国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

東南アジア

東南アジア4か国周遊旅行(タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア)!期間や費用は?

番組をご視聴いただいている方から下記
質問をいただきましたのでご回答させていただきます。
↓↓↓↓↓
(質問)
僕も東南アジア周遊しようと思っているんですが、ルートはバンコク→チェンマイ→ヴィエンチャン→ルアンパバーン→ハノイ→ホイアン→ホーチミン→プノンペン→シェムリアップ→バンコクにしようと思ってます。このルートの必要な期間や費用、気をつけることなどを教えていただきたいです。

東南アジアの物価に関して解説!物価上昇が激しい東南アジア各国?

東南アジアの物価に関して視聴者の方から質問がありましたので
ご回答させていただきます。
失われた20年といわれる日本。日本はバブル崩壊後に0%、マイナス成長を経験し、よくても2%台、ほとんど経済成長をしていないですが、今まで日本から援助をうけてきたアジア各国は経済成長著しく、その結果、賃金上昇&物価上昇しています。

一昔前を知る人々にとって最近、アジア各国の物価上場を実感していると思います。

シンガポールの日本人墓地(寺内寿一陸軍元帥の墓や二葉亭四迷の碑、大日本除虫菊2代目社長の墓等

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シンガポールの郊外にある日本人墓地を慰霊訪問しました。

意外と知られてませんが、明治時代には既に多くの
日本人がシンガポールに住んでいました。
明治時代には既に日本人会が発足し、当時の日本人会
によってイギリス植民地政府より許可を得て
現在の場所に日本人墓地建立。

シンガポールで亡くなられた日本人。
南方軍総司令官の寺内寿一元帥のお墓
ロシアからの留学の帰りにベンガル湾上で船上で亡くなった浮雲などで知られる文豪・二葉亭四迷がシンガポールで火葬された経緯から碑があります。

他に先の大戦で亡くなられた
軍人、軍属を祀る慰霊碑もありました。

 

【スパイ容疑をかけられ自決した石原産業のシンガポール支配人】
これは偶然か。年に2~4回、大阪にいくといつも肥後橋の友人のタワーマンションに泊めてもらっていたのですが、20階のベランダからみる景色に江戸堀の
石原産業のビルが目に入りました。

エンドユーザーが一般消費者ではなくあまり知られていない会社ですので、正直どんな会社なのか初めて見たときは知りませんでしたが、東証一部上場の大手化学メーカーです。

戦前から海外に積極進出していた会社ですが
終戦により海外拠点を喪失。

石原産業シンガポールの支配人であった
西村氏ですが、軍港を写真撮影したとして警察に
スパイ容疑で連行され、その後、警察署内で自決。

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広大な敷地の墓地。墓の数は900墓以上

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先の大戦で亡くなられた英霊が祀られている

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明治時代(1891年)に建てられたシンガポールの日本人墓地。明治時代には既に数多くの日本人が住んでいましたが、墓地内にある910墓のうち3分の1にあたる309墓は明治時代に
亡くなられた日本人のお墓です。

他に
大正時代 122柱
昭和時代 88柱
不明 494柱

先の大戦で亡くなられた南方戦線で亡くなられた
軍人軍属の慰霊碑もあり
慰霊させていただきました。

画像に含まれている可能性があるもの:雲、空、植物、木、花、屋外、自然

 

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下の写真は【江戸時代に海外を渡り歩いた音吉】
実はジョン万次郎のような日本人は多くいた。
尾張国知多郡小野浦村(現在の愛知県美浜町)に生まれ
1832年に江戸に向かう千石船に乗り込んでいたが、
遠州灘沖で嵐にあい、遭難。

1年2か月太平洋を漂流し、ワシントン州ケープアラバに漂着。
結果的に世界1周をし、
アメリカ船モリソン号で帰国を試みるが
当時の鎖国政策で帰国かなわず。

貿易商として成功をし、
上海からシンガポールに移住。
シンガポールでの日本人定住者第一号となりました。

自動代替テキストはありません。

下の写真は【ベンガル湾の船上で病死しシンガポールで火葬された著名な文豪・二葉亭四迷の碑】

浮雲などで有名な小説家(翻訳家でもある)である
二葉亭四迷。
ロシア赴任からの帰国の途、ベンガル湾で船の上で肺炎によって亡くなり、シンガポールで火葬されました。

遺骨は東京の染井墓地に。
ここにあるのは墓ではなく碑。

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二葉亭四迷の経歴

二葉亭 四迷、1864年4月4日(元治元年2月28日) – 1909年(明治42年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。本名、長谷川 辰之助(はせがわ たつのすけ)。

