国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

2018年

ギリシャ・第二の都市テッサロニキ市の港・市街地を望む!

ギリシャの首都のテッサロニキ。
首都アテネに次ぐ2番目に大きな都市で、中央マケドニアの首府であり マケドニア・トラキア行政管区の首府でもある。テッサロニキには 、共同の首都)と言う称号があり、東ローマ帝国時代にはコンスタンティノープルと並びビザンティンに君臨した都市であった。
人口は32万、都市圏の人口も合わせると80万人程。
バルカン半島ではイスタンブール、アテネ、ブカレスト、ソフィア、ベオグラードに次ぎ6番目の人口を誇る。

【ニニ六ならぬニニ八事件?】台湾・台北・二二八和平公園

228事件。228と聞いて、226事件を思い浮かべる方がいると思います。226事件は、昭和11年2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件です。

それでは228事件とは!?
228和平公園は台北駅の近くにある公園です。日本統治時代の1899年に台湾初の洋風公園として造られた台北公園です。1947年2月28日に起きた228事件を記念し、1996年、当時の台北市長であった陳水扁前総統により現在の名前に変更されました。

公園内には228記念碑や池があり、人々の憩いの場になっています。ベンチもあるので休憩がてら訪れてみるとよいでしょう。

台湾における228事件。
日本が大東亜戦争で連合国軍に降伏し、敗戦した結果、日本は台湾から撤収しました。その後、蒋介石率いる中国国民党政府が台湾を接収。蒋介石政権は台湾の日本資産を搾取し、膨大な財産を手に入れました。
そして、本省人である台湾人を国語(北京語)もろくに出来ない、2等国民として扱ったのです。こうした大陸の人間(外省人)の台湾人軽視、搾取に対しての民衆蜂起が1947年2月28日におこったのです。日本統治が終わって2年4か月後の事です。

228事件が起こった事の発端は、台北市の闇たばこ業者である婦人を煙草専売局の闇煙草摘発隊が殴ったのがきっかけです。中国国民党の政策に反対していた台湾の人々がこれに怒り、デモ隊を引き連れ、専売局に押しかけました。その後、国民党の行政長官公署に向かったところ、機関銃を乱射されて、多数の死者を出しました。

これに憤慨した台湾人がこの公園にある放送局を占拠し、台湾全土に蜂起を呼びかけました。高雄や台南などで行政の奪還、外省人商店襲撃などが置き、台湾全土に運動は広がりました。

本省人側は国民政府に占拠されている諸施設へ大規模な抗議行動を展開。日本語や台湾語で話しかけ、答えられない者を外省人と認めると暴行するなどの反抗手段を行いました。

台湾住民の中には日本語が話せない部族もいましたが、日本統治時代に「君が代」は国歌として全ての台湾人が歌えたため、本省人たちは全台湾人共通の合言葉として「君が代」を歌い、歌えない者(外省人)を排除しつつ行進しました。また、本省人側はラジオ放送局を占拠。軍艦マーチと共に日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」と呼びかけたのです。

台湾国内にいる軍隊だけでは収拾がつかず、大陸本土よりの増援部隊を要請。その後、28000人近い台湾人が虐殺されました。(この中に日本人が多数含まれているようです。)
この鎮圧は、日本統治時代に日本によるエリート教育をうけてきた知識層を根絶する目的もあったようです。

日本の統治からはずれ、蒋介石率いる中国国民党による支配は、台湾の人々に日本統治時代のほうがよかったと思わせる結果になりました。

中国共産党との内戦に敗れた国民党が1949年12月に大陸から遷都という形で台湾に逃れました。その後、台湾全土に戒厳令をしき、自由を無視した恐怖政治を強めたのです。

日本統治時代不は正は少なく、帝国大学も創設された台湾の経済は日本内地の地方都市を超えて東京と同じ水準でした。日本の統治を体験した台湾人にとって、国民党に変わって以降、治安の悪化や役人の著しい腐敗、軍人・兵士などの狼藉、さらに経済の混乱は到底受け入れがたいものであり、人々の不満は高まっていました。

台湾人は日本統治下の法治政治に慣れ、それを当然のものと考えていた為、警官や軍隊が群衆を無差別に虐殺する事態を想定してはいなかったのも被害者を増やした一因であります。

全室オーシャンビュー!伊豆下田温泉「下田大和館」で豪華海鮮料理を満喫!

WEBの旅メディア「たびねす」に旅記事寄稿
今回のお題は、全室オーシャンビュー!伊豆下田温泉「下田大和館」で豪華海鮮料理を満喫!

海、山、川と三拍子揃い、温泉が各地にある静岡県の伊豆半島。その伊豆半島の南端に位置する下田市は、幕末の開港の場となった歴史的な場所です。下田市内には数多くの温泉旅館がありますが、そんな下田でお薦めの温泉は、多々戸浜の海の景色を一望できる全室オーシャンビューの温泉宿「伊豆大和館」です。部屋からの眺望や料理、露天風呂の評価も高く、皆様にお薦め出来る宿です。

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たびねす記事

タイ・プーケット島!ナイハンビーチ!

タイの人気ビーチリゾートであるプーケット。
プーケット島には数多くのビーチがありますが、静かなビーチがよければナイハンビーチがお薦めです。

250CCのビッグスクーター・フォルサを借りてプーケット島を周りました。
パトンビーチ→カロンビーチ→カタビーチ→カロンビューポイント→ナイハンビーチ→プロンテープ岬→ラーワイビーチ→パンワ岬→プーケットタウン→パトンビーチ。

タイ・プーケット島!250CCのホンダフォルツァでツーリング!

