福岡の博多港からフェリーに愛車を載せて長崎県の壱岐島の防人の島『対馬』を訪問。まずは壱岐島から訪問して対馬に。
今回は、対馬で訪れるべき名所をご紹介します。

【対馬博物館】
壱岐島3泊した後に対馬にフェリーで移動して合計5泊しました。
12年ぶりの対馬、到着日に最初に訪れたのは対馬の中心『厳原』にある対馬博物館。

古くから朝鮮半島との関わりがあった対馬の歴史の歴史対馬にまつわる歴史や考古、美術工芸、自然史など学べる博物館です。
前回12年前に対馬訪問した際はなかった博物館。令和4年(2022年)4月に開館。特別展『倭館』も催されていたので、併せて見学させていただきました。
【上対馬の韓国展望所】

韓国まで49.5キロの距離にある上対馬町。対馬北端にる韓国展望所。韓国人が建設に携わり、韓国風の建物が建設されました。
朝から昼過ぎは多くの韓国人観光客が団体バスで訪れる場所です。

前回12年前に訪問時、建物内部の地図の日本海表記の日本に韓国人観光客に罰点つけられ、朝鮮半島の呼称である東海(英語部分もJAPANの部分に二重線引かれてEAST)にされていました。役所に対応するよう電話をしておきましたが、今は新しくなり、地図には日本海表記をいれないようにしています。
展望台からは双眼鏡使って韓国が見えますが、
眼下には航空自衛隊の海栗島分屯基地があります。24時間体制で周辺空域の警戒監視の任務に就いています。
【上対馬の豊砲台跡】

第一次世界大戦後、日本は軍備拡張計画を推し進める中、対馬海峡を封鎖する目的(当時、日本が統治していた朝鮮半島側にも)で、対馬北端の軍事上要衝のこの地に、昭和4年5月より約5ヵ年の歳月を費やし、昭和9年3月に豊(とよ)砲台を完成させました。

この砲台は、大正11年のワシントン海軍軍縮条約の締結により、航空母艦に改造されることとなった『赤城』の45口径40.6センチ加農砲1基2門の砲塔砲台を設置したという説の他、戦艦土佐や長門のものであるという説もあります。
入口にボタンがあり、ボタンを押すと30分程、電気が灯されます。内部には砲座や砲具庫、巻揚機室などの内部構造を観察することが出来ます。
【対馬南端の豆酘の板形海水浴場】
今回、愛車をフェリーに載せて壱岐島と対馬訪問。
対馬は南端から北端まで縦横無尽に周り、十中八九の名所を訪れました。南端の豆酘では浅藻湾と港、板形海水浴場を訪問。
なかなか綺麗な砂利浜です。


【内山峠展望台】


対馬南端の豆酘を訪問後、厳原の中心街に戻る際に寄った内山峠展望台。山地9割、平地1割の山地の割合が非常に高い対馬。対馬南端まで行く道は結構険しい山道でした。

内山峠展望台からは山々の景色を端のすることが出来ます。厳原の中心街からは車で20分程なので、対馬を訪問される方は訪れてみるとよいでしょう。
【和多都美神社】

韓国人お断りの神社対馬の和多都美神社を参拝。崇敬者としてお賽銭を入れ、御朱印をいただきました。
式内社論社、旧社格は村社。
主祭神は下記2柱
・彦火々出見尊
・豊玉姫命

海に望む鳥居が美しいです。
12年前にも参拝していますが
韓国人観光客による蛮行、道徳心に欠ける行為に悩まされてきた神社です。
神域での喫煙、タバコポイ捨て、違法駐
車、放尿、絵馬への落書き、鳥居への投石など。それを神社関係者が注意したら暴言吐かれ、暴力も振るわれそうになる。
韓国人お断り
団体バスの受け入れ禁止。
しかし、レンタカーで来る韓国人がいるようです。

神社関係者とお話しさせていただきましたが、他の外国人は道徳心をもって参拝する人が多いようです。
小生が参拝時、台湾人男性2人が参拝しにきていましたが、参拝の仕方を知っており、お賽銭もいれており、感心しました。台湾人はよく分かっている。
【烏帽子岳展望台】
和多都美神社の近くにある烏帽子岳展望台。
和多都美神社参拝と共に訪れるとよいでしょう。
烏帽子岳は標高176m。対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)の北岸に位置し、360度を見渡すことができる展望台です。東には対馬海峡、西には朝鮮海峡が広がり、複雑な入り江と無数の島々がおりなすリアス式海岸の景観を一望できます。


【対馬国一宮『海神神社』-韓国人窃盗団の盗難被害に遭った銅造如来立像】

和多都美神社を参拝した後に参拝した対馬国一宮『海神神社』。
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

