国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

タイ

タイ・バンコク・高架電車BTS(1999年開業)

タイのバンコク バブル崩壊後のここ25年日本の経済が停滞もしくは落ち込んでいる中、タイをはじめとしたアジア各国はここ20年で急成長を遂げた。

 1999年にはバンコク市内に高架列車のBTS、2004年には地下鉄が開通。 その陰には日本のODAによる資金援助と技術援助がある。
BTSは値段も安く乗り心地も快適である。どの車両も日本の川崎重工製である。 バンコク市内の交通手段としてはタクシー、BTS、地下鉄(MRT)、バイクタクシー、トゥクトゥク等がある。
最近では路線も拡張され、通勤でBTSを使う人が増え、朝などは日本の大都市と同じように満員電車状態となる。

タイ・バンコク・宿で昼食をいただく

本日の昼飯は宿の女性従業員(いつもとは違う従業員)にご馳走になりました。(最近、ご馳走になってばかりだなW)
年末年始と飲み食いが続いていたので、ここ数日、昼飯を抜きにしていました。
日本からの依頼のやりとり(報告業務も)もしていて、朝から晩までPCに張り付いていますが、それを心配したようで昼食をいただきました。

左は筍と鶏肉入りのレッドカレー、真ん中はグリーンカレー味の料理、右は辛くない「もやし料理」です。
辛いのが苦手な人は無理だと思いますが、自分は辛いのが平気です。
美味しくいただきました。
辛いのは発汗作用があり、血流をよくするので自律神経を整える作用があります。

タイ・バンコク・ターミナル21!新年明けても未だに撤去しないクリスマスツリー


笑えるな!何故、クリスマスが終わっても、まだ、クリスマスツリーが飾られてる。この国らしいw
巨大なクリスマスツリーですが、新年明けた今でも健在ですWいつになったら・・
日本だとありえませんが、南国ですので適当ですW

アソーク駅近くターミナル21のクリスマスツリー。写真左の建物はシェラトンホテル、ツリー右の建物はウエスティンホテル。スターウッド系のホテルです。

タイ・バンコク・スワナプーム国際空港建設の際の日本のODA援助に対しての感謝の碑

親日国の中でも親日と呼ばれるタイ王国。
親日である理由は数多くありますが、そのうちの1つが日本からのODAによる資金と技術援助です。

バンコクの新しい空港である
スワナプーム国際空港。これは日本のODA援助(資金と技術双方)により
建設された空港です。

こういった日本の国際貢献が海外の人々の
対日感情を良くしているのは事実。

タイは戦後、日本政府が多額のODA援助
(資金と技術双方、日本が最大のODA援助国)
をし、タイの発展に貢献してきました。

道路、橋、下水道、建物、空港、地下鉄等。
これらにタイの人々は非常に感謝しており、
写真にあるような日本の協力によって
建てられたという事が分かる旨をプレートで
記載しています。

日本政府は今までにタイだけでなく
アジア各国、アフリカ、中東、中南米、
東欧、旧ユーゴ諸国、バルト三国等に
ODA援助をしてきました。
(ほとんどの国が日本が最大のODA供与国=ここ10年で援助額を落としているが)

日本の近隣の極一部の諸国をのぞいて日本の
援助、助力に対しての感謝の意を表するための
プレートを設置しています。

海外でのODA援助は日本にとっても利点があり、
対日感情がさらによくなることで、
外交に関しても優位に働き、
日本企業の海外進出、投資も入りやすく、
日本ののゼネコンが参入しやすく なっています。
ODAによる資金援助⇨日本のゼネコンにも金が落ちる

タイ・バンコク・スクンビット大通りソイ22のバービア街

バンコク市内・スクンビット大通りソイ22にあるバービアを久しぶりに訪問。バービアとは気軽に飲めるバー(日本でいうスナックみたいなものです)。
飲みとビリヤード、音楽鑑賞を楽しみました。
自分でユーチューブづたいに音楽が流せるので、トランス系やヒップホップ系、R&B系以外に好きなX-JAPANを流しました。

ちなみにX-JAPANは世界で人気を博してきましたが、タイでも絶大な人気を誇っていました。(今でも30~50くらいの人々に人気)

タイ・バンコク・ばんからラーメン

久しぶりに「ばんからラーメン」に!久しぶりにバンコクの『ばんからラーメン』に。バンコク市内、スクンビット大通りソイ39の店。
バンコク駐在時に週に3日は利用していた店です。

「ばんからラーメン」は東京の池袋に本店があり、国内にFC店を中心に展開しています。タイのバンコク以外に池袋(東口)、静岡県内の店舗を利用したことがあります。
とはいっても最近は健康を考えラーメンは月に2~3回程ですが。
(かつては、週に4日はラーメン、昼夜連続ラーメンで月に20~30杯はラーメン食べてましたが。国内外で訪れた店舗は500店舗以上)