250CCのビッグスクーター・ホンダのフォルツァを借りました。24時間レンタルで700THB(2300円ほどです)110CC ,150CCとありましたが久しぶりに250CC運転したくなりましたのでフォルツァにしました。あるお店でネイキッドもあったんですが、好みのものではなかったですし、アメリカンの店も発見出来ずで250CCのビッグスクーターに。

眺望の良い箇所や綺麗なビーチが多くあるプーケット
スクーターを借りて周ると効率的です。

中免(今は普通自動二輪)持っているので400CCまでは運転できますし、学生の時に車と併用してカワサキノ250CCのバリオスや50CCのスクーター、90CCのスクーターを持っていたので運転は手馴れたものです。

パトンビーチ→カロンビーチ→カタビーチ→カロンビューポイント→ナイハンビーチ→プロンテープ岬→ラーワイビーチ→パンワ岬→プーケットタウン→パトンビーチ。

世界で活躍する日本製品!欧州マルタ共和国空港内のヤマハのピアノ!

欧州の小国マルタ共和国を訪問。空港内でヤマハのピアノを発見しました­。
ヤマハは。明治時代の創業以来の事業であるピアノ製造をはじめとする伝統的な楽器事業­は国内トッ­プブランドでピアノ生産量では世界シェア1位。楽器は機械的な面での質の­良さから、海­外においても非常に知名度のあるブランドとなっている。

【マフィアとゴミの都市】イタリア・南部最大都市・ナポリ!

ローマからイタリアの高速列車フレッチャロッサを使い、イタリア南部最大の都市であるナポリを訪問。

ナポリで感じた事は、ゴミが道端に非常に多い事です。あまり綺麗な町ではないですね。浮浪者も多いですし、東南アジアでよくみられる信号待ちしている車の窓拭きお金を得ている人々も多かったです。
日本でも都道府県により格差はありますが、(豊かな県とそうでない県等。)イタリアは南にいけば行くほど経済は遅れております。しかし、良い意味でいえばイタリアの田舎臭さが残っており、ある意味では楽しい都市です。

イタリア南部にある都市で、その周辺地域を含む人口約96万人の基礎自治体(コムーネ)。カンパニア州の州都であり、ナポリ県の県都でもある。ローマ、ミラノに次ぐイタリア第三の都市で、南イタリア最大の都市である。都市圏人口は約300万人。

ナポリは、ナポリ湾に面した港湾都市。
風光明媚な景観から「ナポリを見てから死ね」(日本のことわざでいうところの「日光を見ずに結構と言うな」)と言われ、温暖な気候から観光都市としても知られています。
旧市街地は「ナポリ歴史地区」として世界遺産に登録されております。

ナポリ周辺にも、ヴェスヴィオ火山やポンペイの遺跡、カプリ島などの観光地を有する。 イタリア第二の港町
製鉄、製油、化学、自動車、航空機、食品加工などの工業も盛ん出ございます。
1980年には地震により大きな被害を受けた100万都市です。旧市街は世界遺産に登録されております。
また、ナポリはマフィアの街としても知られ、傘下団体約130、構成員約6300人がいるカモッラの拠点として知られています。

【風呂&サウナ付き】モンゴル・ウランバートル・日系のフラワーホテル!

モンゴルのウランバートルにある安心の1995年に出来た日本の企業が経営するホテル。日系だけあり、風呂(大浴場)やサウナ、水風呂があり、日本人には嬉しいホテルです。従業員もしっかりと教育されており、対応も良いホテルです。

【イタリアの高速列車】乗車!フレッチャロッサ!(ローマ→ナポリ)

西欧諸国には日本の新幹線にあたる高速列車が走っていますが、イタリアの代表的な高速列車はフレッチャロッサです。
イタリア国内を縦横無尽に走っており、イタリアを周遊する際に重宝します。

Frecciarossa(フレッチャロッサ)はイタリアのトレニタリアが運行する優等列車の名称。2008年12月にこのカテゴリーの列車が初めて設定され、2012年6月には、それまで高速鉄道サービスとして展開していたユーロスター・イタリアを、FrecciarossaとFrecciargento(フレッチャアルジェント)の2つのカテゴリーに完全に振り分けた。Frecciarossaは『赤い矢』、Frecciargentoは『銀の矢』という意味の造語で、より高速な列車をFrecciarossaに、それ以外をFrecciargentoとしています。

Frecciarossaは、ETR500およびETR400の高速鉄道車両を用い[、高速新線では最高速度300km/hで走行します。

列車の座席等級は4つのクラスに分かれており、上位よりエクゼクティブ、ビジネス、プレミアム、スタンダードである。エクゼクティブ・クラスの乗客には、飲み物及び食事、新聞や雑誌が無料で提供される。一等車に相当するビジネス、プレミアムの各クラスの乗客にはウエルカム・ドリンク(飲み物と菓子)と新聞(13時まで)が無料で提供される。また、すべての列車には食堂車が連結されています。

2014年冬ダイヤにおける各駅間の所要時間の例として、途中停車しないタイプである9614列車のローマ・テルミニ駅とミラノ中央駅間の所要時間は2時間55分です。