のタコライス】
I ate Tacos and Taco-rice at a KIng-Tacos shop in Ginowan city in Okinawa.
メキシコのタコス。タコスはヒスパニックの多いアメリカ西海岸でも広まり、タコベルなどのチェーン店があることでも有名です。

米軍基地がある関係で
沖縄にはアメリカ的なレストランが非常に多いです。(当初は米兵向けであったのだが)
一昔前はジャンクフード大好きな自分で、留学時などはマックやKFC、バーキン、サブウェイなどをよく利用していました。

今回はある方からお薦めいただいたタコスとタコライスを食すことが出来るキングタコスに。
タコライスは名前の通り、タコスの具材を米の上にのせた
ものです。

タコライスは金武町のキャンプハンセンのゲート前に広がる飲食店街にあった「パーラー千里(せんり)」の創業者、儀保松三の考案により1984年に販売開始されました。
後にチェーン展開することになる系列店の「キングタコス」を通して沖縄本島各地に広まっていきました。
現在は沖縄に複数店舗を展開するタコス&タコライスの有名店。

名護から車で南に下り
宜野湾市の長田店に。米軍ヘリが墜落したことでも知られる
沖縄国際大学の近くにあります。
店内は狭く、立ち食いできる場所はあるものの
持ち帰りの人々が多いです。

タコスは今までに食べた事はあっても
タコライスは此間、那覇のレストランで初めて食しました。
両方の味を楽しみたいと思い、タコスとタコライス両方を注文。

沖縄本島最北端辺戸岬近くの大石林山

沖縄最北端の辺戸岬を再訪した跡に、岬から1キロくらいの距離にある大石林山に。
16年程前に出来た施設で、おきなわワールドや石垣サンセットビーチ、石垣島鍾乳洞、ガンがラーの谷などを運営する㈱南都が運営。

大石林山はダイセキリンザンと読み、
昔から聖なる地として伝えられてきた安須杜の山々は、辺戸岬から眺める険しい姿とは違って、一歩踏み入ると、そこは亜熱帯の自然と触れ合う楽園。

奇岩や巨石、亜熱帯の森、大パノラマなどさまざまな表情を見せる大石林山の4つの散策コースが琉球神話の杜に広がります。

600〜1キロメートルの4つの異なるトレッキングコースが用意されていますが、1つだけ周るも良し、体力と時間があればすべてまわってみると良いでしょう。

コースによっては海が綺麗に見えます。パワースポット的な場所でもあり運気をつけたい人は訪れてみると良いでしょう。

沖縄本島最北端の辺戸岬

【再び沖縄本島最北端の辺戸岬に】
I re-visited the northernmost point of Okinawa main island Hedo cape today.
本日は名護から再び、沖縄本島最北端の辺戸岬を訪問。

国頭村に位置しており、鹿児島県与論島からたったの28キロの距離で与論島がみえる岬です。
学生時代17年程前に与論島にダイビングの免許をとりに
いき、4泊しましたが非常に懐かしく思えました。
与論島から17年前に見たのが辺戸岬です。

沖縄県がアメリカの統治下にあった頃、本土復帰を願って、ここから沖縄の人々がのろしを上げていました。
昭和47年の沖縄返還にさいして建立された「日本祖国復帰闘争碑」があります。

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】首里城&玉陵&園比屋武御嶽石門

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】
首里城&玉陵&園比屋武御嶽石門 の3つ。
首里城とその周辺に固まっています。

・首里城
琉球王国の居城。琉球王国が統一した1429年から1879年の廃藩置県まで、政治・経済・文化の中心地になっていました。
沖縄戦で焼失しましたが、1992年に復元されました。総木造・総漆塗りで正殿、南殿、北殿の3棟からなります。


・園比屋武御嶽石門
首里城公園敷地内、守礼門の近くにある祈願所。石門の後ろの森に御嶽(うたき)があり、国王が外出する時に、道中の無事を祈願したところ。

国家行事や祭祀と密着した重要な御嶽には、今も祈願に訪れる人が後を絶ちません。
創建は1519年、八重山の名工・西塘とされ、建造物は石門のみで、がっしりとした琉球石灰岩で作られ、屋根には火焔宝珠があしらわれています。

