国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

ブログ
サイト管理人のブログです。

ブログ一覧

【NikonZ9撮影】ボスニアヘルツェゴビナの首都『サラエボ』夜の繁華街‐旧市街(バシュチャルシア)散策③ボスニア紛争、サラエボ事件現場

ボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボ。
サラエヴォの町はディナール山脈。

濃厚な森林に覆われた丘陵地と5つの山に囲まれています。想像以上に美しい都市。
ここから数キロの距離に
山の斜面にスルプスカ共和国(セルビア人共和国)との境界線があります。
ボスニアヘルツェゴビナ紛争時はセルビア勢力に包囲され、ボシュニャク人は攻撃を受けていました。

※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

【海外の長距離バス】タイのチェンマイ→バンコク行き長距離VIPバス!チェンマイバスターミナル→バンコク北バスターミナル

タイのチェンマイから長距離VIPバスを利用してバンコクに移動。 所用時間は10時間ほど。朝食と昼食の提供があり、座席は大きめで後ろに下げれるので昼寝が気持ちかったです。 料金は1019バーツ(約5100円)でほぼ満員状態でした。


タイのバンコクのカオサン通りのお薦めレストラン&バーで朝食&タイ料理夕食!バックパッカーの聖地

タイのバンコクのカオサン通りのお薦めレストラン&バー。
今回の動画は3軒。レストランでの洋朝食&タイ料理夕食。

カオサン通りは昔から世界各国からのバックパッカーの聖地として知られる通り。バックパッカー、旅行者向けの飲食店や宿、マッサージ屋、旅行会社などが数多くある通り。周辺の通り含めてカオサン地区は賑わっています。


徳島県鳴門市旧板東町の板東俘虜収容所跡!ドイツ等の捕虜を人道的に扱った松江豊寿中佐後の大佐⇒少将 会津藩士子息映画「バルトの楽園」主人公


第一次世界大戦時に日英同盟を結んでいた日本は連合国側として参戦。敗戦国となったドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国。
ドイツの租借地であった青島で捕虜となった日独戦ドイツ兵捕虜4715名のうち、徳島県旧板東町(現鳴門市)の坂東俘虜収容所は約1000名を収容。期間は1917年-1920年の3年弱。

所長は会津藩士の子息として生まれた松江豊寿中佐(後の大佐⇒少将)が所長を務め、捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で友好的な処置を行ったとしてドイツ国内、世界的な評価が高かった。

捕虜をある程度自由に活動させ、ドイツ人捕虜と日本人との交流は、その後の日独関係の有効に貢献。
1920年4月1日に収容所は閉鎖され、陸軍の演習所として使われた。
戦後は、うち半分残っていた収容所建物は引き揚げ者の住宅として使用され、居住した1人に元プロ野球選手の板東英二氏がいる。

1972年に開館したドイツ館。現在ある建物は1993年竣工の2代目。館内には当時の様子を知る事が出来る貴重な資料や写真、物品などが展示されている。

ドイツ兵捕虜の子孫が日本に来て、板東の人々と交流し、日独の友好を深めている。
俘虜収容所跡地はドイツ村公園として整備され、
当時の収容所の基礎や給水塔跡、敷地内にあった二つの池や捕虜の慰霊碑が残されている。

2006年公開の映画「バルトの楽園」で映画化もされた。

中国(大連と瀋陽)で日本人2人拘束 「禁止貨物密輸」の疑い!スパイ容疑で拘束-実刑判決を受けて刑務所に服役している日本人も複数いるが・・チャイナリスク、政治リスク、反日リスク・・中国離れが進んでいく・

中国(大連と瀋陽)で日本人2人拘束 「禁止貨物密輸」の疑い!スパイ容疑で拘束-実刑判決を受けて刑務所に服役している日本人も複数いるが・・チャイナリスク、政治リスク、反日リスク・・中国離れが進んでいく・