国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

03月

1万円以上?アメリカ入国の際に必要となるESTAの代行サービスで問題続出

1万円以上?アメリカ入国の際に必要となるESTAの代行サービスで問題続出!公式サイトを装った代行サービスに注意!アメリカはハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトル、グアムなどを訪問

アメリカに入国する際に必要となるESTAに関して
公式サイトだと勘違いして、代行サービスから申し込み
高い手数料をとられる問題が続出しています。
自身でのネット申請の際は注意が必要です。

絶景に感動【中東】ヨルダンの死海→ペトラ遺跡までトヨタのカムリのタクシーで移動!

絶景に感動【中東】ヨルダンの死海→ペトラ遺跡までトヨタのカムリのタクシーで移動!死海のクラウンプラザホテルに宿泊Dead seat to Petra ruins in Jordan

【ヨルダンの死海-美しい景色】
ヨルダンの死海のリゾートホテルに3泊した後、ペトラ遺跡にタクシーで移動しました。途中、死海や山々の美しい景色を見る事が出来ました。

[Jordan’s Dead Sea – Beautiful Scenery]
After spending three nights at the Crown Plaza hotel at the Dead Sea in Jordan,I took a taxi to the Petra archaeological site.
On the way to the Petra, I was able to see the beautiful scenery of the Dead Sea and the mountains.

治安注意-危険度レベル3【中東】レバノンの首都ベイルート市街地繁華街で多くの物乞いの人々にお金を

治安注意-危険度レベル3【中東】レバノンの首都ベイルート市街地繁華街で多くの物乞いの人々にお金を要求される!経済破綻、レバノン内戦、ヒズボラとイスラエルと南部で交戦Beirut in Lebanon

レバノンの首都ベイルート市街地(繁華街)で
物乞いの人々にお金を要求される。

ガザ地区におけるイスラエルとハマスの紛争と並行してレバノンとイスラエルの国境地帯で、レバノンのシーア派の過激派組織であるヒズボラとイスラエルが紛争中。レバノン南部の都市をイスラエルが爆撃して、双方が応酬。

2006年のレバノン侵攻
ヒズボラがイスラエルに攻撃と侵入を行いました。これに対してイスラエル軍が7月から8月にかけてレバノン領内に空爆、侵攻をおこない、首都のベイルートの空港も攻撃対象になったので、今後、国境地帯での紛争がレバノン全土に広がる可能性があるとして、外務省は危険度レベル2からレベル3(渡航は止めてください。(渡航中止勧告))に引き上げました。

レバノンは長らくオスマン帝国に支配され、帝国崩壊後にフランスの委任統治領から先の大戦下1943年11月22日に独立を果たし、

第二次世界大戦後のレバノンは自由経済を採用。金融や観光などの分野で国際市場に進出して経済を急成長させました。

首都ベイルートは中東経済の中心地となり
地中海有数の国際的リゾート地として、数多くのホテルが立ち並び、西欧からの観光客が多く訪れる「中東のパリ」と呼ばれるようになりました。

しかし、1975年~1990年にかけておこったレバノン内戦により国が疲弊し、シリアが1990年に侵攻してレバノンは暫くの間、シリアの実質的支配下に置かれました。

その後、暫くの間は安定したものの長続きはせず、政情、経済が不安定な状況が続いています。4年前の金融危機以来、経済が破綻し、国家が崩壊状態に陥っています。

レバノンといえば
日産の元会長であるカルロスゴーンが日本から密出国した後に住んでいる国。ピンク色の高級住宅街に建つ豪邸に住んできましたが、10月中旬、レバノンの司法当局はゴーン被告に対し自宅からの退去命令を出しました。

また、日本でも報道された
2020年8月4日18時頃(現地時間)、レバノンの首都ベイルートにあるベイルート港で発生した爆発事故も記憶に新しいです。

この爆発により都市の半分以上が被害を受け、218人が死亡、7,000人以上が負傷し、最大で30万人が家を破壊されて住む場所を失いました。事故現場付近の状況もお伝えできればと思います。

【旧ソ連‐中央アジア】ウズベキスタンのタシケントの抑留日本人墓地慰霊訪問!シベリア抑留だけでなくソビエト各地に抑留された日本人

【旧ソ連‐中央アジア】ウズベキスタンのタシケントの抑留日本人墓地慰霊訪問!シベリア抑留だけでなくソビエト各地に抑留された日本人Japanese Cemetery,Tashkent,Uzbekistan

終戦間際に日ソ不可侵条約を破って満州、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島に侵攻したソ連。57万5千人以上の日本人がシベリアの他、中央アジアのカザフスタン、キルギス、ウズベキスタンやソ連と密接な関係にあったモンゴルに抑留されました。

現地では過酷な強制労働
抑留生活、寒さや飢えで亡くなる人は公表されているだけで
5万8千人以上(半分以上が亡くなっているとの調査報告も)。
祖国に帰りたくても帰れず異国の地で無念にも亡くなった日本人。小生は大東亜戦争の戦跡地、日本人墓地を慰霊訪問していますが、今後も継続していきます。

タシケントの日本人墓地は2つありますが、そのうちの1つを慰霊訪問。この墓地には79名の抑留日本人の墓地があり、氏名と出身地の記載がされています。祖国に帰りたくても帰れなかった日本人。さぞかし無念だったでしょう。

多くの日本人に慰霊訪問していただきたいです。
墓地は共同墓地内。入口や日本人墓地の場所がわかりずらいですが、分からなければ現地の人に場所を尋ねてください。

※NIKONのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはF2.8 24-70㎜レンズ