国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

旧ユーゴスラビア構成国

【世界遺産】旧ユーゴスラビア・モンテネグロ・コトルの絶景!ムオから!

【超お薦め世界遺産都市】現地実録新動画アップ。今回のお題は、【世界遺産】旧ユーゴスラビア・モンテネグロ・コトルの絶景!ムオから!World Heritage site ,Kotor,Montenegro

旧ユーゴスラビア・セルビアから分離独立したモン­­テネグロを訪問!
モンテネグロの世界遺産都市であるコトルを訪問。アドリア海沿いですが、位置している­­のは入り江の奥です。このような険しい岩山に囲まれております。この地形をいかし、­か­つて、背後の山に沿って城塞が築かれるなど、堅固な要塞都市として栄えました。
1979年に地震により多大な損害を受けましたが、ユネスコの復旧作業により、かつて­­の姿を取り戻しました。
宿泊場所は旧市街から1キロほどの距離で対岸にしましたが、旧市街からは遠いですが、­逆­に、対岸からの景色が美しくみれました。

【世界遺産】クロアチア・ドブロブニク(ドゥブロヴニク)旧市街・旧港

【世界遺産】クロアチア・ドブロブニク(ドゥブロヴニク)旧市街・旧港の釣り

世界遺産に認定されているクロアチア・ドゥブロヴニクの旧市街に面している旧港。雰囲気がよく是非、訪れていただきたい場所。海鮮料理を提供するレストランもあり、旧港の景色を堪能しながらの食事が出来るのでお薦めです。

クロアチア・ドブロブニク(ドゥブロヴニク)旧市街の絶景!

クロアチアの世界遺産都市であるドゥブロヴニク。外国人だけでなく、近年、日本人にも人気の観光名所です。
旧市街が主要な観光名所になりますが、旧市街内を散策。
城壁にのぼり、一周してみるとよいでしょう。

ケーブルカーでスルジ山という山に登る事ができますが
そこからの景色も抜群です。

私的にすごくお薦め都市であるドゥブロヴニクです。是非訪問してみてください。

マケドニア国名論争に終止符!? 国連仲介!ギリシャ政府と作業部会!


【マケドニアの国名論争に終止符!?】
旧ユーゴスラビア構成国のうちの
1つにマケドニア共和国があります。私は、過去に2回
マケドニア共和国を訪問しました。

「マケドニア」の国名を採用するマケドニア共和国に対し、隣国であるギリシャがマケドニアという地方がギリシャ国内にある事から、マケドニア共和国が旧ユーゴから
独立する際にマケドニアを国名にした事に
ギリシャ政府が抗議をしてきました。

両政府は今年に入り、
作業部会の設置を決めたほか、
国連による仲介交渉も再開します。
マケドニア共和国が国名を変えるものと
推測されます。

1回目のマケドニア渡航では
クロアチアの首都のザグレブから国際バスを
使い、マケドニアの首都のスコピエに。
写真はスコピエ市内にあるマケドニア大王の
ブロンズ像です。
マケドニアのスコピエを出た後に、国際バスで
5時間かけてギリシャのテッサロニキを訪問したのですが
宿のギリシャ人従業員の女の子と仲良くなったのですが
「どこから来たの?」と質問され、小生は
「マケドニアから来た」というと、突然、不機嫌な顔になり
「マケドニアという国はない。過去にマケドニア王国があったが、あれはラテン系、古代ギリシャ人の国家である。今のマケドニア共和国というのはスラブ系で、ラテンではない。マケドニアという名前を国名に使用するのはおかしい」と
熱く語られました。

確かに第三者から公正に物事をみても
ギリシャの言い分のほうが正しいと思います。

今後の両政府の話し会いで
マケドニア共和国側がおれて、別の国名に
なることと推測されます。

アルバニア・デュラスの夜のビーチ

旧ユーゴスラビア諸国の南もしくは西側に位置しているかつて鎖国政策をおこない欧州の秘境と呼ばれた国 アルバニアを訪問。首都のティラナとビーチリゾートでアルバニア第二の都市&アルバニア最大の港湾都市であるデュラスを訪問。

写真はデュラスの夜のビーチです。ホテルのベランダからの夜景。ライトアップされて綺麗でした。素敵な音楽が流れていました。(トランス系)ホテルは、

アルバニアはコソボ紛争時に大量の武器が出回ったのですが、未だにその時の銃器が流通している国です。
コソボ紛争時は同じアルバニア人が主流であるコソボを支援しました。コソボとは同じ民族なので一心同体のようなものです。
アルバニアに行く日本人が非常に少ないために、日本人というとびっくりされたものです。初めて日本人と話したという人々が多かったです。

アルバニアまではどのように行ったかというとコソボ紛争で有名なコソボ南西部最大の都市であるプリズレンからバスを使い数時間で到着。帰りはコソボのぺやにバスでいきました。

撮影機材はNIKONのD610 28㎜~300㎜のレンズ 75㎜で撮影

【コソボのホテル】旧ユーゴ・コソボ・ペヤ・鉄道駅前のホテル・ユサイ!

