国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

海外の港町

クロアチア・ドブロブニク(ドゥブロヴニク)旧市街の絶景!

クロアチアの世界遺産都市であるドゥブロヴニク。外国人だけでなく、近年、日本人にも人気の観光名所です。
旧市街が主要な観光名所になりますが、旧市街内を散策。
城壁にのぼり、一周してみるとよいでしょう。

ケーブルカーでスルジ山という山に登る事ができますが
そこからの景色も抜群です。

私的にすごくお薦め都市であるドゥブロヴニクです。是非訪問してみてください。

地中海に浮かぶ小国マルタの漁村マルサシュロック

ヨーロッパの地中海に浮かぶ小さな島国であるマルタを訪問。

地中海に浮かぶ小さな島国マルタ!ここはかつてマルタ騎士団がいたことでも知られております。歴史的遺産はもちろんの事、綺麗なビーチもあり、漁業も盛んにおこなわれており地中海の海の幸を堪能出来ます!
マルタ共和国の中で特に見どころが多く、最大の漁村であるマルサシュロック(写真)
のどかな漁村の風景を楽しみたい、獲れたての海鮮料理が食べる事が出来ます。

地中海に浮かぶ小さな島国マルタ!マルタは南ヨーロッパのEU(ヨーロッパ連合)とイギリス連邦に加盟している共和制国家です。通過は国際通貨であるユーロです。かつてイギリス領であったので、英語が通じます。

国土面積は東京23区の半分程、人口は40万人程の小さな国。マルタ騎士団とマルチーズ発祥の地としても有名な国です。気候は地中海性気候で温暖かつ降雨量が少ないです。日本との関係も深く、江戸時代に福沢諭吉を含んだ文久遣欧使節団が、また大正時代には昭和天皇も行啓しています。

マルタ最大の漁村であるマルサシュロック。マルタ最大だけあり、港には多くの漁船があります。船は色とりどりですごく綺麗。入り江になっていますが、この深い入江は、侵入者にとって格好の場であったので、かつて1565年のマルタ包囲戦では、オスマントルコ軍が最初に上陸した場所です。

また、1989年12月にアメリカのブッシュ大統領と旧ソ連のゴルバチョフ大統領が冷戦の終結を宣言したマルタ会談も、マルサシュロックの海上でおこなわれました。歴史的な場所であるマルサシュロックですが、のどかな風景が広がっております。これらのどかな風景を眺めるのも風流です。

クロアチア・ドゥブロヴニク・旧市街内路地裏レストラン!クロアチア料理!アドリア海の海鮮料理)

クロアチアの世界遺産都市であるドゥブロヴニク。外国人だけでなく、近年、日本人にも人気の観光名所です。

旧市街のには数多くのレストランがあるのですが、路地裏に穴場レストランも多いです。旧港やピレ門周辺のレストランも良いレストランが多いですが、路地裏レストランもお薦めです。

今回注文したのは、クロアチア・ダルマチア産の生ハム、チーズ、タコのマリネを前菜に、メインは、ミックスシーフードです。シーバス、イカ、ムール貝等を堪能。

私的にすごくお薦め都市であるドゥブロヴニクです。是非訪問してみてください。

東ティモール・ディリ市内散策!

I walked in the city in Dili in East Timor. 早速、東ティモールの首都のディリ市内を散策。
人口は15万人程。
ディリは1520年頃にポルトガル人によって植民され、1769年にポルトガル領ティモールの首都になりました。
先の大戦では日本が占領し、日本軍の部隊が駐留。

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世界一周動画!第一弾!マルタ共和国!

52分の新動画アップ!こないだ訪問したマルタ共和国の動画をまとめて編集した52分の旅動画を作成。出発から帰国までを事細かに紹介。デロップをいれております。
これでマルタ共和国観光が丸わかりになる動画です。是非、ご覧ください!
ラバト、イムディーナ、コゾ島、ヴァレッタ、青の洞門、マルサシュロック、スリーシテ­­­ィーズ等を訪問。
ホテルはスリーマ地区にある4つ星のホテルであるウィンザーホテルに宿泊しました。
セントジュリアンの方面にも散策。
航空会社は、エミレーツ航空利用し、成田からドバ、キプロス経由でした。
マルタ共和国は、南ヨーロッパの共和制国家。イギリス連邦および欧州連合(EU)の加­­­盟国である。公用語はマルタ語と英語、通貨はユーロ、首都はバレッタ。地中海に位­置­す­る島国です。
イタリアのシチリア島から船で行くことも出来ます。
イタリア・シチリア島の南に位置する。面積は316km²で、東京23区の面積622­­­.99km²の半分の大きさである。
カルタゴ、共和政ローマ時代に既に地中海貿易で繁栄し、その後一時イスラム帝国の支配­­­に入ったこともある。それに抵抗して戦ったマルタ騎士団がこの土地の名前を有名に­し­た­。
小型犬のマルチーズの発祥の地であり、マルチーズの名はマルタに由来する。
日本との関係
1862年、1858年に英仏など5カ国と個別に締結された修好通商条約の修正を求め­­­て派遣された文久遣欧使節団が訪問している。
1917年6月11日に大破した駆逐艦榊の59人の戦死や傷病による戦死者の「大日本­­­帝国第二特務艦隊戦死者之墓」がある。
1921年4月、皇太子時代の昭和天皇が訪問している。
マルタは地中海の中央部、シチリア島の南約93kmに位置する。主要な島はマルタ島と­­­ゴゾ島、コミノ島の三つである。海岸線が変化に富むため良港が多い。地形は低い丘­陵­や­台地からなり、最高地点はマルタ島内の標高253mの丘陵である。
気候は地中海性気候のため、冬は温暖で雨が多く、夏は暑く乾燥している。

