国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

インド

インド・ムンバイ・インド料理堪能

本場のインドカレーを堪能!宿の近くにあったインド料理屋に入りました。メニューがいろいろあり、どんな感じかはっきりとわ分かりませんでしたが、勘にまかせました。
豆腐入りのマサラカレーと野菜カレーをナンでいただきました。からくしるぎるとお腹を壊しそうだったんで、控えめにしました。それでもからかったですが。

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インド・ムンバイ・インド人との交流

ムンバイの路地商店街に潜入!多くのインド人に話しかけられました。想像に反して、商売人がもっと話しかけてくると思ったんですが、いませんね。デリーのほうが観光客向けビジネスが流行っているのかな。日本人というと笑顔になります。対日感情はよい国ですからねl
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インド・ムンバイ・世界遺産CST駅

世界遺産訪問!ムンバイ市内のCST駅。イギリス植民地時代に建てられた鉄道駅で現在もしようされている駅です。コロニアル建築の駅舎。元の名前は、ヴィクトリア・ターミナス駅。
インド各地でイギリス植民地時代の名称を改称する動きの中、1998年にチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(略称CST駅)と改称。美しい駅です。
朝夕は人々で駅構内は混雑します。
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インド・ムンバイ・CST駅近くの宿宿泊

どうもムンバイの宿は高いようです。いわゆる安宿が少ないです。5軒ほど周りましたが、安い部屋が空いてませんでした。デリーやインド他都市では1泊1000円以下の宿は多いのですが、ムンバイでは皆無に等しいです。あっても空いてなかったり。共同部屋の宿が1泊1400円程でしたが、どこもあいておらず結局は、プライベートの個室に1泊4000円くらいです。(しかも値段が今年になり上がったといわれました。=ガイドブックの料金と違う)とりあえず2泊します。少し割高感がある宿ですが、清潔で綺麗です。値切り交渉をしましたが、だめでした。二人で旅すれば半額の2000円なんですが。
宿にチェックイン後、少し横になりましたが、シャワー浴びてさっぱりしました(^o^)
これから夜まで撮影します。刺激的な街を散策!三脚使用時は、ひったくりに注意しなければなりません。スマホの自撮棒をセントレアの空港に置き忘れたっぽくで。
ムンバイはやはりインド随一の大都市だけあり、人が多いですね。しかし、人は北に比べたらよさそうです!
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インド・ムンバイ!空港→市街地までプリペイドタクシー利用!

港からムンバイの市街地までタクシー利用!プリペイドタクシーで料金は事前に払いました。ムンバイ市街地まで、所要時間は1時間ほど。費用は、1400円程。ムンバイは、インド随一の大都市だけあり、大きいですね。スラムも多くのところでみかけました。

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インド・ムンバイ到着!61か国目の渡航国!二ランタ・エアポートホテル宿泊

無事にインド最大の都市であるムンバイに到着しました。先ほど、ホテルチェックイン。インドは初めての訪問ですが、渡航国が1つ増え61か国目の渡航国となります。100か国到達まで残り39か国(来年3月までに100か国突破をします)
現地時間で22時に到着(日本とは3時間30分の時差になります)入国の際に、別室に呼ばれ尋問を受けましたが、すべて的確に回答し、開放されました。(よく空港内で別室に呼ばれ尋問を受けたり、海外でも歩いていたら警察にとめられ職務質問をうけますが)
本日は、待ち時間も含めて13時間の長旅でしたが、20代の時であれば、深夜到着、そこから宿探し、直接ウォークインも余裕でかましていましたが、最近は、無理をしないようにこころがけていますので、空港近くのホテルを事前にネット予約してました。
先ほど、チェックイン。
少し奮発して1泊朝食付きで12000円の4つ星ホテルに。私は、ホテルは1つ星~5つ星まですべて止まりますが、そのときの気分や疲れ具合により決めてます。良いホテルで、スタッフの室もよく、部屋も綺麗で清潔、高級感があります。今晩は、ぐっすり寝れそうです。
明日からは、安宿で旅をしてきますが。インドは合計で25日間滞在します。ムンバイから入り、南に下り、南インドを周遊します。
北インドは、次回、デリーから入り、カルカッタから出るルートで組もうと思います。

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東南アジア、南アジアで流通するリキシャ!日本由来の○○車が由来?世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第4話!

東南アジア、南アジアで流通するリキシャ!日本由来の○○車が由来?世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第3話!

日本の人力車を基にしたリキシャ(力車)。

【人力車とは?】

最近の若い方の中には、人力車を知らない方がいらっしゃるかもしれません。人力車とは、読んで字のごとく人を輸送するための人力による車です。横に並べた2つの輪を持つ車に乗客を乗せ、俥夫がひくものです。日本では、主に明治から大正・昭和初期に移動手段として用いられました。英語にRickshaw(リクショー)という単語がありますが、これは「リキシャ」を語源とする日本語由来の英単語です。

明治時代初めに日本で開発された人力車。人力車は、それまで使われていた駕籠より速かったのと、馬よりも人間の労働費のほうがはるかに安かったため、すぐに人気の交通手段になりました。

しかし、人力車は自動車の普及により、今では人力車は一部の観光地でしかみかけなくなりました。

(※下記写真は、東京の浅草で撮影)