自分がこっちにいた当時からいるタイ人従業員が1人いるのですが、自分の事を覚えてくれてます。久しぶりの再会です。
いつも注文方法がチャーシュー麺、大盛り、煮卵と海苔を追加、麺固め、味濃い目とするので注文方法まで覚えていてくれます。値段は日本とほぼ変わらず。

もう一つ店舗が市内にあるようですが、自分はいつもBTSプロンポン駅から近いスクンビット、ソイ39の店舗を利用しています。
海外では日本食人気が出てきているのですが、タイは経済発展とともにタイ人の需要も見込めるようになりました。

少子高齢化により国内飽和状態の外食産業は海外に目を向けて、積極的に海外進出をしているところが増えてきています。
周辺には手羽先で有名な世界の山ちゃんや名古屋に本社があるつけめんの「フジヤマGOGO」などもあります。

タイ・バンコク・高級スパ・ヘルスランド

アソーク駅近くのヘルスランドに。名前からして日本のファッションヘルスを連想させますが、純粋なマッサージ屋です。
90分1500バーツ《5300円くらい》とタイにしては高めですが、アロマの香りとオイル、熟練されたマッサージで癒されました。アロマ最高!高ぶった神経も休まる。

タイ・バンコクの北朝鮮政府直営レストラン潜入

正月、元旦は北朝鮮政府直営レストランに潜入調査!北朝鮮情勢は動きを見せていますが(詳細なことはいえませんが)、活発な動きをみせています。
此間は別店舗に調査潜入しましたが、今回は2年2か月ぶりにソイ26の店舗に。 北朝鮮本国から派遣された女性達との生の交流。
26の店舗は政治事情もあり、一時期、営業停止していたのですが。

基本的に北から派遣された女性の任務期間は4年〜5年。
彼女達はもちろん国の機密事項や重要事項は独裁監視国家(共産社会主義)であるためにもちろん、それらに関しては言及を避けます。
ここで女性はある程度の家柄と学歴を有し、容姿端麗、英語が堪能でないと派遣されません。(ほとんどの女性の出身地は平壌)
日本語教育を受けているコ達もいますので、多少の日本語が話せるコも。
基本的に私が彼女達と会話するときは英語になるのですが、色々と聞き出すようにしています。
自由がないので、バンコク以外からはあまり出ていないようです。
タイは好きか?という質問に対して、本国は寒くて、暑いから好きではないと。
日本に来た事があるか?と来た事がないとは分かりながらも
質問すると、少し動揺した顔をします。
スキー場が本国にあるようで、冬はスキーを楽しんでいたようです。(家柄がよくないとそれが出来ない北朝鮮ですが)
ここにいる女性は、選りすぐり選ばれているだけあり、容姿が端麗な女性が揃っています。

料理はブルコギ、サンチュ、ビビンパ、冷麺、チヂミ、キムチ、ビールなどを注文。
2人で利用して1人1300バーツ(現在のレートで4600円程)=調査のためですので北に援助したとは言わないでくださいねW

ここの店舗はカラオケルームを完備しており、追加1000バーツで北の女性をつけてカラオケが出来ます。(英語、北朝鮮、日本の歌)
今回は利用をしませんでしたが。

メニューに関しては、英語とタイ語、朝鮮語以外に、日本語の記載もあります。(しかし、日本語教育をうけた北朝鮮人が作成しているのか、変な日本語記載になっています)

北朝鮮がいつ暴発するか分からない状況下、北朝鮮による外貨獲得が活発になってきています。この裏には・・・。外貨獲得=
○○○○
北朝鮮の外貨獲得源は中国を経由した海産物や農作物などの輸出、麻薬など(それらにメスが)のほかに、日本国内同胞の送金(最近は厳しいが帰化や帰化2世が第三国経由で送金)北朝鮮人が国交のある国々に赴き、出稼ぎ外貨獲得。他に某国では娼婦として活動しているという情報もある。

北朝鮮政府は国交のある世界の国々に政府直営のレストランを設けています。
アジア各国、欧州内に数多くの北朝鮮直営レストランがあったのですが、北の拉致問題、核開発、金正男がマレーシアのKLの空港で暗殺されて以降、世界各地の北朝鮮レストランが閉鎖に追い込まれています。

そんな中、タイのバンコクにおいてはここ1年で2店舗増やして
合計3店舗の北朝鮮直営レストランがあります。(様々な情報筋からの情報で場所特定)
上記の理由から客は少ないので売り上げは低く
リピーターになってもらうべく、献身的なサービスをしていきますが。

タイ人も北朝鮮に拉致されている人々がおり、政府も警戒して圧力を加えていたのですが、ここ1年で2店舗増加。この背景にあるものは・・・・・。(これ以上は機密事項)
普通、タイ(他の多くの国々も)で事業をする際に、本国の雇用促進もあり、一定以上のタイ人を雇わなければならないのですが、ここにはタイ人従業員はいません。これは北とタイの政府の密約があり・・・・

