.チャーン島のサイケオビーチの南にあるク
サイケオビーチに比べ人が少ないので
I can see the mountain view from the room in the hotel in Chang island.最近、ネット事前予約でなく、昔ながらの方法で直接、宿にウォークインにてチェックインしています。(宿に直接赴き、料金をきき、時として値下げ交渉。)
チャン島のサイケオビーチのホテルにチェックイン。海が見える部屋は空いておらず、山が見える部屋に。バルコニーつきです。
宿の従業員(女性)に値下げ交渉をしましたが駄目でした。
顔つきや仕草、物言いが客を客とも思わない態度が悪い女性従業員で一喝しそうになりましたが、大人になり我慢しました。(ホテル予約サイトの利用者のコメントでも書かれてますね=ネットの評価は宿にとっては重要)
接客のなんたるかを教えたくなりました。(接客態度が悪い人々にはよく教育をしている自分ですが)
しかし、部屋からの山の景色は素晴らしいです。
チャーン島はタイではプーケットにつぎ2番目に大きな島です。
山々が多く、前方にみているのは、島で最も高い山であるチョムプラサット(626メートル)です。
自然をみると心が癒されますね。
【アメリカ人VSロシア人!冷戦か!?】パタヤは1950年代まで小さな漁村だったのですが、ベトナム戦争が勃発して米軍が隣のラヨーン県にあった空軍基地・ウータパオを使い、パタヤを米軍保養地として利用し始めたために開発が始まりました。
ゴーゴーバーが開業し、米兵相手の売春などの性産業が盛んになりました。
1975年のベトナム戦争終結後、一時期、恐慌に見舞われましたが、その後、欧州などの国々からの観光客が押し寄せ再び活気を取り戻しました。
ベトナム戦争に参戦した60代~70代の米兵はかつてを思い出し、移住してきています。
英語のアクセントでアメリカ人と分かりますが、アメリカ人の老人を多く見かけます。自分の娘、いや孫くらいの女性と一緒に楽しんでいます。
今世紀に入り増加しているのがロシア人です。今ではロシアで最も人気のある観光国はタイ。多くのロシア人がタイを訪れています。パタヤは本当にロシア人が多いです。顔や言語(言語を聴いてどこの国か分かる)でロシア人は分かりますが、ロシア人観光客が非常に多いです。
同じレストラン、バーでアメリカ人とロシア人がいて、お互いが会話することはあまりないのですが、パタヤは冷戦状態といっても過言ではありません。
ちなみにタイには数千人(ある情報筋からは1万人以上)のロシア人女性が売春婦として入り込んでいますが、ロシアンマフィアの管理下の元入国しています。
【昨日、パタヤのビーチで海水浴を楽しんでいたら、私のユーチューブチャンネルをご覧いただいている方々と出会いました】
ラン島からの帰った後に、パタヤのビーチで椅子に座り海水浴をしていたのですが、私のユーチューブをご覧いただいている方々から「アキーラさんですか?」と話し帰られました。(今回の滞在で5回目)
立派で渋い和彫りの墨が入った方々ですが、目立ち度抜群です。(若いときに、墨を入れたいなと思う時期もあった自分ですが)
寒い北海道(札幌)から来られているようで、気候が全然違いますね。タイを満喫されているようです。見た目にも関わらず、すごく良い方々でした。
3人のうち2人とフェイスブックで友達になりました。
しかし、時間や場所が少しでもずれていたら出会えていなかったわけで、すごいことですね。
世界各地60か国程の動画をアップしていますが、4つのチャンネルを合わせて、総動画数は、14000動画程。一日の動画総再生回数は平均20000~30000万回(ここ1週間くらいは3万~5万回再生されている)。そのうちタイの動画はもっとも多く1300動画程です。よって他国よりも日本人観光客に話しかけられる率はあがるわけですが。
ボートで一緒だった日本人女性達と海鮮料理の食事。
きつくない東北訛りがあると思ったら仙台の方々でした。
ラウンジ(低価格クラブ)のママさん(自分の前)(経営者)とそこで働く女性達です。慰安旅行のようです。
ジェットスキー、バナナボート、パラセーリング等のマリンスポーツを楽しまれ、すっぴん状態です。自分と変わらないか少し下の女性達です。なかなか綺麗な女性達でした。
1人がパラセーリング後に、貧血気味になり意識失いかけていましたが、10分くらいで回復しました。貧血といっても脳貧血だと思われます。低血圧、睡眠不足も重なったのでしょう。肩や首をもむ事により血流をよくしていました。
仙台と聞いて、国分町が頭に浮かびましたが、やはり国分町でした。仙台は過去に2回訪問したことがあります。
ちなみに自分は学生の時に、キャバ(キャバクラ)のボーイや送り、キャッチのバイトしていました。キャバの終了後にキャバ嬢の女の子を自分の車で送っていましたが楽しかったですね。