国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

11月

平成28年(2016年)10月24日放送 NHK BS1【国際報道2016】米国 旅行雑誌 東京は世界一になった件に関しての意見協力

平成28年(2016年)10月24日放送 NHK BS1【国際報道2016】
米国 旅行雑誌 東京(京都も上位)は世界一になった件に関しての意見協力
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台湾渡航調査!平成28年(2016年)10月18日~11月1日

台湾渡航調査!平成28年(2016年)10月18日~11月1日

主な調査目的は日本統治時代(1895年~1945年)の痕跡調査。
日本統治時代に建てられた今でも残る建物、台湾人に尊敬される3人の日本人。(八田與一、杉浦茂峰兵曹長、森川清治郎巡査)

他の調査は下記
・中国国民党&民進党
・内省人と外省人
・昭和22年(1947年)蒋介石政権による内省人弾圧228事件調査
・台湾の鉄道(日本の700系と同型の台湾版新幹線等)
・台湾人の中国に対しての意識調査(中台関係)
・世界遺産ともいえる太魯閣国立公園潜入

・日本人墓地&日本軍にて戦死した台湾人慰霊碑

・観光名所(夜市含)
・台湾原住民調査(高砂族)

 

※下記は日本統治時代に建てられたNHK台北支局。今は記念館に。
台北の228和平記念公園内

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※下記は、中部の嘉義市内にある日本統治時代に建てられた嘉義神社

今も残る社務所。

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※下記は、台湾の複数の都市にある228和平記念公園

228事件の詳細が分かる碑があります。

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※下記は台湾で尊敬される日本人の1人である

八田與一氏。八田與一氏が建てた当時、東洋一のダム。

夫妻の墓の前で合掌。

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※下記は飛虎将軍として現地の人々に祀られる杉浦兵曹長の廟。

台湾で尊敬される日本人の1人。

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※下記は台湾で尊敬される日本人の1人。

森川清治郎巡査。嘉義県福瀬村の富安宮にて。村の神として祀られています。

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※下記は台湾の東部に主に住む台湾原住民

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※下記は日本の700系新幹線と同じ型

川崎重工製の台湾版新幹線

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※台中にある日本統治時代に台湾に移住した日本人の遺骨安置所(台湾中部居住日本人)

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※下記は断崖絶壁で風光明媚な東海岸北部の太魯閣

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モンゴル渡航調査!平成28年(2016年)10月14日~17日

モンゴル初潜入!

首都のウランバートルとウランバートルから70キロ程の距離にある
テレルジ国立公園訪問宿泊。

テレルジ国立公園では、モンゴル遊牧民の伝統的家屋であるゲルに宿泊。
草原の中での乗馬体験。奇岩撮影。

ウランバートル市内ではカンダン寺、スフバートル広場、市場、馬頭琴製作工房を視察。
モンゴルの対外関係&日本の浸透具合に関しての聞き取り調査。

※下記写真はテレルジ国立公園で宿泊した遊牧民の移動式住居ゲル

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台湾で尊敬される日本人!台湾・福瀬村!森川清治郎巡査が祀られる台湾・嘉義県福瀬村の富安宮

台湾には数多くの日本人が尊敬されていますが、そのうちの1人が森川清治郎巡査です。

場所はどこにあるのかというと嘉義県の東石郷福瀬村です。
交通の便は悪いので、嘉義からタクシーを利用し、高速も使い30分程で到着。(距離でいうと40キロくらいはあると思います。)
タクシー代だけでも往復5000円くらいかかりました。でも行って本当によかったです。

それでは、台湾人にいまでも尊敬される森川清治郎巡査とはどんな方なのでしょうか。

1861年(文久6年)に横浜に生まれた森川巡査(農家の生まれ)
日本統治後の1897年(明治30年)に台湾へ渡りました。そしてここ福瀬村の派出所勤務となりました。

当時は、劣悪な治安であったようですが、治安改善に尽力。そして私費を投じて、教科書を日本より取り寄せて、寺子屋を開き当時、村民のほとんどが文盲であったなか、住民に読み書きを教えました。衛生教育にも熱心でした。

村人が海で溺れているとの通報で、真っ先に海に飛び込み、助けに入ったこともありました。これにより、村人達から非常に尊敬されるようになりました。

明治34年(1901年)に台湾総督府は漁業税を設けました。福瀬村は海岸からも近く漁民が中心の村です。人々の生活は貧しく、漁業税をもうければ、村人の生活がたちいかなくなる可能性が高かったのです。(村人達の訴えもあった)

村の窮状をしっている森川巡査は、嘉義庁東石港支庁へ赴き、減税を求めたが、当時の支庁長は、住民を扇動し、謀反を起こそうとしているとして要請を跳ね除けた上、森川巡査を訓戒処分に処し徴税を重ねて命じました。

これに村人達に責任を感じた森川巡査は、翌年、自決を遂げました。村の人々の要望に応える事が出来なかった責任を感じ、自らの命を絶って責任をとったのです。これを知った村人達は非常に悲しみました。

その21年後、大正12年(1923年)に福瀬村でコレラ脳炎等の伝染病がはやりました。この時に村人の夢枕に森川が警察官の服装で現れ、「環境衛生に心がけ、飲食に注意し、生水、生ものを口にせぬこと」というお告げの内容を村民に告げたのです。村民がこれを守ったところ、伝染病の流行をまぬがれる事ができました。

義愛公として富安宮という立派な廟を村に建立し、森川巡査が祀られています。日本人は場所柄あまり訪れませんが、台湾の方々(内省人)が多く観光バスなどで訪れています。台湾で非常に尊敬される日本人の1人です。

【馬頭琴生演奏】モンゴル・ウランバートル・馬頭琴(モリンホール)製造工房!

モンゴルの楽器といえば馬頭琴が有名です。モンゴルの首都のウランバートル市内には、馬頭琴製造工房がいくつもあります。

日本でも最近、馬頭琴を習う人々が増えてきているようで(現在600人ほど)す。モンゴルから馬頭琴指導に日本にいくモンゴル人もいます。工房では製造過程を学べるとともに、馬頭琴をひかさせてもらら事が出来ます。

馬頭琴はモンゴルではモリンホールと呼ばれています。モンゴルの民俗楽器で、弦の本数が二本の擦弦楽器であり、モンゴルを代表する弦楽器です。日本では物語「スーホの白い馬」の中に出てくる楽器として有名です。

モリンホールは先端が馬の形を模した棹と、四角い共鳴箱、2本の弦から構成されています。
弦を支える駒が上下にあり、音程の微調整にも利用されます。本体は松や白樫を用いています。

下記は現地で撮影してきた映像です。
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