コソボ紛争で有名なコソボ。2008年にセルビアから分離独立。(セルビアは独立を認めていない)
NATOが駐留して、コソボの治安を守り、インフラ整備もしています。(日本のJICAの支援も入っている)

コソボの首都のプリシュティーナ、南西部中心都市であるプリズ­レ­ン、北西部中心都市のペヤの三都市を訪問。

ぺヤで宿泊したのは鉄道駅前のホテルユサイ。
部屋はトリプルのシングルユースで1泊20ユーロ(2800円くらい)­トイレ、シャワーは共同。ベランダは広く、ベランダからの景色は最高でした。

復興中のコソボですが、インフラはまだ整っておらず、停電がよくおきました。
英語はあまり通じず少し苦労しましたが、レストランが併設されていたので重宝しました。

【陸路越境】コソボ・プリズレン市→アルバニア・ドゥラス(デゥラス)行き国際バス!

セルビアから2008­年に独立したコソボに入国し、首都のプリシュティーナ、南西部中心都市であるプリズレ­ン、北西部中心都市のペヤの三都市を訪問。

コソボから欧州の秘境、欧州の北朝鮮と呼ばれていたアルバニアを訪問。
コソボのプリズレンにある旅行会社にて、バス予約をし、国際バスで陸路越境。

コソボのプリズレンからバスを使い5時間ほどで、アルバニア第2の都市でアルバニア最大の港湾都市&ビーチリゾートあるドゥラス(デュラス)へ。

アルバニアといえば1990年代にねずみ講蔓延(配当金をもとにアルバニア・マフィアが暗躍し、ボツニアヘルツェゴビナ紛争への武器購入、輸出等がおこなわれておりました。)し、その後1997年に経済破綻した国です。
国民の3分の1が全財産を失うという惨事にいたしました。
これによって政権が転覆し、無秩序状態となるという暴動が発生しました(アルバニア暴動)。

また、コソボ紛争時には同じアルバニア系のコソボを支援するために多くの人々がコソボへ赴きましたし、コソボから多くの難民が流入してきました。

ちなみに、コソボはアルバニア人主体の国です。
よって、アルバニアとコソボ両国間の仲はよく、越境する際の審査はゆるいものでした。
しかし、現在でも、コソボ紛争、アルバニア暴動時に使用された武器が国内で出回っており、時折、長期移動バスが、武装集団に襲われるという被害が出ております。

マケドニア、コソボ、モンテネグロ国境地帯には、ディナラ・アルプス山系の2000m級の山々が列を成しており、一番高い山はディバル地区にあるコラビ山で、2,753メートルに達します。

動画は、コソボとアルバニア国境地帯付近ですが、険しい山々が多いです。それとともに、コソボ紛争時に設置されたトーチカが今でも残っています。

クロアチア・ドゥブロヴニク・旧市街内路地裏レストラン!クロアチア料理!アドリア海の海鮮料理)

クロアチアの世界遺産都市であるドゥブロヴニク。外国人だけでなく、近年、日本人にも人気の観光名所です。

旧市街のには数多くのレストランがあるのですが、路地裏に穴場レストランも多いです。旧港やピレ門周辺のレストランも良いレストランが多いですが、路地裏レストランもお薦めです。

今回注文したのは、クロアチア・ダルマチア産の生ハム、チーズ、タコのマリネを前菜に、メインは、ミックスシーフードです。シーバス、イカ、ムール貝等を堪能。

私的にすごくお薦め都市であるドゥブロヴニクです。是非訪問してみてください。

コソボ・プリズレン市の城塞からの絶景

コソボ南西部中心都市であるプリズ­レ­ン。
プリズレンには城塞跡があるのであすが、そこからの景色は絶景です。城塞まで登るのに歩いて20~25分程です。

コソボ、アルバニアはイスラム教徒のアルバニア­­人の国です。モスクがいたることにあります。