国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

海外治安情報

アメリカ・ロサンゼルス・ダウンタウン7thストリート!徒歩散策!

アメリカ・ロサンゼルス・ダウンタウン7thストリート!徒歩散策!ジャーナリスト大川原 明!現地ルポ!にひひ

アメリカのロサンゼルスのダウンタウンを徒歩で散策してみた。夜はギャングや浮浪者が­­たまり危ないみたいなので注意が必要であります。
7thストリート沿いのホテルに宿泊。昼夜ともにダウンタウンを徘徊してみました。
訪れたのはアメリカの西海岸最大の都市であるロサンゼルスとその周辺の都市である。こ­­の辺りは気候が暖かく、ビーチもあり雰囲気がよかったです。得意げ
日系人も多く、ヒスパニックも­多かったです。
Down-town,7th-Street,Los-angels.USA

ゴミとマフィアの街・イタリア・ナポリ

ナポリ駅周辺の路地裏。ゴミだらけです。危ない臭いを嗅ぎ取る嗅覚を諜報員としてプロですので、この通りから危ない匂いを20〜30m手前でかぎとりました。プンプン匂います。この路地からさらに路地裏に入ると。写真を拡大して奥をみてみるとわかります。
ゴミだらけ、偽ブランド販売、きな臭い輩がタムロ。しかし、本当にゴミだらけの町です。ナポリは。

 

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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
欧州 イタリア・ナポリにて 8月26日撮影

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イタリア・ローマ・ナヴォーナ広場

ローマ市内のナヴォーナ広場。素晴らしい彫刻が多くあります。
2年前にも来たのですが、その時は、後ろに気配を感じたと思ったらスリがバッグをこじ開けようとしていたとこでした。
顔があったら逃げていきましたが。
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
欧州 イタリア・ローマ・テルミニ駅にて 8月23日撮影

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クロアチア・ドブロブニク夜の旧港

クロアチア・ドブロブニクの旧港。
夜の雰囲気も最高です☆旧市街はたまに偽警官が登場し、日本人観光客が騙されるという被害がありますが、
それ以外は、治安がよいです。深夜に道を歩いていても問題ありません。

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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
クロアチアのドブロブニクにて 8月19日撮影

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モンテネグロ・ポドゴリツァ市内散策

モンテネグロ・ポドゴリツァ市内を散策。
治安は、旧ユーゴスラビア内の中で良い国ですので
そんなに問題がありません。
かつてはセルビア・モンテネグロとよばれていて
セルビアと同じ国でしたが、2006年に分離独立。

時計塔

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市内の公園
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市街地歩行者天国
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのペヤにて 8月16日撮影

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コソボ・北西部中心都市・ペヤ訪問!

アルバニアの首都のティラナにより、そこからコソボに戻り、コソボ北西部の町・ペヤにいます。前にお見せしたペヤビールの本場です。ここまで来るのに時間がかかりました。
ペヤはセルビア正教会の総主教座がおかれた特別な場所であり、市内と近郊に2つの世界遺産の修道院があります。セルビア人がここにこだわるのはわけがあります。
ホテルは駅前のホテルをとりました。ホテル部屋(5階)からの景色です。駅前ロータリーです。近郊には山があり風光明媚な町でもあります。セルビアとアルバニア双方の国境から30キロほど、モンテネグロから20キロ程の距離にある国境地帯の街です。
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのペヤにて 8月14日撮影

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ベトナム人の女の子紹介(買春斡旋)①ベトナム・ホーチミン・ドンコイ通り!

2013年6月 ベトナムのホーチミンを2年ぶりに訪れ、そして1週間ほど滞在した。2009年、出向­­社員として赴任した場所である。久しぶりにバイクで市内中心のグエンフェ通り~デタ­ム­地区まで夜のドライブをしてみた。ドンコイ通りも訪れ、久しぶりに歩いてみた。こ­こは­有名なシェラトンホテルがある。多くの雑貨屋がこの通りにある。ベトナム戦争終­結前ま­ではサイゴンの都市名で親しまれていた。
ドンコイ通りは、雑貨屋が多くある事で有名な通り。シェラトンホテルやカラベルホテル­もあり、日本人観光客が買い物をする通りでもあります。
そんな中、買春を斡旋する女性が日本語で話しかけてきました。
共産社会主義国では買春、売春は厳しいのですが、中国と同じく買春業者と共産党政府役­人との賄賂横行。もしくはきづかれないように営業もしているのが実情です。(共産社会­主義国家では共産党員の職権乱用や、賄賂横行しているのが実情)
ベトナムにおいても買春はおこなわれており、如何わしいマッサージ屋などで本番行為が­おこなわれていたりします。目
中には北朝鮮の女性が買春をおこなっているという情報も某情報筋からいただきました。
いずれにしろ、この国においても、売春、買春は禁止であることを肝にめいじてください­。
それとともに、エイズ患者もベトナムには多いという事実がありますので、節度ある行動­がのぞまれます。
念のためにいっておきますが、私は健全な人間ですので、調査のために聞き取り調査等をしておりますので、買春はしておりませんのであしからず

得意げ

アメリカ・グランドキャニオンで邦人男性死亡!熱中症?海外旅行で気を付けなければならない点? 