今まで、タイ・バンコクの3店舗、バングラデシュのダッカの店舗、ベトナムのホーチミンの北朝鮮政府直営レストランを利用してきました。
昨年、ダッカで多くの日本人がIS系のテロリストに殺害されましたが、その地区は大使館などが固まり、外交官が多く住む高級住宅街であるグルシャン地区。現場となったレストランは、北のレストランから100メートル程。
この裏には・・・・

タイ・バンコク・オーストラリア人の子供との交流

宿にオージーのお母さんと娘がいるんですが、6歳の娘さんが無邪気で話しかけてきて、話し相手、遊び相手になっていますが非常に可愛らしい。
自分も年齢的にはこのくらいの娘がいてもおかしくない年齢です。
海外諜報活動に従事しているといつ何時、命を落とすかわかりません。
妻子は荷重になりますので、あえて独身をつらぬいている私です。

父親が仕事の関係でタイに赴任していた時に、タイで生まれた彼女。《ちょうど自分が赴任していた時か》
今は香港に移動したため、香港暮らし。
香港移住後もたまにタイにお母さんと来てるようです。

日本食、寿司が大好きで納豆も好きだと言ってます。女の子なんでオママゴト遊びをしました。
話し相手&遊び相手に。

白人は、大人になると微妙になる女性が多いですが
子供の時は非常に可愛いです。
本当に可愛いコでした。

お母さんは厳しいですが、愛情持って接しているのがよく分かるコです。

タイ・バンコク・バングラデシュ人との交流

【宿で仲良くなったバングラデシュ人バングラデシュ????????】
I made friends with a Bangladesh man in the same guest house. I visited Bangladesh 6yrs and 7months ago and miss Bangladesh.I hope that he will come to Japan in the future.
バングラデシュで思い出されるのは一昨年7月にダッカで起こったイスラム過激派によるグルシャン地区襲撃事件。死亡者 28人(民間人20人(イタリア人9人、日本人7人、インド人1人、アメリカ人1人、バングラデシュ人)、犯人6人、警察官2人)

私は、6年半年前にバングラデシュのダッカに渡航し調査。数多くの場所を写真と映像で撮影しました。テロの現場となったダッカの高級住宅街であるグルシャン地区も訪問。(各国大使館がたまる東京でいう青山みたいな場所)現場となったイタリアンレストランから100メートル程の距離にある北朝鮮政府直営レストランへも潜入調査。

他に1977年に日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件(人質の身代金として600万ドル(当時の為替レート〈1USD≒約266円〉で約16億円)と、日本で服役および勾留中の9名(奥平純三、城崎勉、大道寺あや子、浴田由紀子、泉水博、仁平映、植垣康博、知念功、大村寿雄)の釈放と日本赤軍への参加を要求し、これが拒否された場合、または回答が無い場合は人質を順次殺害すると警告)の現場となったダッカ旧空港を視察。

現地踏査において数多くのバングラデシュ人とは交流しました。
宗教は90パーセントがイスラム教、9パーセントがヒンドゥー教。1パーセントが仏教とキリスト教。これら全ての宗教施設を視察しました。

あのような凄惨な事件がおこったバングラデシュですが、基本的に国民の大半は日本に良い感情を持っている親日国の1つです。リキシャに乗って様々な場所を訪問、徒歩散策していると数多くのバングラデシュ人に手を振られたり、握手を求められたり、写真撮影を求められました。

バングラデシュ人がよく言及するのは
「日本は様々な分野で助けてくれている。ODAの援助による資金と技術援助双方で道路や建物を建設してくれ、ほとんどの国民は日本に感謝し、好きである」

イスラム教徒(主に中東)は十字軍の時代からの因縁でキリスト教を敵視する人々が非常に多い(欧州、シオニズム運動を展開し、イスラエル建国したユダヤ、それに助力するアメリカなど)
しかし、日本に対しての感情は非常に良いのです。しかし、イスラム過激派からすればアメリカのポチに見え、アメリカの下僕、仲間に見えてしまった結果が今回の結果です。

戦後の日本はアメリカ追従体勢、他国からみればアメリカのポチとみる人々も少なくありません。日本は真の独立国家としてアメリカの意向を伺うことなく
外交を発揮していかねば、日本が真の独立国家であるとはいえません。
(日本で保守派を称する人々をみると疑問符がつく人々ばかり。真の国士は非常に少ないのが実情)
戦後レジウムからの脱却とはすなわち、アメリカの圧力、意向を伺うことなく、日本独自で行動できるようになることです。(日本が中心となり世界を動かす必要がある)⇒もちろん、半島有事が緊迫化する現在は米国とは連携していかねばなりませんが。

海外長期4か国長期在住、66か国渡航、世界100か国以上数10万人の人々と
国際交流してきましたが、真実を見極める事が出来ます。