国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

旧ユーゴスラビア構成国

モンテネグロ・ポドゴリツァ・共和国広場

モンテネグロのポドゴリサの市内を散策。共和国広場です。市民の憩いの場になっております。
大きなロボットの模型がありました。
子供達が電動車で遊んでおりました。
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのペヤにて 8月16日撮影

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コソボ・ペヤ→モンテネグロ・ポドゴリツァ行き国際バス利用

7時間のバスの移動で、コソボのペヤからモンテネグロの首都のポトゴリッサにやってきました。写真はポトゴリッサのバスターミナル。
今回の旅で9か国目、初めての訪問なので渡航歴は55か国となります。100か国突破まで、あと45か国です。
モンテネグロはセルビアから2006年独立した新しい国です。
コソボからくる際に1000m級の山をいくつも峠越えしました。山の景色も素晴らしかったです。
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのペヤにて 8月15日撮影

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コソボ・ペヤのレストランで魚料理堪能!

コソボのペヤ2晩目。
前夜と同じくホテル併設のレストランで食事しました。
前夜は肉でしたが、今回は魚料理にしました。
近くの湖でとれる魚のようです。

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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのペヤにて 8月15日撮影

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コソボ・ペヤ・コソボ人若者との交流!

コソボの若者にまたもや話しかけられ、記念撮影。本来であれば、本日中にモンテネグロ移動しようと考えていたんですが、朝の便に乗り遅れ、もう1泊コソボのペヤにしました。
午前中は、ペヤで市内観光しましたが、すごく疲れが出て、脱力感、無気力感に見舞われております。一昨日、辛いのを食べたのか胃もやられており。
日本でもたまに疲れがたまり、動くのもままならない時があるのですが。
ホテルは、同じとこにもう1泊延泊頼んだのですが、窓のない部屋でした。ようするに陽が差し込まず、電気がないと真っ暗です。まるで刑務所、留置所です。
疲れて休んでいたのですが、インフラがととのっていないので数時間停電に。真っ暗な部屋にいるのもと思い、ホテルのテラスで休んでおります。
電気は復活したので、少し休みます。これからのルートを練っておりましたが、少し難しいですね。ホテルの空き状況もネットで加味しながらですが、空きがなかったり。
しかし、外国(発展途上国)では窓のない部屋が多いのは事実です。最近の日本人は、贅沢でこういう環境になれておりませんが、苦労もしなければならないと思います。蝋燭をもらったので、夜、もし停電の場合は使用します。
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのペヤにて 8月14日撮影

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コソボ・ペヤのホテルの部屋

ペヤで宿泊したホテルの部屋。時間がないので少し、観光して移動予定ですが。バス次第です。宿はトリプルのシングルユースで1泊20ユーロ(2800円くらい)トイレ、シャワーは共同のものを利用しなければなりません。
ベランダからの景色は最高です。20ユーロといえば、西欧諸国の共同部屋宿より安いです(4人~8人部屋)
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのペヤにて 8月14日撮影

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コソボ・ペヤ・レストラン利用

アルバニアからコソボのペヤに移動してきましたが、鉄道駅前の宿に宿泊。
宿がレストランを併設しておりましたので、宿のレストランを利用。
ビーフステーキを注文しました。ペヤのビールと共に堪能。
このあたり、インフラが整っていないせいか、停電がよくおこります。
部屋の電気がつかなくなりました。
発電機を使用して電気を復活させたようですが、それでも長続きしませんでした。
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのペヤにて 8月14日撮影

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コソボ・北西部中心都市・ペヤ訪問!

アルバニアの首都のティラナにより、そこからコソボに戻り、コソボ北西部の町・ペヤにいます。前にお見せしたペヤビールの本場です。ここまで来るのに時間がかかりました。
ペヤはセルビア正教会の総主教座がおかれた特別な場所であり、市内と近郊に2つの世界遺産の修道院があります。セルビア人がここにこだわるのはわけがあります。
ホテルは駅前のホテルをとりました。ホテル部屋(5階)からの景色です。駅前ロータリーです。近郊には山があり風光明媚な町でもあります。セルビアとアルバニア双方の国境から30キロほど、モンテネグロから20キロ程の距離にある国境地帯の街です。
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのペヤにて 8月14日撮影

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コソボ・プリズレン・丘からの夕日

夕日です。プリズレンの城塞より撮影ニコンの一眼D610にて。300mm
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのプリズレンにて 8月11日撮影

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コソボ・プリズレン・城塞からの夕景

プリズレンの城塞からの夕景。これまた素晴らしかったです☆
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
コソボのプリズレンにて 8月11日撮影

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コソボ紛争の国・旧ユーゴスラビア・コソボの治安は?現地入国者が語る!

コソボ紛争の国・旧ユーゴスラビア・コソボの治安は?現地入国者が語る!旧ユーゴスラビアのコソボ平成26年(2014年)8月に旧ユーゴスラビア・セルビア­から平成20年(2008­年)に独立したコソボを訪問!首都のプリシュティーナ、南­西部中心都市であるプリズレ­ン、北西部中心都市のペヤの三都市を訪問。

プリシュナは、コソボの首都。2008年にセルビアからの独立を宣言したコソボ共和国­の首都と定められているが、セルビアはコソボ共和国の独立を認めておらず、コソボ・メ­トヒヤ自治州の州都としている。

近隣の都市としては、約95キロ北東のニシュ、約80キロ南のスコピエ(マケドニア共­和国の首都)などが挙げられる。1990年代のコソボ紛争で深刻な打撃を受け、現在も­復興の途にあります。

人口は十万人台と首都の割には非常に少ないが、これでもコソボでは最も人口の多い都市­であります。

第二次世界大戦後のユーゴスラビア社会主義連邦共和国を率いたヨシップ・ブロズ・チト­ーが1980年に死去すると、セルビア内で民族主義が高揚。

プリシュティナでは、経済不況や食糧不足でアルバニア人の暴動が頻発しました。

1989年、セルビアの大統領・スロボダン・ミロシェヴィッチが自治を制限、アルバニ­ア語の使用が制限されアルバニア系住民が多くの職場から排斥されると、コソボのユーゴ­スラビアからの分離を求める運動が激化されました。

イブラヒム・ルゴヴァに指導されたコソボ民主連盟が結成される。これに対してセルビア­政府は強硬策で臨みました。

1996年からはコソボ解放軍による武装闘争が開始されるが、プリシュティナは当初は­平穏でありました。

1999年3月、コソボ紛争が本格化すると、プリシュティナは戦場と化す。4月、NA­TOの空爆が開始されると、市内のあちこちで虐殺行為が展開された。多くの住民がマケ­ドニア共和国方面に脱出、その数は、アメリカ合衆国国務省の推定で1999年の5月だ­けで100,000人にのぼります。

コソボ紛争終結後は、40,000人いたセルビア人の多くがプリシュティナを離れたが­、市内に留まった者の多くは、今度はアルバニア系住民の報復に怯えることになり、20­09年にはプリシュティナから全てのセルビア系住民がいなくなった、と言われる。また­、紛争でロマ人も多くが市を離れた。国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)­の本部が置かれています。