今回10回目の九州。知覧や鹿屋などの神風特攻隊関連地は既に訪問していましたが、未訪問の神風特攻隊関連の地が数多くあることを知り、今回、訪問しました。
【大分県宇佐市-宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構『城井1号掩体壕』】
昨年に続き人生2回目の大分県宇佐市訪問。前回は宇佐神宮参拝のために宇佐市を訪れましたが、今回は宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り。一番最初に訪れたのが城井1号掩体壕。軍用機を敵の攻撃から守るために造られた壕です。
昭和19年(1944年)8月頃から建設が開始。今も残る掩体壕の1つです。戦後50年にあたる1995年(平成7年)に平和の象徴として宇佐市の史跡に指定され、公園として整備されました。
掩体壕内部には国東半島沖で引き揚げられたゼロ戦のエンジンを展示。公園内には宇佐から出撃した154人の特攻隊員の名前を記した慰霊碑があります。
【宇佐海軍航空隊-戦争遺構巡り『落下傘整備所』】
落下傘(パラシュート)を整備していた場所。昭和14年に建てられたレンガ造りの建物。外壁にアメリカ軍による機銃弾跡が残っています。
【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『耐弾式コンクリート造建造物』】
受信所または配水所だったコンクリート造の建物。防弾効果等を上げるため、外壁の厚さが45㎝と頑丈な構造になっています。掩体壕と同じく天井は草を植え、上空からは見えないようにしています。ここも米軍の低空飛行での機銃弾攻撃の跡があります。
【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『爆弾池』】
昭和20年4月21日の空襲でできた爆弾跡に水が溜り池のようになっています。現在の池の大きさは小さくなりましたが、もともとの大きさは直径10m、深さ約1.2m程あったとのこと。
【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『発動機試運転場(エンジン調整場)』】
飛行機のエンジンを分解して、整備をおこなぅっていた建物。エンジンを載せる台や点検記録用の部屋が残されています。
【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『高居地下壕』】
米軍の空襲に備えるため、駅館川東岸の崖面に多くの横穴壕掘られました。現在は内部への立入禁止となっています。
【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『津島屋本家『総督』酒蔵跡』】
津島屋は江戸時代からの酒造屋だった今戸家の屋号で、昭和20年4月21日の空襲で爆弾が命中し、工場、家屋とともに壊滅。地下の日本酒の貯蔵庫は防空壕としても使われ、4月21日の空襲では地下室に避難さ9名が生き延びました。敷地内には戦禍を生き残った柿の木があります。
【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『蓮光寺の生き残り門』】
昭和20年4月21日、米軍の空襲で江須賀地区の蓮光寺本堂や周辺の民家が全壊しました。この山門だけは奇跡的に戦禍を免れたため『生き残り門』と呼ばれるようになりました。

【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構『若八幡神社内-宇佐海軍航空隊忠魂碑』】
若八幡神社内に他所から移設された忠魂碑や特攻や空襲などで戦死した飛行予備学生出身士官の氏名を刻んだ慰霊碑があります。1人の日本人として祖国ニッポンのために命を捧げた英霊に感謝し、慰霊をさせていただきました。
【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『発動機試運転場(エンジン調整場)』】
飛行機のエンジンを分解して、整備をおこなぅっていた建物。エンジンを載せる台や点検記録用の部屋が残されています。