タイの首都のバンコクから200キロ程南にあるホアヒンは、ラーマ7世の離宮「クライ・カンウォン」が1928年に完成して以来、王室の別荘がある事でも知られています。長いビーチ沿いには数多くのホテルがあるのですが、今回は、スターウッドグループの高級リゾート「シェラトン・ホアヒンリゾート&スパ」を皆さんにご紹介いたします。
タイの首都のバンコクから200キロ程南にあるホアヒンは、ラーマ7世の離宮「クライ・カンウォン」が1928年に完成して以来、王室の別荘がある事でも知られています。長いビーチ沿いには数多くのホテルがあるのですが、今回は、スターウッドグループの高級リゾート「シェラトン・ホアヒンリゾート&スパ」を皆さんにご紹介いたします。
世界1周&長期海外渡航(旅行)で持っていくべき物20選!バックパッカーの方々に伝授!
親日国タイ!パタヤの夜の歓楽街潜入ルポ動画!歓楽街散策、買い物できるお店紹介、ニューハーフショー潜入、立ちんぼがいるビーチ散策、ヒルトンホテル周辺等収録。
パタヤはバンコクから160キロ程離れた所にあるビーチリゾートであります。
ここはかつてベトナム戦争時に米兵達の休息の地として発展し、米兵相手のバーやクラブが多く出来、当時の小さな漁村であったこの町は発展していきました。開発は非常に素早く、ビーチ開発などのほか、ゴー・ゴー・バーや売春などのセックス産業が発達した。
映画の舞台にもなっており、1977年の千葉真一主演映画『激殺! 邪道拳』でロケーション撮影されました。
昼間は海岸沿いで海水浴は楽しみ、夜は歓楽街へ!ここまでの規模はタイで一番である。
夜はパタヤの街全体が怪しい雰囲気に包まれる。
日本には関東 神奈川の横浜の黄金町、川崎の堀之内、東京の町田駅JR駅側ホテル街に同じような赤灯のちょんの間街があったが(今は警察による規制強化により撲滅)が、それに光がにております。
忠告しておかなければならないのは、タイ人はエイズ患者が100万人程おります。すなわち、タイ国民の60人に1人程の割合であるといわれております。(アメリカ、ロシア、東欧諸国、インド、アフリカ諸国でも非常にエイズ患者が多いですので、外国人との性交渉は控えねばなりません。)
よく、買春をしている人々をみていると、大丈夫かと心配になります。見ているだけなら問題ありませんが、そこらへんを考えたうえで行動されてください。
親日国タイ バンコクのシーロム地区。このあたりは、ゴーゴーバーやカラオケパブ、ゴーゴーボーイが多くあります。
ここにあるゲイバー・ゴーゴーボーイ通りを散策。
決して、自身は男に興味があるわけではないが散策してみてなかなか楽しかったです。
外でも音楽が流れているので屋外レイブ状態で、外にあるバーで酒を飲むだけでも満足します。
これがタイの大衆食堂。1皿40バーツ(130円程)~あります。現地の人々が多く利用。日本語メニューも置いてあるので、日本人も利用します。
かつて2010年~2011年にバンコクに駐在していたのですが、その時に、BTSプロンポン駅近くスクンビット大通りソイ26のタワーマンションに居住しておりましたが、その際にたまに利用していたこのレストラン。スクンビット大通り沿いにあります。
ソムタムやグリーンカレー味の炒め物を堪能。
※下記写真は、マレーシアのペナン島で撮影※
リキシャのマレー人の運転手と一緒に記念撮影。リキシャは日本の人力車が由来となっている言及していました。


国際ジャーナリスト
大川原 明(おおかわら あきら)
昭和五十四年(一九七九年)九月
静岡県生まれ
専修大学経営学部経営学科卒
大学卒業後、新卒で大手旅行会社入社、退職後、世界各地を調査渡航。
世界六〇か国訪問。今年中に百か国突破予定。
海外在住歴は留学、仕事で長期4か国計6年
世界一周後、日本一周(現在、四一都道府県訪問済み)国内外において、写真と動画双方にて撮影。証拠撮り。
※写真は全て、私自身が、現地調査によって撮影してきたものです。
上記記事に関しての質問や問い合わせ、取材、記事寄稿依頼、講演依頼等ありましたら
下記までご連絡ください。
タイ北部の小さな町、ビルマとの国境地帯に近い場所にあるクンユアムを訪問。そこにあるタイ日友好記念館。
クンユアムは、メーホーンソーンの南約65キロの場所にあります。かつては、日本軍が駐留し、日本兵が野営を張ったり、現地のお宅にお世話になるなど、日本兵と現地タイ人の深い交流が結ばれた町です。
インパール作戦の失敗後、多くの日本兵がビルマ戦線で亡くなられましたが、戦争末期から終戦後、多くの日本兵がビルマ国境を通り、同盟国であったタイ国内に敗残兵として入ってきました。終戦後、枢軸国の一員で英米に宣戦布告していたタイも英米に従わざるを得なくなりました。
そんな中、ビルマからタイへ多くの日本兵が移動してくる中、コレラや飢え、傷病で亡くなる日本兵は大多数おりました。
かつて隊をおいていたクンユアムを目指し、敗残兵と化した日本兵。クンユアムにつき、クンユアムの人々の手厚いもてなしをうけました。治療、看病、食事や衣服提供等。
これは、それだけ日本兵の方々が現地タイ人に信頼されていたのもあります。慈悲深い精神をもった人々が多いタイですが、死にそうになり困っている日本兵を見ていられなかったのでしょう。
多くの日本兵がクンユアムでお世話になり、日本へ無事に帰国する事ができました。それら、日本兵は、水筒やヘルメット、毛布等を世話になった家庭それぞれに残していきました。
そしてそれら家族はそれらを大切に保管しておりました。
それから50年程たった1995年にクンユアムの警察署長として赴任したタイ人が、かつての日本兵とタイ人との交流に興味を持ち、私費を投じて、それらを集めて1996年に博物館をつくりました。そして8年前にクンユアム市に管理が委託され今にいたっております。
中には多くの展示物や写真があります。
クンユアムでお世話になった日本兵の中には現地タイ人と結婚し、それらの孫や曾孫が現在、日泰の混血としているようです。
旅メディアに旅記事寄稿!今回のお題は、安宿集結!バックパッカーの聖地!タイ・バンコクのカオサン通り!
タイ・バンコクのカオサン通り。ここはバックパッカーの聖地として有名な場所です。ここには多くのバックパッカー向けの安宿、レストラン、お店、マッサ-ジ屋、旅行代理店等があります。ここを拠点にタイの多くの場所を訪れる事が出来ます。今回は、眠らない通りカオサン通りを皆さんにご紹介します。
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たびねず記事
タイのバンコクは以前に仕事で駐在していた経験があるので、地の理があります。
BTSプロンポン駅近くにある屋台でカオマンカイ(チキンライス)を食しました。カオマンガイ=チキンライス。海南島発祥らしいのだが、東南アジア各地に広まった。場所はエンポリアムデパート近く、スクンビット通りに面しており、車やバイクの流れを見ながらの食事。