国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

日本軍

マルタ共和国・日本海軍戦没者慰霊碑(墓地)!昭和天皇が皇太子時代に行啓(御訪問)&文久遣欧使節団

日本海軍・第二特務艦隊戦死者之墓。(日本人墓地・慰霊碑)
第一次世界大戦中に、日本とイギリスは日英同盟を結んでおりまし­た。
第一次世界大戦時に、日本はイギリスの要請を受け、地中海に艦隊を派遣。
ドイツやオーストリアの潜水艦の攻撃をうけたのですが、駆逐艦榊の乗務員計78名が死­傷いたしました。
マルタは、かつてイギリス領でしたが、カルカーラに英国海軍の墓地があり、その中に、­日本海軍戦死者の墓があります。
墓地の奥にあるのであすが、慰霊・合掌させていただきました。

マルタ共和国は、南ヨーロッパの共和制国家。イギリス連邦および欧州連合(EU)の加­­盟国である。公用語はマルタ語と英語、通貨はユーロ、首都はバレッタ。地中海に位置­す­る島国です。
イタリアのシチリア島から船で行くことも出来ます。

イタリア・シチリア島の南に位置する。面積は316km²で、東京23区の面積622­­.99km²の半分の大きさです。
カルタゴ、共和政ローマ時代に既に地中海貿易で繁栄し、その後一時イスラム帝国の支配­­に入ったこともあります。それに抵抗して戦ったマルタ騎士団がこの土地の名前を有名にしまし­た­。
小型犬のマルチーズの発祥の地であり、マルチーズの名はマルタに由来します。

日本との関係
1862年、1858年に英仏など5カ国と個別に締結された修好通商条約の修正を求め­­て派遣された文久遣欧使節団が訪問しています。
1917年6月11日に大破した駆逐艦榊の59人の戦死や傷病による戦死者の「大日本­­帝国第二特務艦隊戦死者之墓」があります。
1921年4月、皇太子時代の昭和天皇が訪問しています。

マルタは地中海の中央部、シチリア島の南約93kmに位置する。主要な島はマルタ島と­­ゴゾ島、コミノ島の三つである。海岸線が変化に富むため良港が多い。地形は低い丘陵­や­台地からなり、最高地点はマルタ島内の標高253mの丘陵です。
気候は地中海性気候のため、冬は温暖で雨が多く、夏は暑く乾燥しています。

マルタ共和国・日本海軍戦没者慰霊碑(墓地)イギリス軍墓地内・昭和天皇が皇太子時代に行幸の地

日本海軍・第二特務艦隊戦死者之墓。(日本人墓地・慰霊碑)
前述いたしましたが、第一次世界大戦中に、日本とイギリスは日英同盟を結んでおりまし­­た。
第一次世界大戦時に、日本はイギリスの要請を受け、地中海に艦隊を派遣。
ドイツやオーストリアの潜水艦の攻撃をうけたのですが、駆逐艦榊の乗務員計78名が死­­傷いたしました。
マルタは、かつてイギリス領でしたが、カルカーラに英国海軍の墓地があり、その中に、­­日本海軍戦死者の墓があります。
墓地の奥にあるのであすが、慰霊・合掌させていただきました。

親日国パラオ!子供や会社に日本名をつけるかつての日本の委任統治領パラオの人々!なぜ日本名を?世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第2話!

子供や会社に日本名をつけるかつての日本の委任統治領パラオの人々!世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第2話!

【パラオとは?】

パラオは、太平洋に浮かぶ小さな国。かつて日本が国連に依頼され、委任統治しました。日本が統治する前は、ドイツの委任統治領であったのでした。しかし、第一次世界大戦でドイツが敗戦をした結果、日本が国連よりパラオの統治をゆだねられ、30年程日本の委任統治領であったところです。通称パラオは、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国である。首都はマルキョク。平成18年(2006年)10月7日に旧首都コロールから遷都されした。
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パラオは、16世紀頃より、スペイン人が初めて渡来し、次いでポルトガル人、イギリス人がやってきました。パラオはその後、1885年にスペインの植民地下に入りました。これらのヨーロッパ人により天然痘などが持ち込まれ、また現地人に対する搾取が行われた結果、パラオの人口は90%程度減少したといわれています。1899年に、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、グアムを除くスペイン領ミクロネシアを450万ドルでドイツに売却、パラオもこれに含まれ以降ドイツ植民地となりました。