グ中に死亡した。同国立公園の広報担当者が19日、明らかにし­た。検視当局などが死因を調査中だが、熱中症が原因とみられる。
 男性は、コロラド川が流れる渓谷を下るハイキングにグループで参加し、渓谷から戻る途­中に倒れた。通報を受けた当局者が到着した時には、既に死亡していた。在ロサンゼルス­日本総領事館が、男性の身元確認作業を急いでいる。
 当時、現地の気温は43度を超え、高温注意報が出ていた。グランドキャニオンでの死亡­事故は、今年に入り5件目。 

米国・グランドキャニオンでハイキング中の邦人男性が亡くなりました。ハイキング中の­熱中症である可能性が高いとのことです。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
現地の気温は43度だったようです。
無理のないように行動し、熱中症対策をすることが必要です。

アルバニア・デュラス・名物シーフードリゾット堪能

アルバニアのビーチリゾートのデュラスは、アドリア海に面しており、漁港もあります。アドリア海で穫れた海の幸の料理も多いです。昼は、シーフードリゾットを食しました。
タコ、イカ、ムール海等が入っております。基本的に海沿いのホテルは、レストラン併設なので便利です。そして、ユーロ使用出来るとこが多いです。
さて、アルバニアですが、1990年に民主化され、1997年にネズミ講破綻に端を発した争乱やコソボ紛争などが原因で武器が多く出回っております。
ネズミ講破綻時に、国民の3分の1が財産を失った程の国です。しかし、それから17年がたち、徐々に経済は回復しているそうです。
ここよりも南部の海のほうが綺麗なのですが、時間の都合上、いけませんが、またいずれかに来れればと思っております。
しかし、アルバニア、ラテン諸国のイタリア、ギリシャ、スペイン等はあまりしっかり考えていませんね。経済破綻、危機の国々ばかりです。さすがです。気候もその要因の一つですね。

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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのプリズレンにて 8月11日撮影

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コソボ紛争の国・旧ユーゴスラビア・コソボの治安は?現地入国者が語る!

コソボ紛争の国・旧ユーゴスラビア・コソボの治安は?現地入国者が語る!旧ユーゴスラビアのコソボ平成26年(2014年)8月に旧ユーゴスラビア・セルビア­から平成20年(2008­年)に独立したコソボを訪問!首都のプリシュティーナ、南­西部中心都市であるプリズレ­ン、北西部中心都市のペヤの三都市を訪問。

プリシュナは、コソボの首都。2008年にセルビアからの独立を宣言したコソボ共和国­の首都と定められているが、セルビアはコソボ共和国の独立を認めておらず、コソボ・メ­トヒヤ自治州の州都としている。

近隣の都市としては、約95キロ北東のニシュ、約80キロ南のスコピエ(マケドニア共­和国の首都)などが挙げられる。1990年代のコソボ紛争で深刻な打撃を受け、現在も­復興の途にあります。

人口は十万人台と首都の割には非常に少ないが、これでもコソボでは最も人口の多い都市­であります。

第二次世界大戦後のユーゴスラビア社会主義連邦共和国を率いたヨシップ・ブロズ・チト­ーが1980年に死去すると、セルビア内で民族主義が高揚。

プリシュティナでは、経済不況や食糧不足でアルバニア人の暴動が頻発しました。

1989年、セルビアの大統領・スロボダン・ミロシェヴィッチが自治を制限、アルバニ­ア語の使用が制限されアルバニア系住民が多くの職場から排斥されると、コソボのユーゴ­スラビアからの分離を求める運動が激化されました。

イブラヒム・ルゴヴァに指導されたコソボ民主連盟が結成される。これに対してセルビア­政府は強硬策で臨みました。

1996年からはコソボ解放軍による武装闘争が開始されるが、プリシュティナは当初は­平穏でありました。

1999年3月、コソボ紛争が本格化すると、プリシュティナは戦場と化す。4月、NA­TOの空爆が開始されると、市内のあちこちで虐殺行為が展開された。多くの住民がマケ­ドニア共和国方面に脱出、その数は、アメリカ合衆国国務省の推定で1999年の5月だ­けで100,000人にのぼります。

コソボ紛争終結後は、40,000人いたセルビア人の多くがプリシュティナを離れたが­、市内に留まった者の多くは、今度はアルバニア系住民の報復に怯えることになり、20­09年にはプリシュティナから全てのセルビア系住民がいなくなった、と言われる。また­、紛争でロマ人も多くが市を離れた。国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)­の本部が置かれています。