国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

2015年

スペイン・セビーリャ市街散策!

スペイン・アンダルシア州の州都であるセビーリャ。
想像以上に大きな都市でした。
アルカサル(大聖堂)は市街中心にたっております。
川があり、遊歩道になっているので遊歩道を散策しました。

アルカサル
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グアダルキビル川

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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・セビーリャにて 9月13日





スペイン・セビーリャのホステルの朝食

スペイン・セビーリャのホステルの朝食です。
欧米では普通の食事です。
海外留学時によく食していた朝食です。

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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・セビーリャにて 9月13日





スペイン・セビーリャのホステルの部屋

今晩の宿は共同部屋の宿です。6人部屋ですが、二人分空いており、実質4人です。
久しぶりに韓国人と一緒の部屋
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ホステル等の共同部屋の宿は最初、慣れれるまで
時間がかかる方がいるかもしれませんが、海外の友達を作るには
最適の場所です。
一人旅している時などは会話相手が出来ますからね。
お金も節約できて一石二鳥です。

平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・セビーリャにて 9月12日





スペイン・アルへシラス→セビーリャ行きバス

アフリカは、また別途で周遊旅行をしますので、モロッコからスペインに戻りました。今回の旅は欧州です。
そして、スペイン国内をアルヘシラスからアンダルシア州の州都であるセビーリャに移動してきました。人口は70万人を超す都市です。スペイン6都市目の訪問ななります。スペイン第四の都市になります。セビーリャ都市圏の人口は130万人程です。
アルヘシラスよりこのバスで三時間かけて移動してきました。
費用は20ユーロ『2800円程』です。

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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・セビーリャにて 9月12日





浜名湖釣り!タコ釣り

静岡県湖西市(旧新居町付近)の海釣り公園のT字堤2番で体長70センチ、重さ1.2­キロの大きなタコを釣りあげた。カレイ、セイゴを狙ってブッコミ釣りをしていたが、リ­­ールを引いている時に、タコがかかったようだ。
浜名湖は遠くのあまり知らない人からすると、淡水湖だと​思う人も多いであろう。14­­98年の大地震の前までは淡​水湖であった。1498年(室町時代)の明応の大地震­に­​より大きな津波が沿岸部を襲い、浜名湖に海水が入った。​ それにより淡水と海水が入り混じる汽水湖になる。
外海と浜名湖の入り口の所を今切口という外海から来る魚​はここを通り浜名湖に入る。­­魚によっては浜名湖の奥(奥​浜名湖)、浜名湖に流れ出る川(新川、都田川等)もし­く­​は以前は汚染湖沼全国ワースト1位の汚名をうけた佐鳴湖​のほうまでいく魚もい­る(­ハゼ、クロダイ等)
浜名湖にいる魚は、クロダイ、キビレ、へダイ、スズキ(​マダカ、セイゴ)、サヨリ、­­キス、アナゴ、ハゼ、ヒラメ​、カレイ、カワハギ、ウマヅラハギ、メジナ、メバル、­マ­​ゴチ、メゴチ、タコ、コウイカ(スミイカ)、ウナギ、べ​ラ、メバル、カサゴ、­クサ­フグ、ヒイラギ、ゴンズイ、オ​コゼ等である。

今回釣れたのは
根魚とセイゴ(スズキ)、カレイ狙いであったが、残念な​がらカレイとセイゴは釣れず
1.カサゴ(18センチ~22センチ 計15匹
2.タカノハ鯛 25センチ 1匹
3.タコ 1.3キロ 70センチ
4.アナゴ 30センチ
5.チンタ 15センチ~19センチ 3匹
6. メジナ 18センチ 1匹

正月用のおせち料理に追加で良い魚達が手に入りました。

餌は青イソメ,オキアミ 場所は 新居海釣公園 釣り方​は穴釣り、ブッコミ釣りが。他にルアーやウキも使用。
カサゴは浜名湖の平均サイズは13~20センチ程である​。
カサゴは岸壁下の岩場やテトラにたまりやすい。なので根​がかり覚悟で短竿(1.6メ­­ートルで穂先の短いもの 道​糸は3号)を使いブラクリで真下に落とす。
獰猛な魚なので何でも食うらしく、口も大きいので魚影が​濃ければ数釣りが出来る。
意外に可愛らしい顔をしている。
根魚は引きがつよく釣りを楽しめた。

静岡県富士市・ラーメン大山・富士本店・大麺大盛り(二郎系)!