【日本の統治】

1914年に第一次世界大戦開戦後、当時、日英同盟を結んでいた日本は、米英と同じ連合国側として参戦し、連合国は勝利をおさめました。日本軍は、第二次世界大戦とは違い、ドイツ軍と戦ったのですが、日本軍は海軍を派遣してドイツ軍と戦い、ドイツ守備隊を降伏させてこれを占領。第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領になったのです。

日本の統治が始まった後、首都のコロールには南洋庁及び南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ、パラオは周辺諸島における植民地統治の中核的な島となり、多くの日本人が移住しました。コロールではそれら日本人が住んでいた痕跡が今でも残っており、時折、日本統治時代にパラオに住んでいた方が、パラオを訪れております。

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日本の統治が始まってからは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病 院、道路など各種インフラストラクチャーの整備も重点的に行われ、1920年代頃になるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させてきました。また、日本統治の開始にともない日本語による学校教育が現地人に対しても行われるようになりました。

太平洋戦争末期に、アメリカ軍がパラオに侵攻してきた際に、南のアンガウル島やペリリュー島は激戦地となりペリリューでは日本人兵士約11000人が玉砕する(アメリカ軍死者は約8000人)程、激戦地となった。アメリカ軍が攻めてくる前に、日本軍はペリリュー島民を戦争の犠牲者にならないように本島へ移住させた。しかし、日本軍と一緒に戦うと島に残ったペリリュー島民も多くおりました。

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※上記写真はペリリュー島にある旧日本軍戦車

【親日国&パラオ共和国初代大統領は日系人】

今でもパラオは親日国であり、1994年独立の際は、尊敬する日本の国旗を真似て、国旗を作りました。初代大統領は日本人の血を引く日系人(現地人との混血)のナカムラ・クニオ氏です。日本はアメリカと並ぶパラオへの最大の援助国であり、それらへの感謝の碑をいたるところで発見します

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【親日国パラオ!自分の子供や会社に日本名をつける!?】

パラオ人は、日本統治時代に日本がした貢献に関して非常に感謝しており、非常に親日。日本、日本人を尊敬しております。そのため、自分の子供や会社、お店に日本名をつける人々が多いのです。
パラオ訪問時にタクシーを利用していると、タクシー運転手の証明書の名前が、YOSHIO(ヨシオ)という名前でした。著者が運転手に、「日本の血が入っているのか?」と尋ねると運転手は「いえ、純粋なパラオ人です。自分の父が日本が大好きで、尊敬する日本人の知り合いに自分の名前をつけてもらった」とのこと。

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他に、マラカル島を歩いていると、YOJIRO(ヨージロー)という自動車修理工場を見つけました。聞き取り調査すると、経営者はパラオ人。尊敬する日本(人)の名前を自分の会社名につけたとのこと。このように、この国では生粋のパラオ人が、日本人の名前を子供や会社につける事をしております。それだけ日本が尊敬、愛されているということです。

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【さいごに】

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いかがでしたでしょうか?日本は世界で非常に好かれた国である事は事実です。世界数多くの国々を渡り歩き、この目でみてきました。世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!シリーズはこれからも続々とアップしていきます。

【文章&写真】

〚略歴〛タイ⑬

国際ジャーナリスト
大川原 明(おおかわら あきら)
昭和五十四年(一九七九年)九月
静岡県生まれ
専修大学経営学部経営学科卒
大学卒業後、新卒で大手旅行会社入社、退職後、世界各地を調査渡航。
世界六〇か国訪問。今年中に百か国突破予定。
海外在住歴は留学、仕事で長期4か国計6年
世界一周後、日本一周(現在、四一都道府県訪問済み)国内外において、写真と動画双方にて撮影。証拠撮り。
※写真は全て、私自身が、現地調査によって撮影してきたものです。

 

上記記事に関しての質問や問い合わせ、取材、記事寄稿依頼、講演依頼等ありましたら

下記までご連絡ください。

大川原 明(オオカワラ アキラ)

E-mail:last-samurai-akira@hotmail.co.jp

携帯電話:090-6078-6677





ジャーナリスト大川原 明訪問!パラオ・バベルダオブ島の旧日本軍が敷設した灯台跡

皆さん、パラオ訪問!ペリリュー島慰霊訪問を!
パラオ最大の島であるバベルダオブ島の最北端にある旧日本軍が建てた灯台跡。米軍による攻撃による銃痕が生々しく残っておりますが、現地の人々により丁重に管理されております。
中心のコロール島からレンタカーを借り、1時間程運転して到着。
眺望抜群でした。かつて日本人が、ここから祖国を望郷の思いで眺めていたのだと。
今年か来年、パラオ再訪予定です。アンガウル島も訪問します。
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