筆名の由来は、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによる。

文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である(『予が半生の懺悔』)。長谷川 二葉亭(はせがわ ふたばてい)とも呼ばれる。別の号に冷々亭主人、杏雨。江戸市ヶ谷生れ。

彼の自筆履歴書によると、1883年2月1日から1885年12月25日まで、当時の専修学校(現在の専修大学)で学び、卒業した。また、東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科入学後、同科が改組されてできた東京商業学校(現一橋大学)第三部露語科を1886年1月に中退。

坪内逍遥と交流を結び、その勧めで評論『小説総論』を発表。1887年~1891年の間に出された写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖となった。

また、ロシア文学の翻訳も多くてがけ、ツルゲーネフの「あひゞき」「めぐりあひ」は特に有名。自然主義作家へ大きな影響を与えた。

後に『其面影』『平凡』を書いたが、1909年、ロシア赴任からの帰国途中、ベンガル湾上で客死した。

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下の写真は、【蚊取り線香、キンチョールで有名な大日本除虫菊の2代目社長の墓】シンガポールの日本人墓地には
著名な方々の墓や碑があります。
日本人皆、いや世界の多くの人々がしる蚊取り線香を発明した大日本除虫菊創業者(キンチョールでも有名)・上山栄一郎氏の長男で2代目社長の
上山英之助氏の墓があります。

上山家は和歌山の蜜柑農家でしたが、日本でも有数の蜜柑農家だったようで豪農の出です。

昭和5年に創業者である父の跡をついだ
上山英之助氏。

昭和17年に日本軍の属託として昭南島(シンガポール)に営業所を開設。
同年、インドネシアのスマトラ島で除虫菊の栽培を
おこなうためにシンガポールのセンバワン飛行場を離陸直後に搭乗機が墜落し亡くなりました。

大阪の土佐堀に本社がある大日本除虫菊。あえて上場せずいる会社(同族経営)ですが、絶大なブランド力を誇る会社です。

多くの方々が蚊取り線香やキンチョールのお世話に
なっていると思います。
しかし、蚊やゴキブリ達からすると
嫌な会社になるわけですがWW

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下の写真は【シンガポールの日本人墓地にある南方軍総司令官で陸軍大将の寺内寿一元帥のお墓】

長州閥の巨頭
第18第内閣総理大臣で陸軍大将元帥であった
寺内正毅の長男として生まれ、陸軍士官学校を卒業し
陸軍軍人に。
日露戦争に出征。
昭和11年の広田内閣時に陸軍大臣に就任。

昭和16年11月、大東亜戦争開戦前に
南方軍総司令官に就任。

終戦時は日本の占領下にあった
ベトナムのサイゴンにいたのですが、
ポツダム宣言受諾し、終戦後に
サイゴン郊外で病に倒れました。

英国軍マウントバッテン将軍の配慮で
マレーシアのジョホールバル州のレンガムにある
ヒギンス氏別邸にて療養。

病気のため日本軍の降伏式に参加できず
板垣征四郎大将が代理出席。
昭和21年、マレーシアのレンガムにて脳溢血で
亡くなりました。

マウントバッテン将軍の支持のもと
遺骨は、軍刀やその他の遺留品とともに
東京の遺族のもとに送られ、この墓には
遺髪や、襟章、爪、肩章などが納められています。

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【19世紀後半、日本から娼婦として海外に出た「からゆき」さんのお墓が】

明治時代が開けて日本が近代化が図られる中、
主に東アジアや東南アジアに娼婦として出稼ぎにいった女性がいました。

それら娼婦の方々は、主に長崎県の島原半島や
天草四朗で有名な熊本県の天草諸島出身の女性でした。他にも西日本を中心に娼婦として海外に出稼ぎにでたわけですが、多くは農村(小作農)や漁村の娘達、もしくは江戸時代にエタと呼ばれた被差別部落民の娘達でした。

家が貧しいがゆえに家を助けるために、
もしくは少数ながらも親に
身売りされた女性もいたようです。
東アジアや東南アジアには娼館(今でいう売春宿)
があり、欧米植民地であったために主には
客はそれら欧米白人が顧客となっていたのです。

