2回目のシンガポール訪問の際に セント-サ島に新しく出来たユニバーサルスタジオ・シンガポールを訪問した。アメリカ地区、アフリカ地区、古代地区、エジプト地区等に分かれていた。広くはなかったがいくつか乗り物に乗ったり、ショーを見たりして楽しんだ。
2回目のシンガポール訪問の際に セント-サ島に新しく出来たユニバーサルスタジオ・シンガポールを訪問した。アメリカ地区、アフリカ地区、古代地区、エジプト地区等に分かれていた。広くはなかったがいくつか乗り物に乗ったり、ショーを見たりして楽しんだ。
タイはかつて、1年3か月仕事で駐在した場所である。週に2~3日はマッサージ屋でタイマッサージやフットマッサージを受けていた。前回、タイを再訪時に以前に住んでいたBTSプロンポン駅近くソイ26のマッサージ屋を久しぶりに訪れ、フットマッサージを受けた。
フットマッサージは基本的に1時間200THB~300THB(チップは別途)、タイマッサージもほぼ同料金である。タイガーバームを利用し、足の疲れもとれた。
フィリピンのマニラを訪問時にパサイ市内にある日系のホテルのネットワールドホテルに宿泊した。ここは日系のホテルだけあり、1回に日本食屋(2階にもレストラン&バーあり)。2階、3階にカジノ、5階にサウナ、ジャグジー、マッサージあり、室内のアメニティー揃い、日本人、日本語堪能スタッフが多くおり、近くにはカラオケスナックも多くありお薦めのホテルである。1階のカジノでスロットしたが損した。
<iframe width=”480″ height=”270″ src=”https://www.youtube.com/embed/3oQVGbfNqO4″ frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>
フィリピンのマニラを訪問時、数多くの場所を訪問。エルミタ地区から徒歩で散策。パシッグ川を渡ったらトンド地区です。川の河口。北側です。
マニラ市内には数多くのスラムがありますが、その多くがこのトンド地区にあります。
スモーキー・マウンテンの名で知られるごみの最終処分場もこの地区に存在していました。
この国では観光客を狙った睡眠薬強盗が流行っています。
飲み物を飲まないか?とすすめられるのですが(睡眠薬入り)、それを飲むと睡眠薬により、眠りにつきます。
その後、貴重品等奪われ、身ぐるみはがされるのです。日本のパスポートは裏で高値で取引きされていますので、パスポートはホテルの金婚いれておきましょう。
そして多額の現金を持たない。
飲み物をすすめられても飲まない。まず、腕っ節に自身のないでのあれば、スラム街に近づかない事が必要です。
間違って入ってしまう事もありますので、その時は、速やかに離れるようにしましょう。
ベトナム・ホーチミンンのバックパッカーがたまるデタム地区。
夜ともなると多くのバーやクラブがオープン。
最近、ホーチミン市内にはクラブやバーが多く出来ましたが、デタム地区は古くからあるナイトライフが楽しめる地区です。
ブルネイの首都のバンダルスリブガワンにあるオールドモスク。
市内中心に泊まりましたが、市街地にあるオールドモスク(スルタン・オマール・アリ・サイフディン・モスク)を訪れました。
昼も良いが夜のライトアップされたモスクが格別に綺麗で見とれてしまった。
スピーカーから流れるアッラーの掛け声と共に異国情緒を楽しみました。
このモスクは1958年に完成した2階建て、高さは77メートル、幅26メートルのモスクであります。
その総工費はなんと500万USDだそうです。
曜日や時間帯によってはイスラム教徒以外でも中に入れます。
ブルネイ王国!ブルネイと聞くとどこ??という日本人が多いかもしれない。あまり日本人にとって馴染みがないところかもしれない。
しかし、意外にもこの国と日本は密接な関係にあります。
この国は立憲君主制で王様がいるがブルネイ王室と日本の皇室は非常に仲が良いです。
そして貿易面になると、この国でとれる石油や天然ガスのほとんどを日本が輸入しています。
ブルネイにおいては8割~9割が日本車であります。トヨタ、日産、ホンダ、三菱、マツダ、スズキ、ダイハツ、いすゞ等の車を見る事が出来ました。
電化製品も日本製が多かったです。
ソニーやパナソニック、ダイキン等。ゲームセンターも訪れたがほとんどが日本製でした。
ブルネイ北部は昔から大陸、インド、アラビアを結ぶ貿易ルートの寄港地であった。15世紀には当時の国王がイスラム教に改宗し(アラブの人々との交流が起因)、イスラムを人々に布教する事により、国土を広め、最盛期にはボルネオ島全域とフィリピン・ミンダナオ島まで支配しました。
16世紀以降 ポルトガルやスペイン等の欧州諸国と交流するようになるが、フィリピンを植民地化したスペインとの争いにより18世紀にはほとんどを占領されてしまいます。
