【台湾の教科書にも載っている台湾で尊敬される日本人の1人】烏山頭ダム水庫に到着。水庫すなわちダムです。ここは日本人の間でも知られている八田與一が建てたダムです。今回の渡航では台湾で尊敬される日本人の痕跡調査しましたが、3人目です。
八田與一は石川県金沢市の地主の家に生まれ、東京帝大卒業後、技師として渡台。当初は台湾の衛生状態をよくするための衛生事業に尽力。台湾南部の都市の上下水道整備等に従事。
その後、発電・灌漑事業の部門に移動。28歳という若さで八田は、桃園治水工事で成功おさめました。そして、31歳で台湾人医師の娘である外代謝(当時16歳)と結婚。
大正7年(1918年)に八田は、嘉南平野の穀倉地帯を旱魃の危険から守るために、灌漑設備の改善策としてダム建設を計画。当初は、受けいられず、国会でも議論されるほどだったのですが、計画が認められ、大正9年(1920年)に工事が開始され、10年後の昭和5年(1920年)に完成。
その後、八田は、フィリピンへの異動を命じられ、昭和17年(1942年)長崎からフィリピンに向かう太平洋丸に乗船中、九州沖でアメリカの潜水艦の攻撃を受けて、命を落としました。享年45歳。
八田與一は、台湾の教科書でも紹介されるほど、台湾では知名度の高い日本人です。台湾人観光客が毎日多く観光バスで訪れています。