欧米軍隊の強い希望があった、
シンガポール、支那大陸、香港、
フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどです。

娼館へと橋渡ししたのは嬪夫と呼ばれた
斡旋業者・女衒です。

明治時代終わりに最盛期を向かえ、
国際的非難に加え、
国内の「国家の恥」という非難が増えた事により、
英領マラヤ(マレーシア、シンガポール)の
日本領事館は1920年に日本人娼婦の追放を宣言し、
やがて海外における日本人娼館は姿を消していきました。

多くの日本人娼婦は日本に帰国する中、
現地に残った女性もいます。

そのうちの1人が明治32年(1899)に
広島県のある被差別部落に生まれた善道キクヨ氏です。
マレーシア、シンガポールで働き、
後にインド系男性と結婚した彼女ですが、
戦後、マレー国籍を取得。
昭和48年に一時帰国。帰化申請し、日本人に戻りました。

からゆきさんのお墓には
明確な名前が入っていない墓石が多いですが、
別の場所に木墓で建てられて
朽ち果てていたのを哀れんだ
シンガポールの共済会(現在の日本人会)が
ここに移設して墓石を建てたのです。

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シンガポール・夜のライトアップされた幻想的なマーライオン

I visited Merlion park and enjoyed the night view there.
再びマーライオン公園に。今回で5回目のシンガポールですが初めての夜のマーライオンです。
夜になるとライトアップされ幻想的な音楽が流れ、光と音のショーを楽しめます。
マリーナベイサンズの夜景とともに。夜景を堪能できる場所です。

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別アングルからの撮影
ラフルズプレイズの高層ビル群とともに

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2002年に独立した東ティモールへの渡航計画

I`m planning to go to East Timor and checking the airfare. 2002年に独立した東ティモール行きの航空券をホームページから検索しています。
タイから東ティモールまでは直行便が出ていないです。バンコクからは2つの行き方があります。

1つは、シンガポールまで南下(空路だけでなく陸路でも)し、シンガポールからティモール航空利用。
シンガポールのチャンギ空港から直行便がでています。
ホームページから調べてますが、550ドルか。シンガポールドルならいいのですが、よくみると米ドル。
日本円で63000円程。少し値が張ります。

2つ目に、インドネシアのバリ島まで行き(航空券代金はTGで35000円~40000円)、そこから2つの航空会社が東ティモールに便を飛ばしている(2万円程)

料金的にはそんなに大差がないです。
バリ島は一回訪問しましたが、そこまで魅力を感じなかったのですが、バンコクから南下し、シンガポールから往復してもいいと思っています。

タイ南部のビーチも9か月ぶりに訪問したいのですが、飛行機か電車で南下。タイ南部のビーチを楽しみ、そこからマレーシアに5年ぶりの入国。
マレーシアからシンガポールまでは陸路で移動し、シンガポールにしばらく滞在しシンガポールから往復。

シンガポールまでは空路でいってもいいですが。

シンガポールにいく一つの懸念は、カジノがあることです。ブルガリアでは36000円の儲けでしたが、6年くらい前にいったときに、10万以上損した経験があるからです。シンガポールにいってもカジノにはいってはいけませんね。(ブラックジャックでの勝率は高いですので、スロットに手を出さずにブラックジャックに専念するのもある)

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平成29年(2017年)元旦!新年のご挨拶&今年の活動事前報告!中東、アフリカ、中南米へ!激動の世界(国際)情勢!

平成29年新年明けましておめでとうございます。

海外からは今まで通り現地での状況を生発信していきます。これから中東、アフリカ、中南米、太平洋島嶼国等に潜入します。現地より発信していきます。

現在63か国訪問しまし­たが、残り40か国以上訪問し渡航歴計100か国以上になるように周ります。今回で世界1周を完結します。
その後、­日本1周(現在42都道府県訪問済み)

世界においては、これから行く国々は中東、アフリカ、中南米、ニューギニア、ソロモン­等の先の大戦の激戦地を周ります。(アジア、欧州、オセアニアは行ってない国を訪問予定。)

今まで訪問した国々は安全な国々が多く、これから周る国は危険な国ばかりで、命を落と­す可能性は十分ございます。単身で乗り込みますし。
その時は、それも天命。その死を受け入れます。(長生きす­る願望は持ち合わせておりません。)
かつて我々の先人が異国の地で日本のために尽力し亡くなられた事を思うと。
どうか、いずれかの地で私が命を落とす結果になろうと、あんな所にいったから、自業自得とは言わないでください。
今の日本人には覚悟がありません。昔の日本人は命を投げ捨ててでも国のために尽力しました。今の日本人には覚悟をもって行動してほしいものです。