久しぶりに富士市のラーメン大山にて大麺を堪能。
元ラーメン二郎町田店店長が地元で開いた店。
二郎系以外にもいくつかラーメンがあります。
大麺。極太麺でかなり食べ応えがあります。

ベルギー・ブリュッセル・グランプラス・音と光のショー!

ベルギー・ブリュッセルの大広場である世界遺産のグラン・プラスを6年半ぶりに訪問。­­(夜は初めて)。王の家に入り(入場料5ユーロ)そこから市庁舎の景色を堪能。花壇­が­広場の中にあり綺麗であった。そこで夜になると30分に一回の割合で、素敵なショ­ーが­おこなわれた。5分少々であるが、感動した。
グランプラスは、ブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したこ­­とでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつと見なされている。19­9­8年にユネスコの世界遺産に登録された。
グラン=プラスは美しい広場であるが、華やかな歴史ばかりに彩られていたわけではない­­。1523年にプロテスタントの最初の殉教者たちであるヘンドリク・フォエス(He­n­drik Voes)とヤン・ファン・エッセン(Jan van Essen)がこの地で火刑に処された。

大同盟戦争中の1695年8月13日に、当時木造だった広場の家屋はヴィルロワ元帥に­­率いられたフランス軍の砲撃によって大半が破壊された。市庁舎の塔は砲撃の的になっ­た­が、石でできた壁は放火による火災に耐えた。広場を囲む家々は様々なギルドによっ­て石­造りで再建された。このため、市庁舎以外のほとんどの建物は、この時以降のもの­である­。

モロッコ・タンジェ市・旧市街内レストラン・モロッコ料理!

モロッコタンジェ訪問時に旧市街(メディナ)内のレストランでモロッコ料理を堪能し­ました。
 ★ハリラと呼ばれる羊肉か魚の出汁でヒヨコマメ、玉ねぎ、トマトなどを煮込み、小麦粉­でとろみをつけたスープ。
 ★ケバブ=アラブ圏(イスラム圏)で全域で食べられる肉の串焼き。香辛料で臭みを消し­た羊、牛、鶏肉、ケフタなど串に刺し、炭火焼したもの。
 ★クスクス=北アフリカで広く食べられている料理。羊肉、鶏肉、魚などを野菜と煮て中­身とスープを取り出し、これをスームルという粗粒上の小麦を蒸したものをかけたもの。
 他にも数品堪能。モロッコのビールともに堪能。
 締めは、アラブで盛んに飲まれているミントティー

モロッコのビール
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ハリラ

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ケバブ
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クスクス
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ミントティー
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タンジェは、モロッコ北部にある都市。人口は、約67万人(2004年)。ジブラルタ­ル海峡に面した港町で、スペインやジブラルタルなどから多くフェリーが行き来し、国際­都市として栄えおります。

帝国主義の時代になると、モロッコがフランスとドイツの角逐の場となり、1905年に­はフランスのモロッコ支配を阻止しようとするドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がタンジェに­上陸しました。

このタンジェ事件(第一次モロッコ事件)は翌1906年のアルヘシラス会議­で妥協が図られたが最終的な決着はつかず、1911年のアガディール事件(第二次モロ­ッコ事件)を経て、モロッコはフランスにより保護国化され、タンジェは国際管理地域(­英語版)とされた。タンジェの国際管理化は第一次世界大戦での中断を経て、1923年­12月18日のパリ会議でフランス、スペイン、イギリスの三国による条約が締結され、­同年6月24日より開始されました。

後に条約にイタリア、ポルトガル、ベルギー、オランダ­、アメリカ、ソビエト連邦も加入した。

第二次世界大戦勃発後の1940年6月14日、スペイン軍はタンジェに侵攻し、一方的­併合を宣言しました。

しかし世界大戦終結から半月後の1945年8月31日、タンジェは国­際管理地域に復帰した。

1956年10月、条約加盟各国はタンジェの国際管理終結を決­定。1956年12月31日をもって国際管理は終わり、タンジェはモロッコに復帰した­。復帰に当たり、1960年4月18日までの期限付きで為替や貿易に関する特別措置が­採られています。

平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
モロッコ・タンジェにて 9月11日





モロッコ・タンジェ市・ジブラルタル海峡の絶景堪能できる丘

モロッコのタンジェ市内のメディナ(旧市街)近くにある絶景堪能出来る場所です。
ジブラルタル海峡を背景に!近くにいたドイツ人に撮影してもらいました。

天気が良くて最高でした☆

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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・タリファにて 9月11日