創建年は定かではありませんが、
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、新羅を鎮めた証として旗八流を上県郡峰町に納めたことに由来とのこと。
主祭神
・豊玉姫命
配祀神は下記4柱
・彦火火出見命
・宗像神
・道主貴神
・鵜茅草葺不合命

国指定の重要文化財
銅造如来立像 ( 統一新羅時代の作)は2012年10月に発生した韓国人窃盗グループによるの対馬仏像窃盗事件
3つの神社、寺院から、韓国人窃盗団によって重要文化財の仏像2体などが連続盗難された事件で盗まれたもの。
2015年7月18日に海神神社の銅造如来立像は韓国側から日本に返還されました。
平日は社務所に神社関係者がいないのか、御朱印をいただきたかったのですがいただけず。一宮だけあり敷地は広くて荘厳な雰囲気。この近くの海岸は韓国から中国から大量のゴミが漂着していました。
【対馬野生生物保護センター!ツシマヤマネコ保護】


前回12年前も訪れた対馬野生生物保護センター。ツシマヤマネコを保護しており、生のツシマヤマネコを見ることができます。館内にはツシマヤマネコの詳細が分かる展示があります。調査、研究もおこなっている施設です。棹崎公園隣接しているので、公園と共に訪れるとよいです。
【対馬藩主-宗家の菩提寺「万松院」】

対馬の名所の1つが鎌倉時代から明治になるまで対馬を治めていた宗氏の菩提寺である万松院。 創建は江戸時代初期、1615年(元和1年)で天台宗の寺院です。

火災焼失のため、今の本堂は明治12年(1879年)に建造されたものです。敷地は広く、石段を上った場所に宗家一族の墓所である国指定の史跡である御霊屋(おたまや)があります。荘厳で巨大な墓地は圧巻とした雰囲気です。

石川県金沢市の前田藩墓地、山口県萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われています。
樹齢約1200年の大スギが3本あり神秘的な雰囲気を醸し出しています。
【『金石城』と『金石城庭園』】

対馬藩藩主家『宗氏』の居城だった『金石城』。築城は戦国時代1528年。平城で天守閣は設けられず、江戸時代1669年(寛文9年)に時の藩主‐宗義真によって造られた大手口の櫓門を天守の代用としていました。現在ある櫓門は1990年に復元されたものです。

有料にはなりますが、併せて訪れていただきたいのが金石城の庭園です。規模は大きくないですが、落ち着いた風情を楽しめる日本庭園です。
【対馬藩お船江跡】


対馬の名所の1つ『対馬藩お船江跡』
江戸時代、1660年(万治3年)~1663年(寛文3年)に厳原町久田に築造された藩船の格納庫。
時の藩主-宗義真による町割りの再構築とともに、藩用の交通整備のため築造され、江戸上りなどの公用に用いられました。
藩船の各地への渡航と渡航の間に公用船を入渠されて船体の整備をこなっていました。
陸上には造船場があり、船大工や水夫たちの納屋があったとのこと。遺跡には突堤が4つ、船渠が5つあり、突堤は鏡石を配した石積みで造られ、当時の原型を良好にとどめています。
【蒙古襲来(上陸)の地-佐須-小茂田浜-小茂田浜神社参拝】


鎌倉時代、1274年に900艘3万人の元寇軍が来襲。1000人程が上陸した地点。対馬の時の地頭代であった宗助国が80騎で迎え撃ち、全員が討ち死にした場所。
海岸沿いに小茂田浜神社があります。

創建年は鎌倉時代、1274年(文永11年)で主祭神は宗助国と対馬の国事殉難者。
【比田勝の殿崎公園-日本海海戦記念碑】



日露戦争、日本海海戦(対馬沖)でロシアバルチック艦隊を破った大日本帝国海軍。バルチック艦隊のウラジミル・モノマフ号の水兵143名は、4隻のボートに分乗し、この地に上陸。住民達が水や食糧を与えて助けた歴史があります。
ロシア主導のソ連
日ソ不可侵条約を破り満州や朝鮮、樺太、千島列島に侵攻し数多くの日本人が虐殺、強姦、抑留された歴史がありますが‥
日本人は情けの心があるなと実感。
【長崎県対馬‐棹崎砲台跡】


朝鮮半島、韓国釜山まで49.5キロの距離。
第一次世界大戦後、日本は軍備拡張計画を推し進める中、対馬海峡を封鎖する目的(当時、日本が統治していた朝鮮半島側にも)で、対馬北端の軍事上要衝のこの地に砲台を設けました。
昭和11年竣工、昭和13年完成の棹崎砲台跡。釜山を眺めることができました。
