もちろん、私は、普通の凡人ではなく、玄人、プロですので的確な危険回避はしますし、危機管理能力を存分に発揮していく所存です。
(飛行機、鉄道、バスの事故だけは防ぎようがありませんが)

現地にて今までのように写真と動画撮影をして、現地よりFBやユーチューブ等でご紹介­させていただきます。

日本は素晴らしい国、先の大戦においての日本が戦ったおかげで、多くの国々が勇気と感­銘を受け、独立したという真実を。

他に、海外日本人墓地慰霊、先の大戦の激戦地訪問、日本関連物発見、海外にいる日系人­や組織訪問。さらに視野や価値観を広め、親日国家を増やす活動等もしていく所存です。
どうぞ宜しくお願い致します。

これから行く予定の国は下記です。
★アジア★
5.ブータン 6.東ティモール 7.北朝鮮??(不確定)

★欧州★
8.イギリス(再訪) 9.アイスランド 11.イタリア

★北米★
12.アメリカ(再訪) 13.カナダ

★中南米★
14.メキシコ 15.ベリーズ 16、グアテマラ 17.エルサルバドル 18.ホンジュラス ニカラグラ 19.コスタリカ 20.パナマ 21.キューバ 22.ハイチ 23.ジャマイカ 24.ドミニカ
25.トリニダードドバコ 26.コロンビア 27.エクアドル 28.ペルー 29.チリ 30.ボリビア 31.パラグアイ 32.ウルグアイ 33.ブラジル 34.ベネズエラ 35.ガイアナ 36.スリナム

★オセアニア★
37.オーストラリア(再訪) 38.ニュージーランド 39.パプアニューギニア

★太平洋島嶼国★
40.フィジー(再訪) 41.トンガ 42.サモア 43.ソロモン諸島 44.バヌアツ 45.ツバル 46.キリバス 47.マーシャル諸島 48.ミクロネシア連邦

★中東★
49.イラン 50.クウェート 51.イラク 52.サウジアラビア
53.カタール 54.イスラエル 55.オマーン 56.イエメン 57.オマーン

★アフリカ★
58.エジプト 59.リビア 60.チュニジア 61.ケニア 62.南アフリカ 63.マダガスカル 64.ナミビア 65.ボツワナ 66.ジンバブエ

★中央アジア★
67.カザフスタン 68.ウズベキスタン 69.トルクメニスタン 70.キルギス

★ロシア・CIS★
71.ロシア 72.ウクライナ 73.ベラルーシ

概要ですので、訪問やめる国もあれば、ここには載っていなくても訪問する国はあります。(ご了承くださいませ)

単身で乗り込み、写真、動画双方を記録としてとります。ネット普及により全世界より発信できるようになりましたが、世界各地より現地より生の情報を発信させていただきます。

皆さんも、もし時間に余裕があるのであれば、数か国でもご一緒できればと思います。

慰霊の旅に関しても、パラオと同じように同行者を募ろうかと考えております。(フェイスブック内においても)
皆さんも、時間が合えば、一緒に渡航できればと思っております。
当方、海外在住歴は留学、仕事等で計4か国6年の海外居住歴、大学卒業後、東京の旅行会社にて勤務、海外支店でも働き、現地にて犯罪の被害に遭われた顧客の擁護、手助けもしておりました。(ガイド業も兼任)危機管理能力、危険回避能力もプロです。

旅行手配業務も従事、航空券、ホテル、鉄道、オプショナルツアー手配の仕事もしてきたのでそこらへんも慣れています。

2年間の豪国留学において英語力習得(帰国後10年なので、かなり英語力は落ちていますが)、外国人との交渉、折衝もなれております。
各国の文化、宗教、思想、歴史等も熟知しており、一応、いろんな意味で皆さんをご案内出来ると思います。(護衛としても)