2015年12月3日~12月10日 欧州の小国マルタへの訪問

2015年12月3日~10日まで欧州の小国でイタリアのシチリア島の南側にある
小さな国マルタ共和国へ初訪問。

成田空港から出発。
マルタ行き航空会社は、エミレーツ航空です。
中東のUAEのドバイ乗り継ぎ、キプロスのマルナカ経由でマルタに。
目的地まで2回も経由するのは、14年程前、学生時代に学校のセミナー旅行以来です。
あの時は、成田からSK《スカンジナビア航空》利用し成田→デンマークのコペンハーゲン→ノルウェーのオスロ→ノルウェーのトロムソに行って以来。1日がかりで目的地に到着。
合計で7日間の旅ですが、現地4泊+機中2泊の計6泊7日です。
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マルタ内では主要な観光名所を訪問しました。
訪問した場所は、イムディーナ、ラバト、スリシティーズ城塞都市ヴィットリオーザ、天然の見晴台セングレア、騎士団長の宮殿
アッパー・バラッカー・ガーデン、聖パウロ教会、ハジャーイム宮殿、マルサシュロック、青の洞門、コゾ島観光

マルサシュロックの港
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アズールウィンドー
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料理は、マルタ料理満喫。
マルタ風ローストビーフ、マルタ風ソーセージ、メカジキのグリル、シーフードプレート、ピーマンの肉詰め、リコッターチーズのラビオリ等を堪能。

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大感動間違いなし!この世の楽園・イタリア・カプリ島・青の洞窟

大感動間違いなし!この世の楽園・イタリア・カプリ島・青の洞窟

 

イタリア南部ナポリから近いカプリ島。カプリ島は青の洞窟がある事で有名な観光名所です。国内外を問わず世界各地から青の洞窟目当てにカプリ島にきております。小舟に乗り、青の洞窟に乗りこめば大感動間違いなし!

今回はイタリア・カプリ島の青の洞窟をご紹介いたします。

 

青の洞窟まで行くには?

カプリ島1

写真:大川原 明

カプリ島に行くには添乗員つきパッケージ旅行では、添乗員の案内してもらえますが、添乗員無しのパッケージ旅行や自由旅行では少しだけわかりづらいものです。

まず、ナポリの港から行くのが最善であります。

ナポリまでは日本からは直行便出ておりませんので、経由便でナポリもしくはローマなどで滞在した後に電車でナポリになります。

ナポリの港は市街地に面しておりますので分かりやすいです。

上記写真の船に乗り込み、30~40分ほどでカプリ島の港に到着します。船のチケットは、パッケージ旅行であればついている事多いですし、自由旅行であれば、港の券売り場で購入が可能です。

カプリ島にてイタリア料理堪能

カプリ島2

                         写真:大川原 明

ナポリからの船に乗り、カプリ島到着した後に、レストランで昼食をとりました。テラス付きのレストランですが、せっかくなので港の景色が楽しめるテラス席にしました。

注文したのは、カプリ島の近海で取れる海の幸を使用したシーフードパスタとイタリア・パルマ産の生ハムです。

生ハムは口の中でとろけ、噛めば噛むほど味が出てきます。

シーフードパスタは、ムール貝やアサリをしようしており、磯の香りと共に楽しむ事が出来ました。

 

カプリ島の港から青の洞窟へ

カプリ島3

写真:大川原 明

カプリ島の港から小型ボートに乗り込み、青の洞窟へ向かいました。

カプリ島は断崖絶壁で風光明媚ですが、40分程のクルーズを楽しみながら青の洞窟へ向かいました。

青の洞窟以外にもいくつかの場所によりますが、透明度も高くコバルトブルーの美しい海です。

 

青の洞窟に入るための手漕ぎボートへ

カプリ島4

写真:大川原 明

青の洞窟の前に到着し、ここで手漕ぎボートに乗り変えねばなりません。

順番に入るので、しばらく手漕ぎボートに乗り換えるために待たねばなりません。洞窟へ入るには入場料が必要であり、入場料を別途支払わねばなりません。

順番がまわってきたら手漕ぎボートに乗り込み、船頭さんに洞窟まで案内してもらえます。

注意点があり、洞窟に入る際には、必ず、頭を下げねばなりません。

そうしないと洞窟の入り口で頭を打ってしまうからです。

船乗りさんは洞窟に入る前に説明してくれますが。

 

ついに神秘的な青の洞窟へ

カプリ島5

写真:大川原 明

ついに青の洞窟へ入場!

