パキスタンの旧都で最大都市のカラチは合計1週間滞在。 数多くの場所を訪問しましたが 路上カフェ(喫茶店)も複数利用しました。 今回の動画はカラチ市街地でパキスタン人運転手(ガイド)と 一緒にお茶した時の動画。
パキスタンの旧都で最大都市のカラチは合計1週間滞在。 数多くの場所を訪問しましたが 路上カフェ(喫茶店)も複数利用しました。 今回の動画はカラチ市街地でパキスタン人運転手(ガイド)と 一緒にお茶した時の動画。
タイは他のアジア諸国と同じように日本が最大のODA援助国です。 首都のバンコクはBTS高架電車は1999年、地下鉄は2004年に開業。 空港や道路、橋などありとあらゆるものに対しての援助をしてきた日本。
動画は地下鉄駅全てにある日本のODA援助に対しての感謝の碑。 日本は今までアジア各国、東欧、旧ソ構成国、旧ユーゴ諸国、中東、アフリカ、中南米、太平洋等諸国に多大なODA援助によりそれら国々の発展に寄与してきました。
極一部(韓国と中国i)をのぞいてほぼ全ての国で日本のODA援助に対しての感謝の碑を設置して、日本からの援助で出来た旨を国民に伝えています。
韓国には昭和40年(1965年)の日韓基本条約締結時に 当時の韓国の国家予算の3倍にあたる5億ドルを資金提供(無償&有償)それ以後、ソウルオリンピックが終わった後、平成に入る頃まで25年もの間、日本のODA援助(資金と技術)により経済が発展してきたのは事実です。
その日本の多大な貢献に対して日本に対して感謝をしていれば良いのですが、敵意むき出しに日本に対して反日行為をする姿には呆れるものがあります。 日本の血税から出たODAの援助金。
これにより対日感情が向上、外交で有利に、日系企業優遇などの利点が。 資金は日本からの拠出金、建設は日本のゼネコンが建設する(現地の企業では技術がない)事により日本のゼネコンにお金が落ちています。
ドバイで3泊した3つ星ホテル。4つ星に近い3つ星ホテルですが割引き、お手頃価格で宿泊できました。
空港からわりと近い距離にあるゴールドスーク近くにあり、メトロ駅からも近く立地条件良し。
ロビー周辺は高級感ある造りで
館内にはレストランとスパ、ナイトクラブ併設。
部屋は想像以上に広くて快適。
Wi-Fi速度は速くもなく遅くもなく。
連泊割り、期間限定割引適用で
素泊まりで
今の超円安レートでも1泊5500円ほど。観光税含めて5900円ほど。
朝食は別途でつけアラブ料理朝食で1600円ほど。
お手頃価格で満足度の高いホテルをもとめるなら、オススメのホテルです。
【タイのバンコクのスワナプーム国際空港のラウンジ】
数日前、スワナプーム国際空港で利用したラウンジ『The Coral』
プライオリティパスで無料で利用出来るラウンジです。
今回はラウンジを比較するために
2つのラウンジ利用。
この前に利用したラウンジよりも広めで
料理の品数豊富で美味しかったです。
カオサン通りは昔から世界各国からのバックパッカーの聖地として知られる通り。バックパッカー、旅行者向けの飲食店や宿、マッサージ屋、旅行会社などが数多くある通り。周辺の通り含めてカオサン地区は賑わっています。
タイ北部のメーホーンソンからタイ日友好記念館のあるクンユアムまで150CCのホンダのスクーターを借りて運転。メットにアクションカメラ(ソニーのX3000)をつけてドライブ映像も撮影しました。

タイ北部の小さな町、ビルマとの国境地帯に近い場所にあるクンユアムを10年ぶりに再訪し、前回同様にタイ日友好記念館を訪問しました。

クンユアムはメーホーンソーンの南約65キロの場所にあります。かつて日本軍が駐留ししていた地です。
インパール作戦による敗退、ビルマ戦線で敗れ多くの日本兵がビルマで亡くなりました。戦争末期から多くの日本兵が同盟国であったタイ国内にビルマから敗残兵として入ってきました。