今まで訪問した国は下記です。
1.ネパール(カトマンズ、チトワン、ポカラ)
2.タイ(バンコク、プーケット、パタヤ、サメット,ホアヒン,チェンマイ、スコタイ、カンチャナブリ,ランタ島、ハジャイ 、サトゥーン、クラビ、ランタ島、サトゥーン、ハジャイ)
3.韓国(インチョン、ソウル)
4.シンガポール
5.中国(北京)
6.カンボジア(シェムリアップ)
7.オーストラリアは2年間留学(ブリスベン、ゴールドコースト、ケアンズ、ダーウィン、シドニー、メルボルン、ロックハンプトン、サンシャインコースト、マッカイ、タウンズビル、リズモア、トゥーウィードヘッズ) 8.ハワイ(ホノルル、ノースショア)
9.ノルウェー(オスロ、トロムセ)
10.デンマーク(コペンハーゲン)
11.オーストリア(ウィーン、ザルツブルグ、ハルシュタット)
12.スロバキア(ブラティスラバ)
13.イタリア(ローマ、ミラノ、フィレンツェ、ベニス、ナポリ、ボローニャ、カプリ島、リミニ、ソレント)
14.バチカン市国
15.スペイン(バルセロナ、グラナダ、マラガ、アルへシラス、タリファ、マドリッド)
16.スイス(チューリッヒ、ジュネーブ)
17. ドイツ(ミュンヘン、ベルリン、ケルン、フライジング、フュッセン、フランクフルト、アウグスブルク)
18.オランダ(アムステルダム)、
19.ベルギー(ブリュッセル)
20.ルクセンブルク
21.フランス(パリ、ニース、カンヌ、モンペリエ、レンヌ、シャルル、モンサンミッシェル)
22. イギリス(ロンドン、バース、ウィンザー)
23.フィジー(フィジー仕事で駐在1年 本島のほとんどの場所+西部の多くの離島訪問)
24.ラオス(ビエンチャン、ルアンパパン、バンビエン)
25.バングラデシュ(ダッカ)
26.ブルネイ
27.スリランカ(コロンボ、キャンディ、ビーチリゾート)
28.インドネシア(バリ島)
29.ミャンマー(ヤンゴン)
30.フィリピン(マニラ)
31.ベトナム(仕事で駐在 ホーチミン、ハノイ、ダナン、ホイアン、ニャチャン、ハノイ、ハロン湾、ミト、ムイネー、ファンティエン)
32. マレーシア(クアラルンプール、ペナン、ランカウイ)
33.アイルランド(ダブリン、コーク、リムリック、ゴールウェイ等)
34.スウェーデン(ストックホルム、ヨーテボリ)
35.フィンランド(ヘルシンキ、タンペレ、ロバ二エミ、トゥルク、ナーンタリ)
36.エストニア(タリン)
37.ラトヴィア(リーガ)
38.リトアニア(ビリニュス、カウナス、トラカイ)
39. ポーランド(ワルシャワ、クラクフ)
40. チェコ(プラハ、チェスキークロムノフ)
41.リヒテンシュタイン(ファドーツ)
42.ハンガリー(ブダペスト)
43.ルーマニア(ブカレスト)
44.ブルガリア(ソフィア、プロヴディフ、カザンラク、カルロヴォ、ヒサリャ)
45.ギリシャ(アテネ、テッサロニキ)
46.マケドニア(スコピエ)
47.ボツニア
48.スロベニア(リュブリャーナ、ブレッド、ピラン)
49.クロアチア(ザグレブ、プリトヴィッセ、ドブロクニク、ポレチュ)
50.モナコ
51. パラオ
52. セルビア(ベオグラード)
53.コソボ(プリズレン、ぺヤ、プリシュティーナ)
54.アルバニア(ティラナ、デュラス)
55.モンテネグロ(ポトゴリツァ、コトル、フドヴァ)
56.サンマリノ
57.アンドラ
58.モロッコ(タンジェ)
59.ポルトガル(リスボン、ポルト)
60.マルタ共和国
61.インド(ムンバイ、ゴア、コーチン、ムナール、チェンナイ、バラナシ、デリー、アーグーラー、アーメダバード)
62.モンゴル(ウランバートル、テレルジ)
63.台湾(台北、台中、高雄、嘉義、台南、台東、花蓮、新北)

とにかく海外からは今まで通り現地での状況を生発信していきます。これから中東、アフリカ、中南米、太平洋島嶼国等に潜入します。現地より発信していきます。

東南アジア、南アジアで流通するリキシャ!日本由来の○○車が由来?世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第4話!

東南アジア、南アジアで流通するリキシャ!日本由来の○○車が由来?世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第3話!