噂通り、青い洞窟でした。神秘的な雰囲気が漂い、洞窟内にいる船乗りさんが

皆で歌を歌いはじめました。

洞窟内滞在時間は、約5分程です。

しばらく神秘的な青の洞窟内で滞在を楽しみました。

洞窟内では写真撮影をしましたが、ボートが揺れているので、ブレがでてしまい撮影に苦労しましたが、ひたすらカメラのシャッターを切り続けて良い写真がとれました。

皆さんも良い写真を撮るにはある程度、高性能のカメラを持参する事をお勧めします。

おわりに

いかがでしたでしょうか?昔から行きたかった観光名所でしたが、やはり感動感は高かったです。

カプリ島の青の洞窟は本当にお勧めいたします

 

天候や波により洞窟内に入れない事もありますが、季節により洞窟に入れる確率に違いがありますので、絶対入りたい方は、可能性を高めるために確率が高い時期に行くことをお勧めします。

ちなみに、過去のデータによれば入れる確率は、12月は7%、6月は87%などとなっております。

ポルトガル・日本人にも関わりが深いリスボン市内散策

ポルトガルの首都のリスボン
麻薬の売人が多いですが、綺麗な都市でした。
パイロアルト地区など一部危ない地域もあるので注意が必要です。

リスボン市内の多くの場所を
徒歩で散策しました。
天気がよくてよかったです。

リスボンは­­日本人にも関わりが深い都市です。この教会はリスボン市内にあるサン・ロケ教会とい­い­ます。この教会は日本が安土桃山時代、1584年にリスボンに到着した日本の天正­遣欧­少年使節団が1か月程滞在した場所です。日本とゆかりの高い教会です。

サンロケ教会
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フィゲイラ広場
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ここはタイか?トゥクトゥク発見
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麻薬の売人が多いコメルシオ広場
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テージョ川河口
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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
ポルトガル・リスボンにて 9月15日





モロッコ・タンジェ市・旧市街内レストラン・モロッコ料理!

モロッコタンジェ訪問時に旧市街(メディナ)内のレストランでモロッコ料理を堪能し­ました。
 ★ハリラと呼ばれる羊肉か魚の出汁でヒヨコマメ、玉ねぎ、トマトなどを煮込み、小麦粉­でとろみをつけたスープ。
 ★ケバブ=アラブ圏(イスラム圏)で全域で食べられる肉の串焼き。香辛料で臭みを消し­た羊、牛、鶏肉、ケフタなど串に刺し、炭火焼したもの。
 ★クスクス=北アフリカで広く食べられている料理。羊肉、鶏肉、魚などを野菜と煮て中­身とスープを取り出し、これをスームルという粗粒上の小麦を蒸したものをかけたもの。
 他にも数品堪能。モロッコのビールともに堪能。
 締めは、アラブで盛んに飲まれているミントティー

モロッコのビール
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ハリラ

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ケバブ
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クスクス
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ミントティー
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タンジェは、モロッコ北部にある都市。人口は、約67万人(2004年)。ジブラルタ­ル海峡に面した港町で、スペインやジブラルタルなどから多くフェリーが行き来し、国際­都市として栄えおります。

帝国主義の時代になると、モロッコがフランスとドイツの角逐の場となり、1905年に­はフランスのモロッコ支配を阻止しようとするドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がタンジェに­上陸しました。

このタンジェ事件(第一次モロッコ事件)は翌1906年のアルヘシラス会議­で妥協が図られたが最終的な決着はつかず、1911年のアガディール事件(第二次モロ­ッコ事件)を経て、モロッコはフランスにより保護国化され、タンジェは国際管理地域(­英語版)とされた。タンジェの国際管理化は第一次世界大戦での中断を経て、1923年­12月18日のパリ会議でフランス、スペイン、イギリスの三国による条約が締結され、­同年6月24日より開始されました。

後に条約にイタリア、ポルトガル、ベルギー、オランダ­、アメリカ、ソビエト連邦も加入した。

第二次世界大戦勃発後の1940年6月14日、スペイン軍はタンジェに侵攻し、一方的­併合を宣言しました。

しかし世界大戦終結から半月後の1945年8月31日、タンジェは国­際管理地域に復帰した。

1956年10月、条約加盟各国はタンジェの国際管理終結を決­定。1956年12月31日をもって国際管理は終わり、タンジェはモロッコに復帰した­。復帰に当たり、1960年4月18日までの期限付きで為替や貿易に関する特別措置が­採られています。

平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
モロッコ・タンジェにて 9月11日





モロッコ・タンジェ市・ジブラルタル海峡の絶景堪能できる丘

モロッコのタンジェ市内のメディナ(旧市街)近くにある絶景堪能出来る場所です。
ジブラルタル海峡を背景に!近くにいたドイツ人に撮影してもらいました。

天気が良くて最高でした☆

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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・タリファにて 9月11日