ビルマからタイにくる道中で飢えやコレラなどの病気で亡くなる日本兵が数多くいました。なんとかクンユアムをに生きて辿り着いた日本兵はクンユアムで現地人に治療、看病されました。

慈悲深い精神をもった人々が多いタイ。
多くの日本兵がクンユアムの人々に世話になり、日本へ無事に帰国する事ができました。
それら日本兵は、水筒やヘルメットや毛布等を世話になった家庭に置いていきました。それらを大切に保管していた人々。

1995年にクンユアムの警察署長として赴任したタイ人が、かつての日本兵とタイ人との交流に興味を持ち、私費を投じてそれらを集めて1996年に博物館をつくりました。
現在はクンユアム市に管理が委託される博物館です。
建物内部には日本兵、日本軍の展示物や写真が数多く展示されています。建物外の敷地内には慰霊碑が建立されており、前回同様、1人の日本人として焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

タイ人が‘‘I love Japan‘‘と書き
流石、親日国。日タイ友好
どこぞの反日国の人々は
人が書いた絵馬に独島(竹島)は我々の領土、尖閣諸島は我々の領土と落書きをし・・
クンユアムのタイ日友好記念館の斜め向かいにある寺『ワット・ムアイトー』。
先の大戦下、この寺院の敷地内には日本軍が建設した野戦病院がありました。

ビルマ戦線で負傷を負った多くの日本兵がが運ばれ、治療を受けました。治療の甲斐もなく亡くなる日本兵も多かったです。
敷地内に複数の慰霊碑、造形物や日本軍、日本兵に関係する絵画が展示されています。タイ日友好記念館と共に訪れていただきたい場所です。
1人の日本人として、焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。
今後も海外慰霊活動を続けていきます。

クンユアムの中心街から4、5キロ離れた場所にある木造の本堂とビルマ様式の仏塔が美しい寺『ワット・トーペー』内にある
日本兵慰霊碑(タイ-ビルマ戦病没者鎮魂之碑)

先の大戦下、日本軍の野営地だった場所でビルマへの進軍路だった場所に建っています。終戦間際にビルマ戦線から逃がれてくる日本兵の最初の休息地だったようです。
1人の日本人として、焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

10年ぶり2回目のメーホーンソン。前回同様、クンユアムのタイ日友好記念館を日帰り訪問。クンユアムからメーホーンソンに戻る道中にスクーターをとめて慰霊した日本兵士鎮魂之塔。

車や2輪を運転していると見落とす可能性が高いですが
多くの方に慰霊訪問していただきたい場所。
クンユアム中心から30キロ程、メーホーンソーン中心から35キロ程の地点。
終戦間際、敗残兵としてビルマからタイへ多くの日本兵が逃れてきました。多くの人々は、その道中で飢えやコレラなどの病気で亡くなりました。
この鎮魂碑は岡山県の倉敷有志の会が平成12年(2000年)に建立したもの。
周辺の集落に住むタイ人が丁寧に草刈りをし
慰霊もしてくれています。日本とタイの友好を感じることができます。

10年ぶり2回目のタイ北部、ビルマ(ミャンマー)の国境から近い距離にあるメーホーンソン。前回同様、メーホーンソン内、クンユアムの日本兵慰霊碑を慰霊訪問しました。
メーホーンソン中心街外れにある寺『ワット・プラノーン』内には日本兵慰霊碑(ビルマ戦線将兵慰霊之碑)があります。1人の日本人として焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

タイのバンコク アソーク駅からBTSを使いウドムスック駅に。 プロンポン駅近くで駐在時から利用していたマッサージ屋が こちらに移転したので利用。 せっかくなので、ウドムスック駅周辺を歩いてみました。
トルクメニスタン入国日、初日と3日目に首都のアシガバードで宿泊したホテル。ホテルは、国営放送局が所有している世界最大の星形建造物。建物の中では結婚式が行われ、1階部分は宿泊施設ともなっています。

事前に旅行会社からホテル名を教えてもらっていませんでしたが、到着してから想像していた以上に良いホテルだったので良かったです。建物は夜になるとライトアップされ、色々な色に変色します。造りも重厚感あって綺麗で清潔。トルクメニスタン入国が遅くなったのもあり、ホテル到着時間が深夜になりましたが満足度の高いホテルでした。