日本の人力車を基にしたリキシャ(力車)。

【人力車とは?】

最近の若い方の中には、人力車を知らない方がいらっしゃるかもしれません。人力車とは、読んで字のごとく人を輸送するための人力による車です。横に並べた2つの輪を持つ車に乗客を乗せ、俥夫がひくものです。日本では、主に明治から大正・昭和初期に移動手段として用いられました。英語にRickshaw(リクショー)という単語がありますが、これは「リキシャ」を語源とする日本語由来の英単語です。

明治時代初めに日本で開発された人力車。人力車は、それまで使われていた駕籠より速かったのと、馬よりも人間の労働費のほうがはるかに安かったため、すぐに人気の交通手段になりました。

しかし、人力車は自動車の普及により、今では人力車は一部の観光地でしかみかけなくなりました。

(※下記写真は、東京の浅草で撮影)

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【日本の人力車が海外に普及】

明治時代に日本の人力車は、アジア各国(支那(中国)インド、東南アジア)、へ輸出されました。特にインドでは、明治40年代、年間1万台が日本から輸出され、人力車の人をとったリキシャ(呼びやすい)などの名前で国民に知られるようになりました。その後、自転車を取り付けたサイクルリクシャー、モーターをつけたオートリクシャーが製造されました。

インドでは1919年、コルカタ市が正式な交通手段として認定。
1972年以降、コルカタではいくつかの通りで人力車が禁止。
1982年、市当局は1万2000台以上の人力車を押収し、廃棄。
1992年の調査では、3万台以上の人力車が営業中で、そのうち6000台が違法車両や未許可車両。
新しい許可は1945年以降出されていない。

インドでは、しばしばリキシャはリクシャとも発音される。料金は1回の移動につき2、3ドル。
2005年8月に西ベンガル共産政府は完全に人力車を締め出す計画を発表したが、リクシャワーラーの抗議とストライキに終始しました。
2009年現在、かなりの数の人力車がコルカタにまだ残っており、約8000台、2万人の車夫がいるとされる。リクシャワーラーの組合は、人力車の禁止に強く反対しています。

 

※下記写真は、マレーシアのペナン島で撮影※

リキシャのマレー人の運転手と一緒に記念撮影。リキシャは日本の人力車が由来となっている言及していました。
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下記写真はバングラデシュの首都のダッカ訪問時に利用したリキシャ。自転車が前についており、運転手が足で漕ぎます。そのため人力車よりも速度は速いです。ダッカでは、下記のリキシャで5日間行動しました。乗り心地はよく、装飾も派手にされてり、まるで貴族になった気分になれます。

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他にオートリキシャ(リクシャ)と呼ばれる三輪車がインドやスリランカなどの南インド、タイなどの東南アジアで普及しています。タイではオートリキシャ(三輪車)をトゥクトゥクと呼んでいます。観光客にも馴染みが深い乗り物でです。モーターがついており、サイクルリキシャよりもさらに速度が速く遠出も出来ます。かつては、日本でもオートリキシャ(三輪車)は日本でも走っていたのですが、四輪自動車普及により、今ではみかけなくなりました。

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日本の文化が世界に広まっているのです。世界各地を渡り歩き知った真実です。日本にも外国からの文化が多く入ってきていますが、他方において、日本の文化や日本関連物が世界に出て、浸透しているのです。

【文章&写真】

〚略歴〛タイ⑬

国際ジャーナリスト
大川原 明(おおかわら あきら)
昭和五十四年(一九七九年)九月
静岡県生まれ
専修大学経営学部経営学科卒
大学卒業後、新卒で大手旅行会社入社、退職後、世界各地を調査渡航。
世界六〇か国訪問。今年中に百か国突破予定。
海外在住歴は留学、仕事で長期4か国計6年
世界一周後、日本一周(現在、四一都道府県訪問済み)国内外において、写真と動画双方にて撮影。証拠撮り。
※写真は全て、私自身が、現地調査によって撮影してきたものです。

 

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大川原 明(オオカワラ アキラ)

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【世界各国の治安】東南アジア・フィリピンの治安はどうなのか?

東南アジアのフィリピン。ここは昔から治安が悪い事でしられております。実際にはどう­なのか?フィリピンはタイと同じく日本国内で犯罪を犯した犯罪人の逃亡先としても知ら­れております。実際には、裏ルートがあるのですが。
今回は、世界の治安。フィリピンの治安に関して言及!