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【日本の人力車が海外に普及】

明治時代に日本の人力車は、アジア各国(支那(中国)インド、東南アジア)、へ輸出されました。特にインドでは、明治40年代、年間1万台が日本から輸出され、人力車の人をとったリキシャ(呼びやすい)などの名前で国民に知られるようになりました。その後、自転車を取り付けたサイクルリクシャー、モーターをつけたオートリクシャーが製造されました。

インドでは1919年、コルカタ市が正式な交通手段として認定。
1972年以降、コルカタではいくつかの通りで人力車が禁止。
1982年、市当局は1万2000台以上の人力車を押収し、廃棄。
1992年の調査では、3万台以上の人力車が営業中で、そのうち6000台が違法車両や未許可車両。
新しい許可は1945年以降出されていない。

インドでは、しばしばリキシャはリクシャとも発音される。料金は1回の移動につき2、3ドル。
2005年8月に西ベンガル共産政府は完全に人力車を締め出す計画を発表したが、リクシャワーラーの抗議とストライキに終始しました。
2009年現在、かなりの数の人力車がコルカタにまだ残っており、約8000台、2万人の車夫がいるとされる。リクシャワーラーの組合は、人力車の禁止に強く反対しています。

 

※下記写真は、マレーシアのペナン島で撮影※

リキシャのマレー人の運転手と一緒に記念撮影。リキシャは日本の人力車が由来となっている言及していました。
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下記写真はバングラデシュの首都のダッカ訪問時に利用したリキシャ。自転車が前についており、運転手が足で漕ぎます。そのため人力車よりも速度は速いです。ダッカでは、下記のリキシャで5日間行動しました。乗り心地はよく、装飾も派手にされてり、まるで貴族になった気分になれます。

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他にオートリキシャ(リクシャ)と呼ばれる三輪車がインドやスリランカなどの南インド、タイなどの東南アジアで普及しています。タイではオートリキシャ(三輪車)をトゥクトゥクと呼んでいます。観光客にも馴染みが深い乗り物でです。モーターがついており、サイクルリキシャよりもさらに速度が速く遠出も出来ます。かつては、日本でもオートリキシャ(三輪車)は日本でも走っていたのですが、四輪自動車普及により、今ではみかけなくなりました。

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日本の文化が世界に広まっているのです。世界各地を渡り歩き知った真実です。日本にも外国からの文化が多く入ってきていますが、他方において、日本の文化や日本関連物が世界に出て、浸透しているのです。

【文章&写真】

〚略歴〛タイ⑬

国際ジャーナリスト
大川原 明(おおかわら あきら)
昭和五十四年(一九七九年)九月
静岡県生まれ
専修大学経営学部経営学科卒
大学卒業後、新卒で大手旅行会社入社、退職後、世界各地を調査渡航。
世界六〇か国訪問。今年中に百か国突破予定。
海外在住歴は留学、仕事で長期4か国計6年
世界一周後、日本一周(現在、四一都道府県訪問済み)国内外において、写真と動画双方にて撮影。証拠撮り。
※写真は全て、私自身が、現地調査によって撮影してきたものです。

 

上記記事に関しての質問や問い合わせ、取材、記事寄稿依頼、講演依頼等ありましたら

下記までご連絡ください。

大川原 明(オオカワラ アキラ)

E-mail:last-samurai-akira@hotmail.co.jp

携帯電話:090-6078-6677





インド査証(ビザ)取得に関して!難しくなった?

インドの査証取得のために英文日程表作成中。一昨年まで、観光目的でのインドの査証取­得はわりと簡単にとれたのですが、昨年から非常に厳しくなり、親の国籍(元国籍)など­も書かねばならない程(いわゆる純粋な日本人なのか、帰化、帰化2世、混血などがを伝­えねばならない)、厳しいものになりました。査証取得の際に書く書類は、10枚程。

世界60か国訪問し、数多くの国々に訪問している私ですが、諜報員だと疑われたのか、­英文日程表の提出を求められました。3週間以上はインドに滞在するので、全ての日程にたいしての旅程詳細に関して作成せね­ばなりません。

かつて、仕事で英語にて外国人顧客と接し、英文日程表は頻繁に作成していたので、慣れ­てはいる自分ですので英文日程表作成は、手慣れたものですが。

インドはすごく厳しくなりました。パキスタンとの関係は未だに良好ではなく、­中国との国境問題を巡り、関係が良くありません。

それら国籍もしくはイスラム系の国々の人々が入国する場合、入国には慎重になります。­親の国籍や元国籍まできくのは、欧州でISISに参加する人々の親がイスラム系の国出­身で、それらイスラムに起源がある人々が主にISISに参加している欧米人(帰化や帰­化2世)となっているわけです。
インドと敵対する国の血が入ると入国には厳しくなるのは当然の結果であると思います。

しかし、日本とインドの関係は良好。問題はないとは思いますが。
とにかく、日本は査証に関して、観光以外はより厳しくするべきですね。このインドのよ­うに。
業者にたのんでもよかったんですが、お金もかかりますし、英文日程表作成は、手慣れた­ものですので、自分で作成する事にしました。