1888年にブルネイはイギリスの保護領となる。太平洋戦争中に日本軍が1942年~終戦まで占領した。日本軍が駐留し、多くの日本人がここに住んでいました。
ブルネイ港は軍港としても機能し、連合艦隊の主力が停泊したこともあった。
有名な所では、1944年のレイテ沖海戦における栗田艦隊はブルネイから出撃しました。
日本人にとっても感慨深い場所である。マレーシアと同じように主要民族派マレー人、そして中華系、インド系も多く住みます。
個人所得税はなく医療費、教育費は無料、電気、水道等の公共料金も安い。そして物価は安い。
治安は東南アジアでもシンガポールと同じように非常に良い国である。びっくりしたのが、横断歩道で待っていたら多くの車が止まってくれるではないか。日本やシンガポール以外のアジア諸国ではあまり見られない光景である。それだけ心が豊かでゆとりがあるのだろうか。
人口は40万人弱で三重県ほどの大きさで、そこまで見所があるわけではないので、2泊~3泊でも充分周れる。周りのミリやコタキナバルへバスや飛行機が出ており、拠点としても使える。
ミャンマーのヤンゴンをの街並み。現地ルポ動画。市街地散策、仏教系寺院であるスーレーパヤー、悪徳裏両替商の客引きとの交流、買春斡旋者との交流、日系のサクラタワー等を撮影。
ご存じの通り、ミャンマーはかつてビルマと呼ばれた国です。ヤンゴンはかつてラングーンと呼ばれ、日本人にも馴染み深いくでした。
先の大戦では、一時期、日本は、ビルマを占領。多くの日本人が駐留した場所です。
ヤンゴン郊外に日本人墓地があるのですが、慰霊訪問もさせていただきました。
ヤンゴン市街地は隈なく歩きましたが、昭和時代の日本車が数多く走っており、懐かしさを覚えたものです。
ヤンゴンの人口は市域を合わせて410万人程。それゆえ街中は活気に満ちております。
日本人墓地に行く際に、軟禁されていたスーチーさんの家も通りました。
戦前~戦中、日本に留学していたビルマ人が多くおりましたが(スーチーさんの父親など)
それらが、戦後のビルマをつくりあげました。
戦後は、軍事政権のもと、中国共産党と強い結びつきがありました。
しかし、ビルマの人々は、心の底では日本と仲良くしたいという気持ちは強かったのです。
ミャンマーはこれから、民主化が進んでいくと思いますが、これから日本との結びつきも
強くなっていきます。
法改正等が進んでいくと思いますが、私が、訪問した時に、ホテルで会社経営者の日本人と
何人かと会いましたが、日本の資本もこれからさらに進出しやすくなると思います。
ンガポールには2つのカジノがありますが、ひとつは、マリーナベイサンズのカジノ。もう一つは、最初に出来たセントーサ島にあるセントーサカジノです。
ブラックジャック、ポーカー、バカラ、ルーレット、スロットマシーン等が楽しめます。スロットマシンはジャックポットつきのものがほとんどです。
食事も安く食べれますし、飲み物やお菓子は無料で配布してくれます。
生バンドの演奏もたまにやるので、入るだけでも面白いです。
入場料は無料。しかし、パスポート提示が必要です。
ラオスを訪問時に発見した日本の消防車。
日本は世界の国々にODA援助をしておりますが、その中の1国であるラオス。かつて、ラオスを日本が進駐し、占領した国でもあります。
日本人にとっても馴染み深い国であります。
ラオスで訪問した国は、ビエンチャン、バンビエン、ルアンプラバンです。
山々に囲まれた素晴らしい自然を堪能しました。
10年くらい前から日本からの観光客も増えているベトナム。ベトナムにはかつて仕事で駐在しておりましたので、友人や知り合いがおります。
ガールズバーは日本なんかでも増えておりますが、ベトナムにもあります。
スナックとは違い席料はとられず、飲み物代のみ。ただし、女の子は飲み物をせがんできますので、女の子の飲み物代は出さねばなりません。ベトナム語が出来なければ、英語での会話。
ただ純粋に、飲みと女の子ととの交流を楽しむところです。現地在住であれば、番号を聞き出し、別途で食事したりも出来るのですが。
アキーラさんユーチューブチャンネル
憂国の旅人アキーラ旅Travel Channel1
は下記
http://www.youtube.com/user/Yuukokunoshi1
新チャンネル
憂国の旅人アキーラ旅Travel Channel2は下記
https://www.youtube.com/channel/UCU73nZx4SBPzHfrdUZxBWlA
別Youtubeチャンネル
ジャーナリスト大川原 明は下記
https://www.youtube.com/channel/UCEfs6mugbMR65m4RmF1hXIw