国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

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【穴子(アナゴ)料理お薦め店】東京日本橋の穴子料理専門店『玉ゐ』本店で穴子の白焼き、大箱、お吸い物

【東京日本橋の穴子料理専門店『玉ゐ』本店】

東京駅から近い日本橋にある穴子料理専門店『玉ゐ』の本店。 ビルの間にポツンと建つ木造建ての建物。 昭和28年に建てられた酒屋を改装した店内で昭和の雰囲気を感じることが出来る雰囲気です。 料理は、名物の「箱めし」や会席など、穴子料理が堪能できます。 穴子はたまに食べますが、うな重のような穴子重は初めてです。

注文したのは箱飯 大箱(4600円)ご飯大盛り(+100円) 穴子白焼き(1800円) 穴子の調理の仕方が上手く 身は柔らかくて、鰻よりはあっさりした味。タレとともにご飯がすすみました。 ここは、お世辞抜きにオススメ出来る店です。 会食した方に 全額ご馳走になりました。

九州‐神風特攻隊関連地【熊本県錦町にある人吉海軍航空基地資料館】

【熊本県錦町にある人吉海軍航空基地資料館】

山の中の海軍の町-にしき-ひみつ基地ミュージアムを見学。

昭和19年2月に完成し、開隊した基地。

予科練の教育施設として利用され、エンジニアやパイロットを養成するための教育基地及び工廠としての機能があった基地です。

【ガイドツアー】

山の中の海軍の町-にしき-ひみつ基地ミュージアムを見学。

せっかくなので、地下壕を見学出来るツアーに参加してみました。資料館+ガイドツアー4ヶ所+屋外音声ガイド利用。料金は2000円、所要時間は150分です。

資料館見学、飛行場であった場所に残る地上施設跡や地下施設を専任ガイドと共に徒歩で回るプラン。地下壕は地下魚雷調整場と、地下兵舎壕、地下作戦室・無線室を巡ります。徒歩で、人吉海軍航空基地と本部エリアを体感できます。

もう1か所は車で行く場所。

2km離れた庁舎居住地、国内でも珍しい松根油乾溜作業所跡や

庁舎居住地区隊門などを周ります。

ここにきたのであれば、追加料金がかかりますが

3か所もしくは4か所巡るガイドツアー参加お薦めします。

※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはf2.8 24‐70㎜のレンズ

【宮崎市‐宮崎海軍航空隊之跡-宮崎特攻基地慰霊碑】

宮崎空港滑走路横にある宮崎特攻基地慰霊碑。

宮崎の赤江飛行場は宮崎海軍航空隊基地として、南九州における本土防衛の重要な戦略的基地でした。

宮崎基地では、海軍航空隊神風特別攻撃隊を主体でしたが、陸軍の特攻機も在籍部隊として発進。とくに陸軍機には海軍の予備学生出身者が、航法士・機長として搭乗して陸海軍共同の特攻隊が編成されました。

宮崎基地から発進した特攻隊員、殉職者を含めて385柱。併せて宮崎県出身者で宮崎基地以外の基地から発進した特攻隊員、訓練中の殉職者、戦傷病死者を含めた陸海軍航空機搭乗員414柱、合計799柱の英霊を合祀してます。

※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはf2.8 24‐70㎜のレンズ

九州‐神風特攻隊関連地【鹿児島県霧島市の十三塚原特攻記念館(海軍航空隊第二国分基地跡)特攻隊慰霊碑】

【鹿児島県霧島市の十三塚原特攻記念館(海軍航空隊第二国分基地跡)特攻隊慰霊碑】

慰霊訪問。鹿児島空港あるあたりが、かつて大日本帝国海軍航空隊第二国分基地があった場所です。

霧島高原ビールの敷地内にあり、無料で見学することができます。特攻記念館は、地下壕跡の入口前に霧島高原ビールの山元正博会長により、約1千万円を投じて建設されたものです。

【十三塚原特攻記念碑(海軍航空隊第二国分基地跡】

鹿児島空港あるあたりが、かつて大日本帝国海軍航空隊第二国分基地があった場所です。

この場所は、特攻隊員の慰霊と偉勲を顕彰するため、昭和54年に旧溝辺町長が中心となり、関係有志の協力によりこの碑が基地跡地に建立されました。

碑は南の空を仰ぐ海軍少年飛行兵のブロンズ像と、基地出撃特攻隊員の銘碑が設置されています。慰霊祭は毎年4月22日近くの日曜日の午後におこなわれています。

九州‐ 神風特攻隊関連地-鹿児島県指宿市(旧開門町域)開聞岳の麓、花瀬望比公園の比島戦没者慰霊碑


指宿温泉の温泉宿に宿泊。久しぶりの指宿温泉でした。今回の九州では九州各地の神風特攻隊、旧日本軍関連の地を周りました。
指宿では花瀬望比公園の比島戦没者慰霊碑を慰霊訪問。Google Mapで慰霊と検索して知った場所です。


フィリピンは昨年、3回目の訪問。アンヘレス、クラーク、オロンガポ、スービック、マバラカットなどを訪問。神風特攻隊の慰霊碑が旧日本軍のマバラカット基地跡にあり、慰霊訪問させていただきました。


花瀬望比公園には、比島作戦で亡くなられた鹿児島県出身戦死者12000人余りの遺族と2000人余りの生存者が中心となり、昭和41年に「比島戦没者遺骨収集ならびに慰霊碑建立期成会」を結成。


同年11月、鹿児島大学の練習船「敬天丸」でルソン島やレイテ島などから4047柱の遺骨を収集。
昭和43年、ここ花瀬崎に慰霊碑を建立。
フィリピン方面で戦死された山下大将ら47万6千有余の霊が鎮められています。毎年3月27日に戦没者慰霊祭がおこなわれています。
海に面して開聞岳を間近に見ることが出来る景勝地でもあります。


※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはf2.8 24‐70㎜のレンズ