・玉陵
首里城公園の西側にある壮大な石造建築物です。
1501年、第二尚氏王統の第3代国王尚真が、父尚円王のためにつくったといわれる陵墓で、後に第二尚氏王統の歴代の国王が眠る陵墓となりました。

琉球独自の陵墓として、近世日本においても重要な石造記念建築物と言われています。

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】那覇市の識名園


【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】
那覇市にある琉球庭園の1つである識名園。
琉球王国のグスク及び関連遺産群の1つに指定されています。

造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(在位・1752年 – 1795年)の時代に始まったと言われていますが定かではないですが、完成は尚温の時代の1799年。

庭園好きな小生ですが
この庭園は非常に落ちついており
昼寝などして1日過ごしたいと思える庭園でした。

【沖縄戦の戦跡地巡り&慰霊②】沖縄県南風原・沖縄陸軍病院南風原壕群

【沖縄戦の戦跡地巡り&慰霊②】
敗色が強まりつつある昭和19年5月に陸軍病院は開設され、同年10月の10.10空襲後に現在の南風原小学校に移動し、小学校の近くにある黄金森に米軍上陸にそなえて壕も掘られました。

南風原陸軍病院の本部壕、第一、第二、第三 外科壕があった。第三外科壕は現在の南風原町役場の後方に位置し、本部壕、第一、第二外科壕は黄金森にありました。

昭和20年年4月1日に米軍が上陸してからは負傷兵が次々に運び込まれるようになりました。
麻酔はすぐに底をつき手術は麻酔無しで行われました。
負傷した兵士は手足を切断する必要のある兵士も多く、麻酔無しの手術のために激痛が走り、手術の間、患者が暴れないよう押さえることや切断した手足や死体の処分等も
ひめゆり学徒の仕事でした。
ここで亡くなった兵士も多くいます。

昭和20年5月25日に南部撤退命令が出て
南部に移動。

ここには実際に使われていた当時のままの壕のうち20壕が有料で見学できます。
縦横180センチほどの小さな通路で70メートル程の長さがあります。

壕内は湿っており、電球がないので安全のためにヘルメットを着用し、懐中電灯を借りて案内人の方の説明を聞きながら
進む感じになります。

沖縄・米軍・嘉手納基地!安保の丘&道の駅嘉手納から撮影

25年ぶりに嘉手納基地に。
知る人ぞ知る米空軍の基地。


基地の総面積は、約19.95km2。3,700mの滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。

滑走路においては成田国際空港(4,000mと2,500mの2本)や関西国際空港(3,500mと4,000mの2本)と遜色なく、日本最大級の飛行場の一つということになっている。

米軍の所在部隊は
・第18航空団
・第353特殊戦航空群
・第733航空輸送隊
・第82偵察隊
・第390情報隊

米軍に関して
日本が真の独立国となるには戦後にアメリカ、GHQにより
押し付けれた憲法を後生大事にし、アメリカのコマとしての
日本ではなく日本自らが自国の領土を米軍無しで守っていけるようにすることが本当の意味での真の独立国家である。(もちろん押し付け憲法下では
日本単独で周辺諸国の脅威を払拭するの不可能に近く米国頼りにならざるを得ないのは事実である=これも米国の思う壷。今、米軍基地が撤退すれば中国や北朝鮮の脅威に耐えられなくなるのも実情。)

戦後のGHQによる公職追放などにより
戦後、保守と称される人々がアメリカの顔色を伺うものばかり。真の国士は一部の民族派くらいなものか。
基地反対派をみれば
大陸寄りの共産党や社民党、沖縄大衆党の左派に毒された人々も多いのであるが、沖縄の基地問題は非常に複雑で一言では語れない。

政治的な話しを言及するときりがないので
ここら辺でやめておくが、嘉手納基地を一般人が見る場合
道の駅嘉手納の最上階か安保の丘である。

ここにくる人々は左右の思想問わず訪れているが
右も左も分からない、政治に興味がない人々もかなりの数訪問している。
政治思想なく単なる軍事オタクの人々やメディアに写真を卸している人々も多くいる。
良い写真を撮るには望遠を持参すべきである。
300mmの望遠で撮影しましたが良い写真と映像を撮ることが出来た。
でも400~500ミリの望遠があったほうがいい。